6.自国の民を蹂躙していいはずが無い







華々しい戴冠式を終えて豪奢な祝宴の中、新王万歳の熱狂に充てられて少し気疲れしたアッシュはひとりバルコニーへと避難していた。
手すりにもたれてバチカルの街を、これから自分が治める街を見渡しながら、くっと笑って酒盃を傾ける。

「新王、か・・・・・・」


――いつか俺たちが大人になったらこの国を変えよう。貴族以外の人間も貧しい思いをしないように、戦争が起こらないように、死ぬまで一緒にいてこの国を変えよう・・・・・・


アッシュは十歳の“ルーク”だった頃に口にした約束を誰に向けるともなく繰り返した。
一度はレプリカに全てを奪われ果たせなくなったと思っていたけれど、それでもずっと自分の中にあった約束。
それがようやく果たせる時がくる。

自分はインゴベルトのような愚王にはならない。
今までこの国に蔓延っていた、軍人でありながらキムラスカの市民を守らず傷付けるゴールドバーグのような屑は一掃して、この国を貴族以外の人間も貧しい思いをしない、戦争が起こらない国に変えるのだ。

キムラスカの民を愛してずっと自分との約束のために立派な王女であろうと励んでいたナタリアのためにも。

そう自分が築く新しい国の構想に酔っていたアッシュは、ふと気配を感じて振り向いた。
長年“鮮血のアッシュ”として戦ってきたアッシュは気配には敏感で、実戦から離れた今でも意識するより早く身体は反応する。
しかし目に映った男の姿に警戒はすぐに解け、心地よい酩酊を覚まされた苛立ちも同時に消え去った。

「御寛ぎの所申し訳ありませんアッシュ陛下」

「なんだ、クラフト男爵か」

「祝宴の席とはいえ、まだ陛下のご即位に不満を持つものや反ファブレ派の陰謀の懸念もあり、城の中でもおひとりでは危のうございます。御邪魔にならないよう努めますので、どうか臣に同席をお許しください」

「相変わらず生真面目だな。ここは衛兵に守られているし心配ないとは思うが、まあ好きにしろ」

インゴベルトの更に先代の王の代から仕えているこの老年の男は、爵位や領土はそれほど高くもないが腐敗したキムラスカ貴族には珍しい生真面目で清廉な性格で、飢えた民のために自腹を切って食糧を配給した、自国の民間人にすら横暴な振舞いをするキムラスカ軍の体質を公然と批判して民を守ったといったアッシュの好む美談を多く持っていた。
それゆえにインゴベルトの治世下では、重臣のゴールドバーグらから忌まれて出世を阻まれていたが、自分が王になったらゴールドバーグなど追いだしてこのような男を重く用いてやろうと考えていた。

酒と即位の興奮のために珍しく機嫌が良く饒舌になっていたアッシュがそう語ってやると、クラフトは恐縮した様子で顔を伏せた。
アッシュのような新王を迎えたことが喜ばしい、ゴールドバーグや彼の側近たちの民への横暴は許しがたく、あのように自国の民を蹂躙するものは一刻も早く排除したいと祝いと賛同を向けられ、ますますアッシュは心地が良くなる。
即位を祝う言葉は今日飽きるほどに聞いてきたが、自分の方針に、“約束”に合った行いをしてきたクラフトからの言葉だと思うと格別だった。

「ところで、男爵は一昨年子息を亡くしていると聞いたが」

「・・・・・・はい。四年前に負った戦傷を長く患っておりました一人息子を、一昨年の十三月の末に亡くしました」

「気の毒だったな。私が帰還した頃か・・・・・・葬儀にも出られず済まなかった」

「・・・・・・いいえ、陛下が御帰還の祝宴や勉学にご多忙な日々を送られていたことは臣も良く存じ上げております。それに、息子は最後まで国を守るために勇敢に魔物たちと戦って負った傷で死んだのですから、何時までも悲しんでばかりはおれませぬ」

クラフトの息子が戦傷の長患いの末に亡くなったことは噂で知っていたものの詳しいことは知らなかったアッシュは、その話を魔物の巣への討伐戦か、街を襲撃した魔物からの防衛戦で亡くなったのだろうと解釈した。

「そうか。立派な御子息だったのだな・・・・・・」

「・・・・・・はい。当時はゴールドバーグ将軍と対立し、彼を重用するインゴベルト陛下に煙たがられた私のやり方にも賛同してくれた息子でした。優しい性格でしたが民を守るために軍人の道を選んで、他の軍人の横暴を身体を張っても止めることも多かったそうです」

「惜しい者を亡くしたな・・・・・・生きていれば私の力になって欲しかった」

アッシュがそう言った時、クラフトが小さく呻いて、失礼を、と慌てて頭を下げた。
息子への悲しみについ呻いたのだろうと思い手を振って気にするなと言ってやり、再び酒盃を傾けて残っていた葡萄酒を飲みほす。

「一人息子を亡くしているのなら、今は男爵家に後継ぎはいないのか?」

「はい。私は身内の縁に恵まれておりませんようで、兄弟も父母の兄弟も早くに亡くなり近い身内がおりません。妻も息子を産んですぐ亡くなっておりますし、今更この老体で後添いを迎える気にもなれず、未だ嫡子不在のままになっております」

「そうか、なら私が誰ぞ良き養子を選んでやろう、私の部下には実直で愛国心の強い軍人が幾人もいるし、男爵と気が合う者もいるだろう」

「有難いことでございます。陛下が信を置かれている方なら、きっと立派な方ばかりなのでしょう。ナタリア殿下──いえ、王妃様もアッシュ陛下と志を同じくしておられると聞きますし、まるでキムラスカの未来に陽がさしてきたようで御座います」

その言葉に再びナタリアとの約束を思い出したアッシュは、クラフトに背を向けると再びバチカルの街を見渡して約束を繰り返した。

「私は幼いころナタリアとひとつの約束をした。“いつか俺たちが大人になったらこの国を変えよう。貴族以外の人間も貧しい思いをしないように、戦争が起こらないように、死ぬまで一緒にいてこの国を変えよう”と」

クラフトの返答はなかったが、未来への展望と過去の陽だまりの幻想に寄っているアッシュは気にせず語り続ける。

「・・・・・・私はこの国を変える。ナタリアと誓ったように、貴族以外の人間も貧しい思いをしないように、戦争が起こらないように、軍人でありながらキムラスカの市民を守らない屑どもの横暴に民が苦しまぬように、死ぬまでナタリアと一緒にいてこの国を・・・・・・」

突然背中に走った熱さにアッシュの言葉が途切れ、持っていた盃が落ちて砕けた。
振り向こうとして思わずよろめき、そのままバルコニーの床に崩れてしまう。

アッシュは何が起きたのか分からず、そして何故クラフトが自分を助け起こさないのか分からなかった。
熱さが痛みに変わり、それを感じている箇所に手を当てると過去に自分が名乗っていた名のように赤く染まっていた。
今日のためにナタリアが選んだ礼服が汚れてしまった、などと考えている混乱した頭に、クラフトの冷たい声が響く。

「戦争が起こらないように、軍人でありながらキムラスカの市民を守らない屑どもの横暴に民が苦しまぬように・・・・・・」

自分が口にした“約束”が、憎悪と侮蔑をこめて繰り返される。
ようやく振り向くと、クラフトは顔にも憎悪と侮蔑をこめた、今までアッシュが見たこともない形相をしていた。
その手に鮮血に濡れた抜き身の剣が握られているのをみて、ようやくアッシュは自分がクラフトに刺されたことに気付く。
全く警戒していなかった相手に、これまで和やかに会話をしていた相手に刺されたことが信じられず、何故、と喘ぐように呟いたアッシュに、クラフトは冷たく問いかける。

「そう思うなら、何故あなたはあの時自国の港を襲撃したのですか、そして何故今まで、その犠牲に思いを巡らしたことがないのですか」

「なんのこと、だ・・・・・・俺は、そんなことは・・・・・・」

身に覚えのない誹謗にとぎれとぎれに反論するが、男は忘れたのか、と呻くように言って更に怒りを燃やした眼でアッシュを睨みつけた。

「カイツール軍港の襲撃を、あなたが妖獣のアリエッタに指示したあの虐殺を、私の息子を殺したことを、もう忘れたと言うのですか」

その言葉にアッシュはクラフトの息子の死因を悟って刺された時よりも強い動揺を覚えた。

「ちが・・・・・・あれは、アリエッタが・・・・・・」

「あなたがアリエッタに指示したのでしょう!市民を護らないことを屑というなら、戦争が起こらないように民を守りたかったなら、どうしてそんなことができたのですか!あの襲撃で魔物から軍港を、祖国を守るために死んだ者たちは、あなたの民ではなかったのか、ナタリア殿下の愛する民ではなかったというのか!?」

拉致されて怯えていた整備士の顔がアッシュの脳裏に過る。
それを見ても、思い出しても、今までアッシュの中には罪悪感もキムラスカの民を守るどころか傷付けているという認識もなかった。
けれどクラフトに突きつけられ、ようやく自分が何をしたのかが浸透していき、葡萄酒の酔いも戴冠の酔いも冷め、代わりに罪悪感と暗殺の恐怖が取って代わる。

「あなたは自国の民を守らなかった、戦いを仕掛け、拉致し、魔物に襲わせ、傷付け、そして殺した、そして何年経っても自分の罪を自覚することもなく、民を守る、軍人は民を守ると綺麗事を繰り返してきた。もう沢山だ!あなたのような襲撃犯のいうことを誰が信用するというのです、そんな新王を頂くことを誰が喜べるというのです?ナタリア殿下が耳に入れないようにしているだけで、軍港襲撃の一件であなたを憎むものや不信感を持つ者は山ほどいるのですよ。それをまるで自分が民に望まれる王であるかのように、既に破り血塗られた約束などを呟いて、御笑いだ!あなたの手はとっくに蹂躙したキムラスカの民の血で汚れているくせに!!」

クラフトの後ろから同じように侮蔑と憎悪を浮かべた者たちが現れアッシュを囲む。
その手に光る刃に助けを呼ぼうと口を開きかけ、騒ぎに気付いたのか怒鳴り声やナタリアの悲鳴も遠く聞こえたが、助けが届く前に次々とアッシュの腹や胸に吸い込まれていった。

暗く沈んで行く意識の中で、幼い自分がナタリアの手を取り約束を語る情景が鮮血のような赤に染まり、消えていった。








+無自覚な非常識人に告げる七つの裁き+
6.自国の民を蹂躙していいはずが無い

Realistic Sun様からお借りしました。







                        
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