明日なき願い







「何時私が、あんなことを頼みましたか・・・・・・? 私は、お兄様と二人で暮らせれば、それだけで良かったのに・・・・・・ お兄様はずるいです。私は、お兄様だけで良かったのに・・・・・・お兄様のいない明日なんて、そんなのは・・・・・・」

ナナリーはルルーシュを亡くしてから、ずっと表ではブリタニア代表として笑顔で貼り付け、夜になれば私室に籠って哀しみに浸る日々を送っていた。
掻き集めた写真の中の兄に向け、もう届かない兄への恨みを、望みを、否定をただ繰り返しては泣き濡れる。


今宵もナナリーは何時ものように、私室でひとり啜り泣きながら兄への心情を吐露していた。

ナナリーが持つアルバムの中には、幾つもの兄がいた。

枢木家にいた頃の幼い兄。
日本敗戦後に二人暮らしていた頃の兄。
アッシュフォード学園にいた頃の兄。
そして、ゼロだった頃の兄。

何時だって私は、お兄様だけで良かったのに。
お兄様のいない明日なんて、そんなものは欲しくなかったのに。
お兄様と二人で暮らせれば、ただそれだけで。

そう繰り返し繰り返しルルーシュを責めるナナリーに、冷えた静かな声がかけられる。

「それがお前の願いか!?」

「誰です!?」

自分ひとりの私室にあるはずのない他人の声に暗殺者か何かだと思ったナナリーは誰何し、人を呼ぶために大声を上げかけるが、 近付いてきた侵入者を見てその名を小さく叫ぶ。

「C.C.さん!」

「ならば叶えてやろう。おまえの願いを。 お前にもう一度、ルルーシュといる日々を、 そしてお前の望むようにお前と二人で暮らすだけのルルーシュ、 お前が否定するようにお前に嘘や隠し事をすることのない、反逆もしないルルーシュといる日々を、お前に体験させてやろう。どうだ?」

C.C.は感情の読みとれない無表情で淡々と言うと、ナナリーに向かって手を差し伸べる。

亡き兄といた日々を取り戻せる。
しかも今度は自分の側にいてくれて、自分に嘘や隠し事をすることもなく、反逆もしない兄。

そんな到底叶うはずのない願いを叶えてやろうなどと、C.C.以外の人間が言ったならば悪い冗談だと受け取ったただろう。

だがC.C.は、不老不死の肉体を持ち、兄にギアスという異能を与えた魔女と聞いている。
彼女ならば、御伽話にでてくる魔女のように不思議な魔法で、叶うはずのない願いだって叶えてくれるのかもしれない。

普通ならば数回話しただけの他人からそんな都合の良い話を、唐突に、それも代価も相手の利もなく持ち出されれば怪しみそうなものだが、 かつてアッシュフォードに庇護されることやシュナイゼルに推戴されることにそうだったように、ナナリーは何ら疑問を持つことなく、即座にC.C.の手を取り叫ぶ。

「お願いします!私にもう一度お兄様といた日々を、私の望んだようにして下さるお兄様を与えて下さい!!」

「その願い、確かに受け取った。与えてやろう。お前に、お前の望む日々、お前の望む兄を、な」

C.C.がそう言い終えると同時に、ナナリーは目も眩むような光と不思議な浮遊感に包まれる。
思わず目を閉じ、次にナナリーが目を開けた時、そこには──





「どうしたんだナナリー?」

「・・・・・・お、兄様?」

間違えようもない、それは兄だった。
声変わり前の高い声、少女のような可憐な顔立ち、直前まで見ていた写真に映っていたままの、枢木家にいた頃の幼い兄。

「お兄様!」

「うわっ!」

突然抱きついてきたナナリーに驚きながら、ルルーシュはともに土蔵に床へと倒れ込む。

「ナナリー、どうし・・・・・・!お前、もしかして目が見えるのか?」

盲目のはずのナナリーがまっすぐに自分の目を見ていることに気付いたルルーシュの問いに答える余裕もなく、 ナナリーはただ兄に縋るようにしがみ付きながら、畳み掛けるように兄に問いかける。

「お兄様、お兄様はずっと私と二人で暮らして下さいますよね?私に嘘をついたり、隠し事をしたり、ブリタニアに反逆なんてなんてしませんね? 私はお兄様だけでいいんです・・・・・・お兄様のいない明日なんて、そんなものいりません!」

ルルーシュはナナリーの突拍子もない話に戸惑いながらも、微笑んで頭をひとつ撫でると、ナナリーの望む答えを返した。

「もちろん、僕はお前といるよ。お前に嘘をつかないし、隠し事もしないし、ブリタニアに反逆なんてしないよ。お前が望むように。約束するよ」

ああ、これでやっと幸せになれる。
『前』とは違い、ずっと望む兄と共にいる『明日』が手に入る。

そう確信して、ナナリーはこの上なく幸せな気持ちで微笑んだ。





それからすぐに『前』と同じようにブリタニアと日本の戦争が始まり、枢木神社も空爆を受けて火に包まれた。
逃げ惑ううちに何故か『前』のように親しくはなれなかったスザクらと逸れ、枢木家の使用人たちも先に逃げてしまったのか姿は見えず、 その上ナナリーの車椅子が故障して動かなくなり、二人は戦火の中に立ち往生する破目になってしまった。

聞こえてくる爆音に怯え、漂ってくる煙に咳き込みながらも、動かない足では車椅子がなければ迅速に動けず、ナナリーは側にいるルルーシュに縋る。

「お兄様、私を背負って逃げてください!」

ナナリーは当然のように、『前』の兄がしてくれたことを今の兄にも求めたが、ルルーシュは意外そうに眼を見開き、あっさりと首を振った。

「どうしてですか!?」

「どうしてって、僕だってお前よりは年上とはいえ、まだ九歳の子供なんだ。 体力だってないし、疲れてるし、真夏の日本の炎天下、戦火の中をお前を背負って歩くなんてできやしないよ」

「そんな!だって『前』は・・・・・・」

『前』は背負って逃げてくれたのに。
そう言いかけて、たった今兄から聞かされたその困難さを思って言葉を詰まらせる。

『前』の兄は、九歳の子供が、真夏の日本の炎天下、戦火の中を、体力のない身体で、疲れていただろうにナナリーを背負って逃げてくれた。

「でもお前から離れはしないよ。ずっとお前と暮らすって約束したものな。側にはいるよ」

側にいるだけだと、そう言われてもナナリーは責められなかった。
兄妹とは言え、たった三歳しか違わない同じ子供の兄に、真夏の日本の炎天下、戦火の中を、体力のない身体で、 疲れているだろうに背負って逃げてくれとは言えず、しないことに抗議することもできなかった。





「変な臭い・・・・・・別の道は通れないんですか?」

焼け焦げたような臭いと鉄の臭いを濃縮して混ぜたような臭い、『前』は兄からごみ捨て場の近くだからだと聞かされた臭いが 進む道の先から漂ってくるのにナナリーは眉を寄せ、自分を背負っている枢木家の使用人に問いかけた。

あの後、『前』のように親しくはないとはいえ放ってもおけなかったらしいスザクが捜し出してくれ、 スザクの頼みで枢木家の使用人に背負われて逃げることができたが、 『前』と同じ道からは、『前』と同じ不快な臭いが漂ってきて、またあの臭いの中を歩くのが嫌だったナナリーは、 別の道を行けば大丈夫だろうと深く考えもしなかった。

しかし『前』とは違いナナリーに返されたのは優しい嘘ではなく残酷な真実、そしてナナリーが望んだ兄だった。

「死体の臭いですわ。この道の先はブリタニア軍に殺された日本人の死体で埋め尽くされていますから。 軍民も老若男女も問わず、子供まで虐殺されて、その死体の臭いと焼け焦げる臭いが混ざった臭いが充満しているのです」

「した・・・・・・!?そんな、嘘です!死体の中を、歩くなんて、そんな、そんな・・・・・・!!」

「戦火の中なんですよ、敵に見つからずに歩ける所なんてそうそうある訳がないでしょう」

吐き捨てるように言われ、敵国の皇女への敵意を感じとったナナリーはそれ以上使用人には何も言えなくなったが、 共に歩いている兄へ否定を、『前』と同じ答えを求めて縋るように声をかける。

だってあの時兄は、ごみ捨て場の近くだからだと言ったのに。

あの時も自分は、ブリタニア軍に、父に殺された日本人の人達の死体の中を歩いていたというのか。
軍民も老若男女も問わず、子供まで虐殺された中を、その死体の臭いと焼け焦げる臭いが混ざった臭いを嗅ぎながら。

思い返すと今更に恐怖と居た堪れなさが沸き上がってきて、これから其処を通ると思うと逃げ出したい様な耐えがたい心持ちになったナナリーは、 使用人の返答を否定して欲しかったが、ルルーシュは『前』とは違っていた。

「なんだい、ナナリー?ちゃんと側にいるよ」

ナナリーに嘘をつくことなく、ただ側に。





「でも、食べ物はこれしかないんだよ」

「昨日も一昨日もそう言って、これぐらいしかくれなかったではないですか!」

なんとか戦火の中を生き延びたナナリーは、『前』のように兄と二人でひっそりと隠れ暮らす様になったが、その生活は『前』とは大きく違ったものだった。
『前』の半分ほどの量しかない食事は育ち盛りのナナリーの身体には到底足りず、何時もお腹を空かせて苦しかった。

「だから、昨日も一昨日もこれが精一杯だったんだ。 それをお前と二人で分けてるんだから、足りなくても我慢してくれよ」

「そんなはずがありません!何処かにまだあるはずです、探してきて下さいお兄様!」

だって『前』では、ナナリーはこの二倍近くの量を食べ、飢えなどという感覚を知ることさえなかったのだ。
だから今度も兄が見つけられる所に、同じだけの量の食べ物があるはずで、足りないのは兄の探し方が足りないからだ。

そう思ったナナリーが必死にせがむと、ルルーシュは何かに思い当たったように、窓から見える空き地に咲く赤い花に視線を向ける。
赤い花は美しくはあったが、血の様な赤と炎を思わせる花弁は毒々しい雰囲気があり、ナナリーに胸がざわざわとするような不吉な予感を齎した。

「そういえば、食べるために草を抜いている人達がいたな・・・・・・そこにも咲いている『ヒガンバナ』とか。 食べられる草と食べられない草、毒を抜かないといけない草や紛らわしい良く似た毒草があるから、知識がないと危険らしいけど・・・・・・」

『前』と同じ状況で、半分しかない食事と、食べられる草。

手に入った食事を全て、兄自身の分さえもナナリーに与えて、それをナナリーに隠して兄が食べていたものは。

ナナリーが飢えなどという感覚を知ることすらなかったのは。

「お、にい、さま・・・・・・」

「なんだい、ナナリー?ちゃんと側にいるよ」

ナナリーに隠し事をすることも、ナナリーのために兄自身を犠牲にすることもなく、ただ側に。





それからも、兄は何時もナナリーと共にいた。
かつてナナリーがそう望み、否定したように、ナナリーに嘘をつくことも、ナナリーに隠し事をすることもなく、 ナナリーのために兄自身を犠牲にすることもなく、ただナナリーの側にいた。

盲目と兄の優しい嘘や隠し事で覆われることのない、剥き出しの、目を覆いたくなるような苛酷な現実の世界は、 『前』は知ることのなかった兄の献身、父の非情と弱肉強食を掲げたブリタニアの残酷さを幾度となくナナリーに思い知らせた。

そして、そんな環境に自分たち兄妹を追いやった父を、弱肉強食の元に弱者を蹂躙する母国を、心底憎んだ。

『前』もナナリーは、父とブリタニアを全く恨まなかった訳ではなかった。
けれど、父が自分たち兄妹にした仕打ち、ブリタニアの支配下での弱者の扱いがどれほど非情で残酷なものだったのか、本当には理解してはいなかった。

母国の軍、父の部下たちの見境のない虐殺の中を逃げ回ることが、敗戦後の日本に助けの手もなく子供だけで隠れて生きることが、 どれほど辛く苦しくひもじく危ういものなのか、ナナリーは本当には知らなかった。

何故兄がゼロになったのか、ブリタニアに反逆したのか、父を殺したのか、どうしてそれほどまでに父と母国を憎むに至ったのか。
ナナリーに残酷な現実を知らせず、共に逃げ、飢えさせないためにどれほどの犠牲を払っていたのか。
それをナナリーは、結局最初から最後まで、ルルーシュを亡くした後にすらも考えようとはしなかった。

そして、自分たち兄妹の置かれた環境がどれほど危ういものだったのかも。

それがやっと分かったのは、皇族と発覚し兄と共に暗殺者の手にかかり息絶える、その瞬間だった。


“では、あのまま隠れ続ける生活を送れば良かったのか?暗殺に怯え続ける未来が望みだったのか?お前の未来のためにも”

“何時私がそんなことを頼みましたか?私は、お兄様と二人で暮らせれば、それだけで良かったのに”


自分と二人で暮らすために、自分を生かすために守るために、自分の未来のために兄はどれほど兄自身を犠牲にしていたのか。

ようやく悟ったナナリーを、再び目も眩むような光と浮遊感が包み──







「“お兄様と二人で暮らせれば、それだけでよかった”んだろう?共にいるだけの兄、嘘もつかず隠し事も反逆もしない兄は満足だったか?」


私室の中で兄の写真を手にしたまま、先程とは違う理由で涙を流すナナリーに、魔女が冷たく微笑みかけた。












※彼岸花は救荒植物のひとつですが、強い毒性を含むためきちんと毒を抜かないと中毒を起こし、最悪死亡することもある危険な草です。
昔は食糧難から彼岸花を食べることがありましたが、毒のために亡くなる人々も多くいたそうです。





                        
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