アニス・タトリンは大詠師モースのスパイだった。
タルタロス襲撃など数々の事件で手引きし、導師イオンが惑星預言を詠まされて死亡した時も、導師イオンを連れ出したのはアニスだった。

教団の有力者が集まった会議の席でディートリッヒがそう口にした時、ティアは何を馬鹿なことを言っているのかと怒りを露わにした。
アニスがモースのスパイだったことと、心ならずも導師イオンの死の一端を担ってしまったことはティアも知っていた。
しかしアニスは罪を自覚して苦しんだのだし何も今更公にすることはないじゃない、としか思わなかったし、タルタロス襲撃の手引きなど寝耳に水の話だった。

「タルタロス襲撃、及び同時期のマルクト軍駐屯地襲撃事件についてのマルクトとの共同調査によって明らかになった事実です。 モースの部下で新生ローレライ教団壊滅のどさくさに紛れて逃走したことで生き延びていた者たちを捕縛、尋問して、既に証言も証拠も揃っていますよ」

ディートリッヒが取り出した音声記録再生用の音機関からアニスへの糾弾を裏付ける証言が再生されるにつれて、 列席者の表情は厳しくなり、比例するようにアニスの顔色は青褪めていった。

「あ、あた、あたしは・・・・・パパとママが、借金があって、人質にとられて、仕方、なく・・・・・・」

「アニスにも事情があったのよ!やりたくない罪に手を染めさせられたアニスだって辛かったのに、どうして今更アニスを、こんな大勢の前で責めるようなことをするの!」

「それにしては不審な点が多くありますな。 まずタトリン夫妻は、イオン様殺害の際には人質にされていたものの、それ以前には監禁もされず、 行動を制限もされず、旅行を計画していたことまであったとか。 お仲間と共に両親と接触したことも何度もあり、その時に相談して両親を連れて逃げることだって可能だったのでは? またモースは外郭大地降下後に大詠師の職を追われ、査問会のために拘留され、更には護送船から脱出して行方不明になってました。 その時ですら、彼女は説法代詐欺にうつつを抜かし、この機に乗じて両親を逃がそうともしていないし、 その頃にも長く行動を共にしていた仲間へ相談していない。 これで両親が人質に捕られて困っていた、そのために苦渋の末に罪を犯さざるを得なかったと言われても、鵜呑みにするのは無理というもの」

アニスの言い訳も、同情を期待するような上目遣いも一顧だにせず、ディートリッヒはあっさりと言い訳と相反するアニスの言動を次々に挙げていく。
列席者の表情は和らぐどころかますます厳しさを増し、アニスの顔色はもはや土気色になり、声だけではなく身体まで、椅子に座っているのも危ういほどに激しく震わせていた。

「それに彼女には以前から、イオン様の護衛放棄と、イオン様を軽んじるような言動が多々ありました」

「アニスはルークなんかとは違って、職務に懸命で、イオン様を尊重してきたわ! あなたには他人の誇りを、人の気持ちを思い遣るということができないの!? これだから傲慢で無神経なお坊ちゃん『たち』は・・・・・・少しは成長してちょうだい! ルークだって少しは成長して私の顔色を窺うようになっていたのに・・・・・・」

ディートリッヒを見ていると髪が長かった頃のルークを思い出すのに加えて、 アニスの導師守護役としての誇りもイオンへの気持ちも疑う態度が、 あの頃のルークが自分の気持ちに無神経な態度をとっていたのに重なって見えたティアは、 ルークへの蔑みを加えながら、ルークと同じように矯正してやろうとばかりに、 弟を叱りつける姉のような態度でディートリッヒを叱責し続けた。

ティア派の男性に宥められてようやく止まったものの、 それをディートリッヒ派のみならず中立のトリトハイム派まで呆れを浮かべて見ていることには気付かないままで、 自分の言動に他人が抱く気持ちなど、そして出会った頃のルークの立場や気持ちなど、考えようともしないままだった。

「イオン様がエンゲーブでチーグルの森にお一人で向かわれた時も、バチカルで漆黒の翼に誘拐された時も、彼女はイオン様の護衛を怠っていました。 まして何時ものように多数の守護役が同行しているわけではなく、彼女がたったひとりの守護役だったというのに。 そしてアクゼリュス救援に際しては、イオン様がキムラスカとマルクトの和平締結と、 アクゼリュスの住人を救うことを強く願っておられたにも関わらず、 アニス・タトリンは和平の使者にしてアクゼリュス救援要請の使者でもあったジェイド・カーティスの乗ったタルタロス襲撃を手引きして、 キムラスカへの到着を妨害し、大幅に遅らせ、タルタロスと救助の人員や物資を失わせてもいる。 仮にその時は目的を知らなかったとしても、親善大使一行に同行するようになってからは知ったはずなのに、 タルタロス襲撃が救援の遅延や救助の人員や物資の喪失を招いたアクゼリュスの中で、イオン様の前で、 アクゼリュスの鉱石が高価だと聞くと『こっそり持ってっちゃえば大金持ちだね』などとはしゃいでいたという証言もジェイド・カーティスから得られています。 冗談にしても、アクゼリュス救援の遅延や救助の人員や物資の喪失の一端を担い、 アクゼリュスを救いたいという導師の願いを妨害していた罪悪感があるのなら、このような態度はとれますまい。 彼女には元々、イオン様の守護役の任を果たす気などなく、イオン様の身の安全もお気持ちもどうでも良かったとしか思えませんな」

元々アニスが担ぎ出されたのは『導師イオンを献身的に守護し、深い信頼を受けていた』という美名のためだった。
それが一転、導師の護衛を放棄し、悪名高いモースのスパイとして動き、散々に導師の身も心も軽んじた挙句に、導師の死の一因だったというのでは、美名はくるりと裏返る。

──本当に教団のためを思うなら、アニスは導師を目指すべきではなかった。
隠蔽されている過去の罪が暴かれた時に、アニスが導師になっていたり、導師を目指して派閥を形成していれば、 アニスのみならず教団や派閥にまで迷惑がかかり、アニスひとりの問題ではなくなってしまう。
そして幾ら隠蔽しようと、真相を知るモースの部下全員の口を封じられる訳でも、 マルクトが真相を突き止めるのを止める手がある訳でもないのでは、何れは罪を暴かれる可能性を、他人が罪を知らずとも追求せずとも、アニス自身は想定すべきだった。
アニスの犯した罪も、アニスの力も、嘘を嘘と貫き通せるようなものではなかったのに。

しかし自分の罪に無自覚で、自分の行動が他人からどう見られるのかにも無頓着だったアニスは、 自分の罪も影響も深く考えることなく初の女性導師を目指して進み続け、他人を引き連れて地獄への道行きを進んでいった。

「ピオニー陛下は、ローレライ教団が本当にマルクト帝国との関係改善を望むのならば、過去のような問題をこの先も起こさないというのならば、 誠意を見せるように、とアニス・タトリンの引き渡しと賠償を要求されています。 タルタロス襲撃、マルクト軍駐屯地襲撃事件、諸々の罪にどう対処するのか見せて貰おう、とね」

ティアが必死に反対しても、アニスを庇っても、中立のトリトハイムを含めた多数の意見を覆すことはできず、 アニスは神託の盾騎士団から除名され、拘束された上でマルクトへと引き渡されることが決定した。

反目しているディートリッヒの言う通りにするのが癪なのに加えて、親しい友人で今では教団での重要な味方になっていたアニスを失うなど受け入れられず荒れに荒れ、 マルクトへ引き渡される前にアニスを逃がそうと決意したティアを止めたのは、またもあのティアが派閥の中で最も信頼している青年だった。

青年はティアの顔色を気遣うように優しく見つめた後、八つ当たりに家具を殴りつけて赤くなっているティアの手を取って労る様に擦りながら、 戦争回避のために引き渡しは仕方ない、あなたが新しい総長になれば減刑の嘆願もできましょう、お辛いでしょうがどうか今は御辛抱を、 大丈夫、彼女がいなくなっても私たちが、この私がついておりますと、一層甘い響きの声音で囁きかけた。

ティアはうっとりとその声音に耳を委ねた後、渋々頷きを返しながらも、ディートリッヒへの反感は募るばかりで、 せめてもの抵抗とばかりに、心の内でアニスにディートリッヒを追い落して救いだすことを固く誓った。

そしてマルクトからの要求に応じてアニス・タトリンは引き渡された。
タルタロス襲撃の賠償としてパダミヤ大陸西部の北半分がマルクトに割譲され、皇帝の直轄地になり、 更にマルクト軍駐屯地襲撃事件の賠償としてローレライ教団や神託の盾騎士団が所有していたマルクト国内の領地もマルクトに割譲され、 皇帝領や、功績を挙げた商人や技術者への報酬として新貴族領となっていった。

パダミヤ大陸西北の皇帝の直轄地では、当初は領民の不安や反発もあったものの、 ピオニーが派遣した代官の穏健な統治と、財政悪化の補填に教団が課していた重税からの解放によって、 以前よりも格段に向上する生活のうちに落ち着きを取り戻し、むしろマルクト領となったことを喜びの内に受け入れていった。












※マルクト軍駐屯地襲撃事件
漫画「鮮血のアッシュ」冒頭の、マルクト領東ルグニカ平野の駐屯地が、恐らくはタルタロスの追跡路に位置して神託の盾騎士団の追跡を目撃したために襲撃された事件です。
書かれていたのは一件ですが、タルタロスの移動距離を考えると何件も起きていそうですし、 皆殺しにされているので被害も、当時はタルタロス襲撃も知らないので真相が分からないマルクトの混乱も、かなり大きくなっていそうです。

ゲームではセントビナーでシンクが、セントビナーやエンゲーブに駐留し続けてマルクト軍を刺激すると外交問題に発展するからと兵の撤退を決めているので、 一応あの時点でも、マルクトと外交問題を引き起こすのは不味いという認識はあったようですし、 マクガヴァン元帥のように反感を募らせている人もいましたし、預言を笠に着ていた当時以上に、 ED後の外交問題への対処は厳しくなりそうな気がします。

しかしシンク(実年齢2歳)が外交問題を気にしているのに、大人や十代にそういう認識が薄いって一体・・・・・・。
ティアなんて冒頭で大貴族の屋敷を襲って王族や非戦闘員を含む住人に危害を加えても、譜歌で攻撃していても、 自分のやったことが外交問題なんて気にするそぶりもなく、イオンへの報告すらしないままで和平の使者一行に同行していますし、 ジェイドなんて35歳でパーティの頭脳的ポジなのに、これから和平と救援を申し込む国の国王の甥(実質次期国王)に協力しないと軟禁すると脅迫していますし。
というか仲間にそういう認識がある人がひとりもいないって一体・・・・・・。





                        
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