「人と話す時には名前を呼ぶのが当たり前でしょう!失礼なのは私をお前呼ばわりをするルークの方だわ!! せっかく私がお説教してあげているのに、どうして何時も何時も邪魔をするの、家庭教師ならルークを叱ったらどうなの?」

そうルークの自分へ態度は責められるべきものだと、自分にはルークに態度を改めさせる権利があるのだと信じて疑わず、 まるで無知で愚かな生徒を矯正させてやっている立派な教師のような気分で叱ろうとしたティアに、 ルークの家庭教師が冷笑とともに返したのは、ティアの知る常識、しようとしたルークへの矯正、 そして自分がルークから礼儀や気遣いを払われるべき人間で、 ティアに礼儀や気遣いを向けないルークは強制されるべき愚かな人間だという認識、その全てへの否定だった。

「何故ルーク様のお前への態度を叱る必要がある? ルーク様がお前に対して礼儀や気遣いを払わなければならないなどと、そんな常識は何処の世間にある? 私はルーク様の家庭教師だからこそ、ルーク様のお前への態度は叱らないし、お前が教える非常識を否定する。 お前などとは違い、私はルーク様のお前への態度を責めたり、お前に礼儀や気遣いを払うべきだなどと横暴で失礼なことを言えるほど、 ルーク様に対して冷酷でも非常識でもないのでね」







彼女への礼儀と彼への冷酷







侵入したファブレ公爵家でルークとの間に超振動を起こし、ルークを守ろうと飛び出した男女を巻き込んでタタル渓谷に飛ばされてから、 ティアはずっと暗殺の失敗のせいだけではなく、予期せぬ同行者への不満と呆れに苛立っていた。

ルークはティアに“お前”と呼びかけ、ティアが名乗っても名前を呼ばなかった。
ティアはそんなルークの態度に腹を立てて無視し、名前を呼ぶまで会話などするまいとした。

しかしルークが根負けして名前を呼ぼうとした時に、共に飛ばされたエルンストという男の邪魔が入り、 ルークがティアの名前も呼びたくないなら呼ばなくても良い、そのままお前呼ばわりでも何呼びでも無視していても構わないと、 ティアから見ればルークを甘やかして傲慢を増長させているとしか思えないようなことを教え、 ティアが馬鹿なお坊ちゃんへの矯正のつもりで厳しくした態度を台無しにしてしまった挙句、逆にティアのそうした態度を失礼だと咎めてきた。

「人と話す時には名前を呼ぶのが当たり前の礼儀でしょう! 失礼なのは私の名前も呼ばず、お前呼ばわりしたルークの方だわ!! そんなことも分からないなんて、これだから世間知らずのお坊ちゃんたちは・・・・・・貴族ってみんなこうなの?」

ティアはそうエルンストに言い捨て、やはり共に飛ばされたゾフィーという譜術士の少女に庇われるようにして先に進んでしまったルークに追いつこうと足を早めたが、 エルンストはちらりと振り向いたゾフィーに何か合図をするように頷くと、またも邪魔するようにその間に入った。

「私は貴族ではなく、商家の出なのだがね。 どちらにしても、先程のルーク様の態度は、貴族平民問わずに失礼や傲慢を咎められるようなものではないな」

「商家?でもあなた、ファブレ公爵家にいたじゃない」

どうせルークと同じように安全な屋敷で何不自由なく育てられた世間知らずな貴族のお坊ちゃんで、 自分の言うことを聞かないのも、自分の知っている常識を知らないのも、自分のお説教や厳しい態度に反発するのもそのためだと思っていたティアは驚いて聞き返した。

「私はルーク様の家庭教師だ。 バチカルの商家の出身で、バチカル大学で学んだ後、幾つかの商家や貴族の子弟の家庭教師を経てルーク様の家庭教師に任じられた。 ついでに言えば、去年までは各地を旅し、マルクトやダアトにも滞在していたことがあるので、屋敷の外はもちろん遠方への旅も異国に来たのもこれが初めてという訳でもない」

エルンストが去年まで子息の教育を任されていた伯爵家では、武人だった先祖の遺訓だとかで、 子息に武者修業的な勉学の旅をさせる風習があり、エルンストも教師として同行して様々な地域や身分の人々に触れてきた。
その伯爵家がシュザンヌの母方の親戚にあたり、異国や遠方への旅の経験とルークと同年代の貴族子息に慕われた実績が、 軟禁されて外に出られず、昔のルークと比べてばかりの前の教師に反発していたルークの新しい教師に選ばれた一因でもあった。

しかしその旅で見聞きした何処のどんな身分にもティアのいう常識は当て嵌まらず、 むしろ何処のどんな身分の常識に当てはめても、ティアの振舞いは幾つもの常識を逸脱しているようにしかエルンストには思えなかったが、 ティア自身にはそんな認識は欠片もないらしく、繰り返しルークの態度を詰り、自分への礼儀や気遣いを求め、それを邪魔するエルンストを詰るだけだった。

「だったらルークの態度がどれだけ失礼で非常識なのか分かるでしょう。 せっかく私がお説教してあげているのに、どうして何時も何時も邪魔をするのよ、家庭教師ならルークを叱ったらどうなの!? そうやって周りの人間が甘やかすから、人と話す時に名前を呼ぶことすらせずお前呼ばわりするような、礼儀作法を知らない、 人の気持ちを気遣うこともできない、非常識で横暴な人間に育ってしまったんじゃない!」

「叱る?そんな必要はないな。 ルーク様がお前に対して礼儀や気遣いを払わなければならないなどと、何処の世間にあるのか怪しい常識などお教えする気はないし、 そんな横暴で失礼なことを言えるほど、私はルーク様に対して冷酷でも非常識でもないのでね。お前とは違って」

ティアはまた“お前”呼ばわりされた上に、自分の常識を否定され、無知や非常識のように嘲笑われた怒りに加えて、 少し前にも戦闘で詠唱中は守ってと言ったのを無視され、否定され、嘲笑われたのを思い出して、二重の怒りに顔を赤くする。

「っ・・・・・・! 他人と話す時には“お前”呼ばわりなどせずきちんと名前を呼ぶのも、礼儀を払うのも、気遣うのも、最低限の常識でしょう! そんなこともできずに失礼で無神経な態度をとるから、あなたたちのためを思ってお説教してあげているのに、どうして言うことが聞けないのよ!? おまけにあなたもルークも剣士のくせに詠唱中の私を守って戦わないし、あなたもゾフィーもルークのことばかりを守って甘やかしているし、 そんな風じゃとても背中を預けられる相手だとは思えないわ!」

「どうして?呆れた愚問だな。 何故被害者が加害者に礼儀や気遣いを払わないこと、言うことを聞かないこと、加害者のお説教に反発することに疑問がある? “被害者は加害者に対してお前呼ばわりなどせず、きちんと名前を呼び、礼儀や気遣いを払わなければならない” “被害者は加害者を守って戦い、背中を預けられる相手にならなければならない” “加害者がそれができない被害者を責めるのは、被害者のためを思ってのお説教で、被害者は言うことを聞かなければならない”これがお前の言う常識か? お前はルーク様や私たちの仲間や家族や、教師にでもなったつもりか? 赤の他人にして加害者が、被害者の仲間や家族や、教師のように思い込み、被害者に対して礼儀や気遣いを払え、言うことを聞けと要求するとは、勘違いも甚だしい」

「被害者?加害者?なんのことよ。今は私と、ルークやあなたたちの話でしょう、いい加減にして!!」

「だからお前と、ルーク様や私たちの話をしているが。 お前には、自分のやったことが犯罪や危害という自覚すらなかったのか? いい加減にして欲しいのはこちらの方だ。 それこそ最低限の一般常識や、少し考えれば子供でも理解できるようなことから説明しなければ、自分のやったことが自覚できないとはな・・・・・・」

「ちょっと侵入しただけで大袈裟なこと言わないで! 私はヴァンを狙っていただけでルークやあなたたちに、ヴァン以外の人たちに危害を加える気はなかったし、危害を加えた覚えも罪を犯した記憶もないわ!?」

「王侯貴族の屋敷への無断侵入は、それだけでも、僅かな侵入であっても重罪だ。 実際にこのマルクトでは現皇帝が幼少時代にケテルブルクにいた頃、その屋敷に・・・・・・というよりは門扉と屋敷との間に十歳ほどの少年が僅かに侵入したが、 即座に警備兵に捕縛され、軍の基地に連行されて厳しい取り調べを受けたという事件もある。 幼い子供の僅かな侵入ですら、王侯貴族の敷地内への不法侵入の罪はそれほどに重い。 屋敷の住人に対して危害を加え、怪我を負ったり命に関わるような危険に晒しながら、 邸内の奥深くまで侵入したお前の所業が、侵入しただけ、犯罪にならないなどとどうして思えるのやら」

ティアは犯罪だと全く認識していなかった侵入の罪の重さに一瞬顔色を青くしたが、 それよりも自分の行動を否定ばかりするエルンストへの反感が強いのか、 危害を否定することの方が優先するのか、すぐに顔色を戻して言い訳を続ける。

「私は誰にも危害を加えた覚えなんてないと言ってるでしょう? 私が殺すつもりだったのも、武器を振るって危害を加えようとしたのもヴァンだけよ!!」

「お前は誰にも止められも追われもせずに屋敷の奥にある中庭まで来た。 ということは、恐らく魔物との戦闘に使っていたあのナイトメアという譜歌を侵入からずっと歌い続け、出会った人間にかけ続けていたのだろう?」

「確かにナイトメアは使ったけれど・・・・・・でもそれだけよ! ただ眠らせただけで、ヴァン以外の人たちを巻き込んだり、危害を加えたりはしていないわ! 私はルークやあなたたちを巻き込んだり危害を加えるつもりなんてなかったのよ。 ・・・・・・今はこれだけしか言えないけれど、どうか信じてくれないかしら?」

ティアは珍しくしおらしく声を落とすと、一見神妙な態度で、微笑みまで浮かべて信用を求めた。
しかし襲撃に加えて数え切れないほど横柄な態度を繰り返し、挙句“危害を加えるつもりはない”などと言うような人間に、 上辺だけしおらしくされても微笑まれても信用する気などなど微塵も沸かず、 逆にそんな台詞を微笑みすら浮かべて言い放てるほどの無知と酷薄を曝け出し、不信と嫌悪感を沸き立てるだけだった。

「お前の使った譜歌のような眠りや痺れの効果を持つ術は、れっきとした攻撃であり、使うのは凶器を振るうのと同義であり、危害を加えることに他ならない。 音律士だと名乗っていたが、ダアトでは音律士に最低限の知識すら教えないのか? こんなことも知らずに眠りや痺れの術を遣えば、同士討ちや民間人の巻き添えが起きかねないというのに・・・・・・ まったく、音律士に譜歌の最低限の知識から教えねばならんとはな」

そうティアの無知に呆れながら、エルンストは教え子に付き添ってダアトで旅をした時に耳にした音律士に関する噂を思い出していた。
荒々しく剣や銃を振るうのとは違い、後方で美しい歌声を奏でる音律士は比較的安全で美麗なイメージがあるため人気が高く、 有力者の娘などが金や縁故で就こうとすることがあるのだと。
しかしそれでも、味方識別していない味方や民間人に対して無差別に使われたりしないように、譜歌の危険性ぐらいは学ぶものだし、 有力者の娘だから戦場に出されずにいたとしても、訓練ぐらいは受けるものだが。
死因や殺害者の判別の難しい戦場でこんな風に危険な譜歌を乱用し、あまつさえ謝罪も罪悪感もなく開き直っていたら、 同僚や部下から恨まれ危険視され、背中から撃たれるのが関の山だ。
安心して背中を預けられる相手が欲しいと思うなら、まずその無知と傲慢、無責任と無神経を改めなければ、 例え同行者がルークやエルンストのような赤の他人や被害者ではなく、神託の盾の同僚や部下だったとしても、ティアの背中を預かろうとはしないだろう。

ティアは音律士をただの歌手か何かと、戦場を劇場か何かと勘違いして、演劇の歌姫気分ででもいたのだろうか?
考えてみれば、ナイフや杖でルークやエルンストを盾にせず戦うこともできるはずなのに、 わざわざ詠唱に時間がかかる譜歌をルークたちに守らせてまで使おうとするのも、譜歌を使うことに妙に拘っているようにも思えた。
エルンストも譜術は使えるが、詠唱の手間を考えて、ルークの稽古の相手も務めていたため所持していた訓練用の木刀の方を使って戦っているのに、 ティアはナイフと鉄製の杖を持ちながら、未だに二人に守らせようと怒鳴りつけてまで譜歌を使おうとする。
確かに剣士と譜術士がパーティを組む時には、剣士が譜術士を守り詠唱時間を稼ぐ戦法が良く使われるが、元々の仲間や友人ならともかく、 初対面で被害者のルークたちを、しかも実戦経験のないルークまでを盾にしてまでそんな戦法をとるのは不自然に過ぎた。
譜歌に関する奇妙な言動も、自分を加害者と思っていないようなのも、やたらと偉そうなのも、 譜歌をただの歌のつもり使い、護衛付きの人気歌手か何かの気分でいるからだろうか?

「眠りや痺れの効果がどうして危害になるのよ? 危害を加えたり巻き込まないように眠らせてあげたのに、それを危害だと責められるなんて訳が分からないわ!!」

「眠りや痺れなど、意識を朦朧とさせたり、身体の動きを鈍らせるような術は危害だからだよ。 寝台に入って眠る時とは違い、立ったり歩いたりしていれば倒れるし、倒れれば床や家具などにぶつかるだろう?」

「え・・・・・・。で、でも屋敷の人達は、みんな動けなくなったり倒れたりしていただけ、で・・・・・・危害、なんて・・・・・・」

「だから“動けなくなる”、“倒れる”のは危害なのだと言っているだろう。 立っているのに動けなくなり、倒れた時に強く体を打ちつけたり、頭や胸などの急所を打っていれば、どうなっていたと思う? 戦う力など持たぬかよわいメイドたちは、多くが食事や飲み物を運ぶなどの仕事中だったが、 腕の痺れで食器などの割れ物を落とし、その割れた破片の上に倒れでもすれば? 老いた庭師は良く花壇の世話をしているが、昏倒して煉瓦製の花壇で頭でも打てば? 硝子を嵌めた窓に向かって倒れれば?馬に乗っていれば?そうした負傷をした上に自分も周りの人間も眠っていて手当もできず助けも求められなければ? 警備が昏倒して無力になった所を別の暗殺者にでも襲われたら?眠って抵抗も逃走もできない所を狙われたら? お前は本当に何ひとつ知らず、分からなかったというのかね? 私は似たような特性の譜術についてもお前が馬鹿にしている貴族の師弟に教えた経験があるが、皆お前よりもそうした危険性への理解が早かったぞ。 命すら危険に晒す攻撃を危害だとも思わず安易に多用し、使った後ですら自覚しないとはな。 お前がやったことは、眠りと痺れの譜歌に限っても、充分に屋敷の人間を巻き込み、危害を加え、命すら危険に晒す行いだ。 それを巻き込んだり危害を加えるつもりがなく、危害を加えたとも思っていないとはどういうことだ?」

ティアが目の当たりにしても何も感じなかった痺れや転倒の危険性を、ティアが何十人もの人々に向けた攻撃の結果起きたかもしれない事態を、 幾つも詳しく説明されて、ティアはやっと危害を否定するのを止め、襲撃の時を思い返す。

廊下に立っていた執事服の男性も、食器を運んでいたか弱そうなメイドの少女や花壇の側にいた老人も、みんなみんな、ティアの譜歌にかけられて倒れていった。
エルンストが言うようにあるいは頭や胸を打つように倒れ、あるいは割れ物を落として破片の側に倒れ、 あるいは抵抗も逃走も、負傷の手当ても助けを呼びに行くこともできないほどに、深遠の眠りについていった。
それでもティアは、沢山の人々が自分の譜歌で倒れるのを目の当たりにしてすら、危険性に気付くことも、危険に晒した人々を気遣うこともなかった。
まるで自分は何ひとつ悪くなく、何の非も責任もないというように、倒れる彼らの中を歌いながら、更に攻撃しながら、躊躇うこともなく歩き続けた。

あなたたちに危害を加えるつもりはない。
ティアが信用を求めて口にしたその言葉は、他人から見れば何の信憑性もなかった。
譜歌をかけるという行動は事故や間違いで起きるようなものではなく、相手の意思を無視して無理矢理眠らせたり痺れさせることが危害でないはずがなく、 音律士のティアは自分が操る譜歌の危険性を知っていなければならなかったのに。
言い訳をしていたつい先程の自分の口を塞ぎたくなるほどに、罪と愚かさと、それを認めず逃避しようとする卑怯さを他人の目に浮き彫りにする言葉だった。

「それにこの渓谷の戦闘でお前が譜歌を使った時、眠りや痺れの効果が発動しなくとも、かけられた魔物は苦しんだり動かなくなったりしていたな。 ということは、眠りや痺れの効果以外にも攻撃力があるということだろう? 攻撃力のある術をかけたが眠らせただけ、巻き込んだり危害を加えるつもりがなく、危害を加えたとも思っていないとはどういうことだ?」

あなたたちに危害を加えるつもりはない。
ティアが信用を求めて口にしたその言葉は、他人から見れば何の信憑性もなかった。
譜歌をかけるという行動は事故や間違いで起きるようなものではなく、ダメージを与える攻撃譜歌が危害でないはずがなく、 音律士のティアは自分が操る譜歌の威力を知っていなければならなかったのに。
言い訳をしていたつい先程の自分の口を塞ぎたくなるほどに、罪と愚かさと、それを認めず逃避しようとする卑怯さを他人の目に浮き彫りにする言葉だった。

「更に、ガイ・・・・・・20代の金髪の青年だが、彼には直接の暴力も振るったのではないのか? お前が中庭に表れる直前、物音とガイの呻き声が聞こえたぞ。 譜歌も何重にも暴力だが、あの時は歌声は聞こえなかったから、恐らく殴るか何かしたのだろう」

「暴力だなんて!私はただ、彼が屋敷が静かすぎると不審がっていたから、騒がれないように殴って気絶させた、だけ、で・・・・・・」

“暴力”という荒々しく、民間人に向ければ軽蔑や嫌悪を沸き立たせる言葉を受け入れられず、 一人前の戦士やローレライの騎士としての自分自身へのイメージを汚されるのを我慢できず、またもティアは言い逃れようとする。 しかし言い逃れしようもないほど明確なものを否定しようとする態度は、またも他者の呆れと嫌悪を煽るだけだった。

「つまり気絶するほど殴ったのか。 屋敷に侵入し、住人を危険な譜歌で攻撃して倒し、それを他の住人に不審がられれば更に殴って黙らせた、と。 音律士でありながら譜歌の威力や危険性も把握していないお前が、 威力を加減したり急所を避けて殴るような真似ができるとも思えないがね。 気絶するほど殴ったが気絶させただけで巻き込んだり危害を加えるつもりがなく、危害を加えたとも思っていないとはどういうことだ? 私の眼には、お前は他人に礼儀や気遣いどころか、生身の人間という意識すら持ってないように映るが、 お前にとって他人は戦闘訓練用の譜業人形や砂袋なのか? 他人を殴ったり譜歌をかけることは、“戦い”や“危害”は、お前にとってままごと遊びか何かなのか?」

これが戦場の軍人同士の戦いや、盗賊などを治安維持や身を守るために討つ時ならば、心を殺して戦うのも分かる。
敵や犯罪者ひとりひとりを心にかけながら殺し合いをしていれば、軍人といえども精神的な重圧に耐えられなくなるのだから、 戦場や任務において非情に徹するのが心の防衛の術になるのは珍しくない。
エルンストとて過去の旅で盗賊との戦いを経験しているから、そういうものまで非難する気はない。

しかしティアの行為は──任務と誤解されかねないのに何故所属を表す軍服を着て行ったのか疑問だが──任務ではなく、 場所は戦場ではなく、攻撃したのは敵兵でも盗賊でもなく、ヴァンだけを狙っていたというなら目的と無関係な人々であり、 メイドなどの戦う力も身を守る術も持たない者もか弱い者も多かった。
任務ではなく、戦場でもなく、目的と無関係な人々に、戦う力も身を守る術も持たない相手にまで攻撃する“戦い”に、 こうも平気でいられるとは、一体どういう認識なのだろう。
軍人として非情に徹しているというよりも、ただ情理に欠けた冷血さと考えなしさ故の愚行に思え、 ティアがどれほど上辺だけで姉や教師のような態度をとろうと、危害や悪意はなかったと言い張ろうと、 信用や礼儀や気遣いを求めようと、薄っぺらい虚飾にしか映らなかった。

「で、でもルークが私に失礼な態度をとったのは事実でしょう!? 今問題にしているのはルークの私へのお前呼ばわりや名前も呼ばないこと、あなたがそれをお説教もせずに甘やかしていることなのに、 どうして侵入のことを持ち出すの!!脈絡のない話で誤魔化さないで頂戴!」

ルークの態度を持ち出せば全ての免罪符になると思ってでもいるかのように、ティアは話を戻そうとする。
ルークの態度の前提を、ティアがルークに何をしたのか、どんな態度をとったのかなど考えようともせず、 ただ自分に失礼な態度をとるルークは愚かだと断じ、それを改めさせるのが正しいと信じ、愚かな過ちを繰り返す。

「ルーク様のお前への態度の是非と、私がそれを説教しないことやお前を邪魔することの理由と是非に、お前の侵入や危害は大いに脈絡があるからだ。 被害者の加害者への態度を失礼と責め、礼儀や気遣いを払うべきだと強いれば、 加害者が先に比較にならない無礼犯罪、攻撃、危害をしても、 被害者は加害者に対して、加害者のしたものとは比べ物にならない程度の無礼もしてはならないと責め、礼儀や気遣いを払うべきだと強いてしまう。 ルーク様がお前の名前を呼ばなかったり“お前”呼ばわりする態度を失礼だと責めれば、きちんと名前を呼び礼儀や気遣いを払うべきだと強いれば、 お前が先に比較にならない無礼犯罪、攻撃、危害をしても、 ルーク様はお前に対して、お前のしたものとは比べ物にならない程度の無礼もしてはならないと責め、礼儀や気遣いを払うべきだと強いてしまう。 それが被害者に、ルーク様に対して横暴で失礼でなくてなんなのだ? 被害者ルーク様は、 加害者お前に、先に何をされても我慢して礼儀や気遣いを払えと言っているようなものではないか」

ティアの名前を呼ばず、“お前”呼ばわりしたルーク。
ルークの“お前”呼ばわりに怒り、名前を呼ぶまで無視していたティア。

先に屋敷に住人に何重もの危害を加えながら不法侵入した加害者の名前を呼ばず、“お前”呼ばわりした被害者。
被害者の“お前”呼ばわりに怒り、名前を呼ぶまで無視していた加害者。


“名前を呼ばない”“お前呼ばわり”というあからさまなものしか見ず、“加害者と被害者”という前提を無視し、 単純に失礼やわがままと断じて責めることで、本当に無礼と非常識を晒していたのは誰だったのか。
そして加害者の名前を呼ばないことやお前呼ばわりを叱るのは、加害者へ礼儀や気遣いを払えと教えるのは、 本当はルークに対し、何を教え、何を要求し、どんな気持ちを向けていることになるのか。
ティアが自分自身を甘やかさず、自分の責任から逃避せず、他人を人形扱いにせずに考えていたなら、分かったはずのことだったのに。

「それともお前は、自分が何をしても、被害者からすら少しの悪意も受けず礼儀や気遣いを払われるとでも思っているのか? だとすれば、甘ったれているのはお前の方だろう。それとも平和呆けというべきか? 神託の騎士団兵が軍服を来てキムラスカの公爵家を襲撃し、王族を巻き込んだことが、 お前ひとりの問題では済まないことも、キムラスカとダアトの間に何を引き起こしかねないのかにも無頓着なことといい、 軍人だというのにお前の言動には、何があっても何をしても平和だと呆けているようにも見えるな。 世間や戦いの厳しさをルーク様に対して教えているつもりのようだが、 お前のその態度が、被害者に自分への礼儀をお説教し、被害者に対して姉か教師のつもりでいられることこそが、 自分は何があっても何をしても、常に他人は自分に対して家族や生徒のように接してくれると、 世間は自分に対して何時でも自分の望む平和な状態でいてくれるとでも勘違いしているかのようだぞ。 生憎と、世間は、私たちは、ルーク様は、お前が望むようにお前を甘やかしても従ってもやらないし、 他者からの礼儀や気遣いを受ける、安心して背中を預けられるというのはお前が思っているような不変の常態ではない。 戦いの厳しさを語るなら、まずは危害を加えた被害者からどんな感情を抱かれるのかを推察したらどうなのだ?」

自分の行動が、その結果が、キムラスカとダアトとの間に何を引き起こすのかに無関心に、公爵邸を襲撃し、王族を含めた沢山の人々に何重もの危害を加え危険に晒し、 眠りや痺れの術や攻撃力のある術を用いることが、他人をどれほど傷付け危うくするのかも知らず知ろうともせずに、 巻き込んで危害を加えた被害者に対して守ってと怒鳴り、安心して背中を預けられる相手ではないと侮蔑してきた。
世間が、他人が、何をしても自分に対して平和的で友好的でいてくれると現実から掛け離れた甘い理想幻想に耽溺し、 戦いの厳しさからも世間の厳しさからも逃避して、“平和”を盲信し呆け続けた。

何重にも危害を加え、危険に晒し、犯罪で出会った被害者に対して姉や教師のように思い上がっていたティアの態度は、 知らないと見下していた戦いの厳しさを、世間を、ティア自身は知らず知ろうともしない無知と傲慢を暴きすものだった。

「私はルーク様の家庭教師であり、ルーク様が本当に間違われた時になら厳しく叱る許可を奥方様から頂いている。 しかし、何故ルーク様のお前への態度を叱る必要がある? ルーク様とお前との関係は友人でも、仲間でも、家族でも師弟でもなく、加害者と被害者に過ぎない。 ルーク様がお前に対して礼儀や気遣いを払わなければならないなどと、そんな常識は何処の世間にある? 何故加害者を甘やかすために被害者に冷酷になり、非常識な振舞いをしなければならない。 私はルーク様の家庭教師だからこそ、ルーク様のお前への態度を叱らないし、お前が教える非常識を否定する。 被害者から礼儀や気遣いを払われないと気に入らないお前などとは違い、 私は加害者が先に比較にならない無礼犯罪、攻撃、危害をしても、 被害者は加害者のしたものとは比べ物にならない無礼すらしてはならない、礼儀や気遣いを払うべきなどと、 お前加害者を甘やかしてやるために、 ルーク様被害者に横暴で失礼なことを言えるほど、冷酷でも非常識でもないのでね」

ルークの態度を責めることで、ルークに礼儀や気遣いを求めることで、浮き彫りにしていたのはティア自身の無知と非常識、 そして過去の罪への無自覚、無責任と逃避、他人への軽視だったと自覚して、ティアは何かに押し潰されているようなみっともない姿勢で蹲る。
尚もエルンストが続けるティアを否定する理由、ティアが教師のような態度をとることで引き起こしかねなかった更なる被害は、 まるで死刑宣告を告げるかのように容赦なくティアの上に降り注ぎ、ティアの教師気分を粉々に叩き壊していった。

「そして私は、ルーク様の家庭教師だからこそ、世間を知っているからこそお前の態度を認めない。 加害者が被害者に対して姉や教師のように振舞い、生徒や弟を叱るようにお説教をしていれば、 それを見た人間はわがままな生徒や弟が教師や姉を困らせているとでも誤解して、被害者に呆れたり責めたりするだろう。 私は各地を旅した時に、そうやって加害者の態度に惑わされて被害者を責める人々、被害者でありながら謂れのない責めを受ける人々を何度も見聞きして、 加害者の態度が被害者への世間の対応を悪化させ、時には第三者まで被害者を傷付けることに加担してしまうことがあると知っている。 お前の家族でも教師でもないのに、かけ離れた犯罪者や加害者という立場なのに、姉や教師のように振舞い叱りつける態度もまた、 ルーク様への危害であり、ルーク様を更なる危険に晒し、第三者まで謂れのない責めに加わりかねない行動なのだから。 お前のお説教とやらに賛同するのも、教師のようなお前の態度を肯定するのも、否定せずに見過ごすのも、 ルーク様が理不尽な責めを受け、負う必要のない傷を負うのを、教師でありながら見捨てるのと同義になるからだ」

ティアはルークを“世間”を知らないと馬鹿にして、ルークの態度が他人の心情を気にかけない無神経なものだと呆れていた。

しかし、そんなティアのルークへの態度こそが、自分の行動が“世間”の人々の心情にどう影響するのかを、 本来非難される謂れのないルークのティアへの礼儀や気遣いのなさ、反発や警戒を“世間”の眼にどう捻じ曲げて映してしまうのかを、 その結果何が起きるのかを知らず気にかけようともしないもので、 “世間”を知らず、他人の心情を気にかけない無神経な、そしてルークに対して冷酷な行動だった。

お前などとは違い、私はルーク様に対して冷酷でも非常識でもないのでね、と繰り返したのを最後に、エルンストがティアを置き去りに足を早めても、 ルークとゾフィーの姿がもう追い付けなくなるほど遠くなっても、もうティアはエルンストに妨害されるまでもまでもなくルークを追いかけることはしなかった。

自分はルークの仲間でも、教師でも、礼儀や気遣いを払われるような立場でもなかったのを、 ルークやエルンストたちの目に自分の言動がどう映り、自分がどんな人間だと思われていたのかを、 そしてルークをどんな危険に晒し、他人のルークを見る目をどれほど謂われなく悪化させてしまうものだったのかを自覚してしまえば、 自分自身への幻滅、引き起こしていたかもしれない結果、ルークたちへの罪悪感は、耐えがたい重さでティアを打ちのめし、 もう平然と仲間のような顔で同行することなどできるはずもなく、ただ三人の姿が見えなくなるまでティアはその場に蹲り続けていた。













ケテルブルクのピオニーの屋敷への侵入事件は小説「真白の未来」とファンダムより。
ジェイドがピオニーに会うためにサフィールを警備を引きつける囮に侵入させた事件です。

ドラマCDにはタルタロスの独房の中でルークがティアに“お前”と呼びかけるのに対して、ティアが気分を害した様子で名前で呼ぶまで無視するというやりとりがあり、 原作のティアは流石に“お前”呼びすら許さないなんてことはなく、ルークが“お前”と呼んでも返答していたので、 この点は原作以上にティアが傲慢で、加害者の自覚がないように映ってしまいました。
しかも襲撃の次の次のトラックがもうタルタロスの(ドラマCDでは投獄されたため)独房なので、このやりとりがドラマCDでのルークとティアの初会話だったりします。 (襲撃のトラックではルークが「なんなんだよお前は!」と問う台詞だけで会話にならず、間のトラックはガイとナタリア、ガイとヴァンの会話など屋敷の様子なので)
設定上はタタル渓谷などを経ているようなので原作の場面で補完するとしても、原作のティアの態度も無礼と問題だらけだったので、 やはり襲撃に加えてその後の態度も問題だらけじゃルークから礼儀を払われなくても仕方ないとしか。
またガイが屋敷が静か過ぎることを不審がる台詞に、ティアの「気付くのが少しだけ遅い!」と怒鳴る台詞、 ぶつかる様な音とガイの呻き声、倒れるような音が続き、呼びかけにも返答がなかったので、ティアはガイを殴るか何かして気絶させたのではないかと。

加害者が被害者を教師のような態度で怒っていると、第三者に目撃されても生徒が教師に叱られているとか誤解を受け、 被害者は助けられるどころか逆に第三者にまで責められるという二次被害を受けることがあるそうです。
ゲームでもティアの襲撃についてはっきり説明した様子がなく、ルークがティアを鬱陶しがって窘められたり、 タタル渓谷に行った時に以前に来た時のことを夜中に二人で?と誤解されてからかわれる場面があったので、 もしかするとガイ以外の同行者もイオンも、ずっとルークとティアを元々の友人か姉弟分か何かと誤解して、 加害者と被害者だったのも譜歌で攻撃したなどのティアが加えた危害も知らず、 ルークのティアへの態度を失礼やわがままと、ティアのルークへの態度をわがままな弟分を叱っているとか受け取ったままだったのかもしれませんね。





                        
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