※陰鬱な狂気物です。ナタリアとインゴベルトが激しく病んでいます。
※詳しい性描写はありませんがナタリア×アッシュ(非アシュナタ)の監禁、拘束、強制的な性行為があります。
※アッシュと公爵夫妻の死ネタを含みます。
※アッシュは最初から最後まで大変不幸です。
※誰にも救いがないまま終わります。







焦熱の狂熱




アッシュは牢獄の中で、無気力にベッドに体を投げ出して微動だにしないまま、小さな小さな窓から見える空をぼんやりと見つめていた。

もう半年間、アッシュはこの牢獄に閉じ込められている。
牢獄、といってもその生活は豪勢だ。
毎日用意される着替えは艶やかな絹服、食事は栄養も量も味も充分で、広く清潔な室内には大きな柔らかいベッドやソファーなどの家具も高価な書籍の詰まった本棚も置かれている。
アッシュの手足に嵌められた輪は壁から生えた鎖と繋がっているが、部屋を歩き回るには充分な長さが保たれていた。

彼女には牢獄に閉じ込めているという認識はないのだろう。
けれど、一歩も外に出られずアッシュを閉じ込めるこの部屋は、どれだけ贅を尽くしても牢獄に他ならなかった。


半年前、アッシュはインゴベルトにナタリアとの婚約解消を願い出た。
度重なる過去の押し付けと無理な勉強、不可能を可能にできないことへの落胆と侮蔑に耐えられない、もうナタリアを自分の妻にすることはできないと。
同席していたナタリアは泣き崩れ、どうして、わたくしはただわたくしの愛にかけてあなたを立派な王族に戻そうと頑張っているだけなのに、どうして分かってくださらないの、どうして昔の“ルーク”に戻ってはくださらないのと哀れっぽく訴えたが、飽きるほどに繰り返されたそれはアッシュの心を動かすことはなく、むしろナタリアへの想いを尚更に乾かせていくだけだった。

インゴベルトは最初はナタリアを庇いアッシュを説得しようとしたが、アッシュの揺るがない態度に諦めたように最後には態度を軟化させたように見えた。
そうしてアッシュが安心し出された茶に口を付けた時、意識が暗転した。




眼が覚めた時にはこの豪奢な牢獄の中に閉じ込められて鎖で繋がれ、インゴベルトは別人のように冷酷な無表情でアッシュに命じた。

──ナタリアと子供を作れ、と。

何を言っているのか分からなかった。 確かに自分たちは婚約者だったが正式な式もなく性的な関係に至ったことはなかったし、そもそも自分はその婚約の解消を願い出たのだ。
なのに突然に子供を作れなど、伯父の意図がアッシュには全く掴めなかった。

インゴベルトは、甥に向けるとは思えない他人を、道具を見る様な眼差しでアッシュを見下すと、再び命令した。

ナタリアと子供を作れ。
ナタリアを王子の母にする子供を作れ、と。

冗談じゃない俺は種馬じゃないそんなことできるか、ここから出せ──激昂して暴れるアッシュの体を男たちが押さえつけ、妙な薬を投与して無理矢理にアッシュの性を高めさせ、その上にナタリアが服を肌蹴て覆いかぶさってきた。
まるで初夜の花嫁のように頬を染めた可憐な顔に、アッシュは自分を食らって飲みこもうとする人食い魔女の裂けた口を幻視した。

それから何度も、アッシュはナタリアとの行為を強要された。
抵抗しても、罵倒しても、泣いて拒否しても、ナタリアは罪悪感もこの異常な行為への躊躇いもなく熱っぽくアッシュに縋りつき、子供をせがむだけだった。


ああ、許して下さいアッシュ、でもわたくしはあなたの子供が欲しいのです、あなたの赤い髪を、あなたの緑の眼を、あなたの血を。
わたくしにあなたの子供を下さいませ、わたくしをあなたの子の母にして下さいませ。


お前が欲しがっているのは一体なんだナタリア。
俺か、俺の子か、愛する男の子か、男を繋ぎとめるための子か、──青き王族の血か。


馬鹿な女だ。
愚かで、歪んで、そうして哀れな女だ。
王族の血を引く子を孕もうと、ナタリアにその血が流れることはない。
ナタリアは永遠に、王家の血を引かないすり替えられた“偽物”でしかない。

“本物”のナタリアは別にいる。
暗く冷たい土の中に、父母の温もりも愛情も死への嘆きも、その全てを“偽物”に奪われて。
ナタリアはどうしたって、偽物から本物になることはできない。
父ではなく、国ではなく、ナタリア自身の中で偽物を本物と認められない。

ナタリアはそういう女だった。
青き王族の血に誇りを持ち、王家の証を持たぬ疑惑と軽視が誇りを執着へと変え、すり替えられた偽物の従弟を切り捨てるまでに強固なものにしたその後に、自身が偽物だったなどと明かされて、それでもわたくしは本物ですなどと、心から思えるはずがなかった。

だからナタリアはアッシュに執着した。
もはや恋や愛ではなく、肉親の情でもなく、ただ自分が持たなかった王族の血を持つが故に。
アッシュの中に流れる青き王族の血筋を狂気に堕ちるほどに欲しがった。
そして今のアッシュの心がナタリアから離れて行くのを察していたから、あれほどに10歳の“ルーク”に、無邪気にナタリアを想っていた頃に戻そうとした。


インゴベルトも同じだった。
インゴベルトはもまた、偽物のナタリアを受け入れて愛することができなかったのだ。
父の腕に抱かれることもなく弔われることもないままに19年間土の下にいた本物の娘への罪悪感と、その間偽物の娘に愛情を注いでいたことへの葛藤。ナタリアを愛しきることができない、けれど憎みきることも出来ない。
だからナタリアに自分の血に連なる子を産ませることで、自分の葛藤に折り合いをつけようとした。
血は繋がっていなくても自分の甥の子の、王位を受け継ぐ王子の母親だ、そういう理由を作ることでナタリアを愛することを自らに、自分の中の本物の娘への想いに正当化しようとした。
ナタリアを愛するために、インゴベルトにはアッシュの子供が必要だった。


伯父と従姉の婚約者、どちらにとってもアッシュはただの道具にすぎない。
青き王族の血を一時だけでも手に入れるための、偽物を愛することを自分に許すための、種馬だった。

なんて醜悪な陽だまりの現実、なんて歪んだ幻想の真実。


けれどそれももうすぐ終わりを告げる。

“喜んでくださいませアッシュ、私身籠りましたのよ、あなたの子がここにいるのです”

そう満面に喜色を浮かべ夢見る様な眼で腹部を撫でるナタリアから聞かされた時、アッシュは自分の首に死神の鎌の冷たさを感じた。

ナタリアは恐らく孕めば安心してアッシュを解放するか、このままだとしても殺しはしないだろう。
愛する──正確にはそう思いこんでいる──男を手にかけるなど、自分の手を愛する男の血で汚れさせるなど、あの愛に陶酔した夢の中にいるナタリアにはできまい。

けれどインゴベルトは違う。
あの伯父にとって今のアッシュは甥でも王位継承者でもなく、ただナタリアに子を産ませるための道具にすぎない。
そしてインゴベルトはこれから老いて衰えていくが、アッシュはまだ若い。
アッシュを生かしたままにしておけば自分が衰えた時に復讐をされるかもしれず、そして子供さえ生まれればもう種馬としても王位継承者としてもアッシュの存在は必要がない。
青きキムラスカ王族の血と王家の証を持ち王位を受け継げる子でありさえすれば、インゴベルトにとってはアッシュでなくても良いのだから。
疑心暗鬼と狂気を増している今のインゴベルトは、必要のない危険な存在を、たとえ監禁下であろうと生かしてはおくまい。
ナタリアは何も気付いていないようで嘆きながら伝えにきたが、恐らくは息子を取り戻そうとして消されたのだろう、父と母のように。


そうと予想していてももはや逃げる方法もその気力もなく、小さな小さな窓から見える空を、もうすぐ自分が逝くのだろう音譜帯をぼんやりと見つめながら考える。



この醜悪な陽だまりから産まれる子供は、母からも祖父からも道具としてしか見て貰えない子供はどうなるのだろう。



全てを諦めたアッシュの中に、今はただその気がかりだけが残っていた。












                        
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