変わらぬ心と消されたものと







ティア・グランツという少女は、とても清らかで優しい人間だった。
まるで暗闇の中でも清らかに咲き誇る魔界の花のように、数多の汚濁と悪意の中でも、その心は何時も清らかにあった。
ルークが彼女に出会った頃からずっと、ともに旅をした間も、別れのその瞬間までも、変わることなくそうあり続けた。


“あなたに危害を加えるつもりがないのは確かよ”

出会った頃、ティアはルークにそう言った。
意図的な数多の危害を、詫びるのではなく、悔いるのではなく、また焦りながらでもなく平然と微笑みながら、 危害を加えた事実もその意図も“なかったこと”にした。

超振動が起きてタタル渓谷に飛ばされたことは、確かにティアにそんなつもりはなかっただろう。
けれど屋敷への襲撃は、ルークや屋敷の人々を譜歌で攻撃したことは、警備を眠らせて屋敷を無防備にしたことは、 “つもり”が、明確な意図がなければできるはずもなく、危害と分からぬはずもなかった。
そしてティアは、ヴァンがバチカルでファブレ公爵家子息に剣を教えていることを事前に知った上で、あの襲撃を行った。
ヴァンのすぐ側に“剣を教えられている人間ルーク”がいることを知っていて、 公爵家の屋敷と知っていたならヴァン以外の多くの住人が多数いるだろうことも警備が厳重なのも分かったはずで、 そして襲撃の途中でラムダスやメイドなど何人もの住人に遭い、彼らを譜歌で倒しながら、危険な倒れ方をするのを見ながら進み、 屋根の上からルークがヴァンのすぐ側にいるのを見てもいた。
形は違えど巻き込むことになるのは事前に分かっていて、そして不測の事態を除いたとしても予測できたものが幾つもあった。

武器を持ち軍服を纏い、そして住人に譜歌という凶器を振るいながらの侵入が襲撃に他ならないことも。

多くの人間がいるだろう王族や貴族の屋敷で襲えば多くの人間を巻き込み、剣を教えている時に襲えば     “剣を教えられている人間ルーク”を巻き込むことも。

その譜歌ナイトメアに下級譜術に匹敵する威力があることも。

眠りや痺れの術に、転倒などで怪我を追う危険や事故を引き起こす危険、最悪死亡する恐れすらあることも。

常に暗殺や襲撃の危険を持つ王族の屋敷が無防備になれば、それらへの抵抗ができなくなるのと同様だということも。

もしもルークやシュザンヌがその所為で亡くなりでもすれば、ダアトとキムラスカの間で戦争にすらなりかねないことも。

全て軍人ならば音律士クルーナーならば知らぬはずもないが、 明確な意図がなければできるはずがない行動だったが、それでも彼女はルークに言った。
直後に、微笑みすら浮かべて、躊躇いもなく。

“あなたに危害を加えるつもりがないのは確かよ”

ティア・グランツという少女は、とても清らかで優しい人間だった。
どんなに醜悪な汚れも、冷酷さも、意図的に加えた危害も、他人の気持ちも苦痛も、彼女の心は“なかったこと”にしてしまうから。

なかったことだから、謝罪も責任も必要もなく、後悔や恥じる気持ちも沸かない。
なかったことになっているから、自身を“加害者”ともルークを“被害者”とも認識しない。
そしてルークの持つ王位継承者や貴族としての身分も、その身に加えられた危害や横暴がどんな結果を引き起すのかも、 ティアの持つローレライ教団や神託の盾騎士団の一員としての身分も、 その身が加えた危害や横暴がどんな結果を引き起すのかも、どれだけダアトやイオンたちが巻き込まれるのかも、 身分も立場も、他人のものも自分のものも、不都合なものは綺麗に“なかったこと”になってしまう。

被害者を王族を初めから当然のように戦わせたことも、加害者が教官のように怒鳴りつけながら戦いの厳しさを教えることも、姉か教師のようにお説教をすることも。
屋敷を襲撃した方がされた方を、しかもその際に譜歌で攻撃までした相手を盗賊にも劣るように貶めることも、 攻撃に使った当の譜歌への被害者の無知に呆れることも、民間人を護るのは軍人の義務だと語ることも。
キムラスカとマルクトの和平の仲介のために国王への謁見に向かうイオンに、王族への危害を隠蔽することも。
出会った時のルークは安心して背中を預けられる相手ではないと思ったわと回想して謝罪を受けることも、全て彼女の中には違和感はない。
一人前の軍人の立場も、出会った頃からのルークへの蔑視と要求も揺らがない。
そう、“彼女の中”でだけは。

違和感というものは、相反する二つのものを認識しているからこそ抱く感覚だ。
片方を“なかったこと”としてしまえば、違和を感じることすらない。
危害を加えるつもりはないと微笑みすら浮かべて言えるほどに、彼女の中では調和している。
“彼女の中”でだけは。

ティアの心のティア自身は何があっても清らかで優しい少女ままで、他人から見た汚れも、冷酷さも、向けられる幻滅も敵意も気付かないままだった。
まるで暗闇の魔界でも清らかに咲き誇る花のように、己の言動が作りだした数多の汚濁とその結果の悪意に塗れきった 世界現実でも、 幻想の彼女は何時も清らかに驕り高くあった。
それ故に彼女は変わろうともせず、信頼を取り戻そうともせず、取り繕った化けの皮が剥がれた時のことを考えようともしないまま、 ルークが彼女に出会った頃から別れのその瞬間まで、ずっと変わることなく冷たく汚ないままであり続けた。


ガイ・セシルという青年は、とても爽やかで友情に厚い人間だった。
時には光に、時には影に、器用に二つの姿を幾度も使い分けながら、七年間を使用人としてルークの側にいた。
ルークが彼に出会った頃からずっと、ともに過ごした七年間の時も、別れのその瞬間までも、変わることなくそうあり続けた。


“友達だろ?”

アクゼリュス崩落の後、ガイはルークと再会した時にそう言った。
ヴァンの同志としての関与を打ち明けることも、アクゼリュス崩落を共に背負うこともなく、 また焦りながらでもなく平然と笑いを浮かべながら、スパイだった事実もその意図も“なかったこと”ことにした。

アクゼリュス崩落とルークを崩落に利用することは、確かにガイはそこまでは知らされていなかっただろう。
けれどヴァンがルークを騙していることは、それが形は違えど利用と殺害という悪辣な、ルークが傷付く目的故なのは、ヴァンに師匠と懐くルークが本当は騙されていることは、 ヴァンを“ホド消滅の復讐を誓った同志”だと思っていたなら知らぬはずがなく、その協力と見捨てることに悪意がなかったはずもなかった。
そしてアクゼリュス崩落までは目的を、自分の協力が本当は何への協力になっているのか知らなくても、崩落の後には知っている。
ヴァンの目的が、引き起こす災禍がアクゼリュス崩落に留まらないことも、 ガイの持つ同志として幼馴染としての情報は、重要かつルークやティアたちは持ちえないものなのも知っていて、 何度も、何カ月も、友や仲間の当の敵との共犯を、引き起こした災禍への関与を、重要な情報を、 崩落の後もヴァンの復讐以外の危険性を知る前も知った後も、隠し続けていた。
形は違えどルークへの危害になるのも、隠している情報が重要なのも事前に分かっていて、 そして不測の事態を除いたとしても予測できたものが幾つもあった。

ヴァンの同志として共犯者として、主人としてスパイをしてきたことも。

形は違えど、ヴァンがルークに利用と殺害という悪辣な、ルークが傷付く目的故に騙していると知っていたことも。

ヴァンがルークを騙すのを承諾し、協力し、騙されているルークを見捨ててきたことも。

ずっとルークを裏切り見捨て続け、ルークよりもヴァンと自分の復讐心を選び続けてきたことも。

それが結果的にはヴァンによるアクゼリュス崩落と、そのためにルークが利用される一因になったことも。

全て当時はルークもティアたちも知らずともガイ自身が分からぬはずがなく、 全ては知らなくともヴァンの悪意や利用や、騙していることは知らぬはずがなく、 知らなくともそんなつもりがなくとも結果を背負わねばならないとルークに強いたのはガイ自身だったが、 それでも彼はルークに言った。
直後に、笑いすら浮かべて、躊躇いもなく。

“友達だろ?”

ガイ・セシルという青年は、とても爽やかで友情に厚い人間だった。
どんなに醜悪な裏切りも、スパイ行為も、陰湿さも、欺瞞も、他人の気持ちも苦痛も、彼の心は“なかったこと”にしてしまうから。

なかったことだから、告白も背負う必要もなく、後悔や恥じる気持ちも沸かない。
なかったことになっているから、自身を“裏切り者”ともルークを“裏切った相手”とも認識しない。
そしてルークの持つ王位継承者や貴族としての身分も、その身に加えられた危害や横暴がどんな結果を引き起すのかも、 ガイが平然と復帰したマルクト皇帝の臣下、マルクト貴族としての身分も、 その身が加えていた危害や隠蔽がどんな結果を引き起すのかも、どれだけ主君と呼んだ二人ともをを欺いているのかも、 身分も立場も、他人のものも自分のものも、不都合なものは綺麗に“なかったこと”になってしまう。

何も知らずとも逃げることは許されないのだとルークに突きつけて幻滅し、自分は何も関与していないような顔で立ち去ることも。
ずっと側にいても騙すのに協力し、助けず見捨て続けた相手の側に、いてやらないと語ることも助けてやっていたつもりになるのも、 全てをルークだけに背負わせたままでお前だけに背負わせたりしないと語ることも。
仲間や友が戦っている当の相手との共犯を敵が明かすまでずっと隠し続けたことも、新たな主君にもまた隠したままでいることも。
何重にも騙し隠していた当の相手の“友に隠し事をするような根性”の矯正を目論むことも、全て彼の中には違和感はない。
ルークの親友の立場も、共に過ごした時への美化と陶酔も揺らがない。
そう、“彼の中”でだけは。

違和感というものは、相反する二つのものを認識しているからこそ抱く感覚だ。
片方を“なかったこと”としてしまえば、違和を感じることすらない。
友達だろと笑みすら浮かべて言えるほどに、彼の中では調和している。
“彼の中”でだけは。

ガイの心中のガイ自身は何があっても爽やかで友情に厚い好青年のままで、他人から見た陰湿さも、欺瞞も、向けられる幻滅も哀しみも気付かないままだった。
表では親友の顔で笑い、影では共犯者の顔で嘲笑い、狡猾に相反する顔を使い分けながらルークを陥れていた七年間の過去を、 そして迷いはあれど結局はルークよりもヴァンと復讐心を選び続けたことを、なかったものと決別したつもりになって、 己の言動が作りだした数多の影とその結果の失意に塗れきった世界現実でも、 心中幻想の彼は何時も光だけだったように煌めいて驕り高くあった。
それ故に彼は変わろうともせず、信頼を取り戻そうともせず、取り繕った化けの皮が剥がれた時のことを考えようともしないまま、 ルークが彼に出会った頃から別れのその瞬間まで、ずっと変わることなく陰湿で欺瞞のままであり続けた。
















                        
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