ルークが帰ってきたら自分の想いを、ずっと胸に秘めて暖めてきた初めての恋心を伝えよう。
ティアはエルドランドでの別れの時にそう決意し、二年間ずっと夢見ながら待ち望んでいた。
その夢想の中のルークは、鈍さや照れからティアに応えるのを躊躇うことはあっても、拒むことも嫌がることも、 また反発や、敵意や、無神経さといった出会った頃のルークのような態度の悪さを表すこともなく、何時でもティアに従順に、怯えた子供のように微笑ましく振舞った。
きっと帰ってきたルークもそうすると、自分はルークに受け入れられるはずだとティアは確信していた。
ティアに都合の悪いことは、ルークがティアに反発や敵意を向ける原因は、“なかったこと”になっているはずだったから。

しかしルークがタタル渓谷にアッシュと共に帰還した時、何故か敵意と警戒を露わにした態度のアッシュは直ぐにルークを連れてキムラスカに戻ってしまった。
その後も以前とは違いダアトとキムラスカとに離れたことや、多忙を理由に避けるように誘いを断られ続けていたため、 ティアがルークに直接会えることはなく、取り持とうとしたガイも同様に避けられるように会えずにいた。

そうして半年ほど経ち、ようやくルークがティアの誘いに応じて二人で会う場を儲けた時。
待ちかねたティアは溜めこんだ熱に浮かされたような口調で想いを、初めての恋心だとティアが思っている気持ちを伝えたが、 重荷でも背負わされたかのような疲れた声でルークから返されたのは、拒絶と、疑惑と、そして永遠の別離だった。

「俺はティアを好きになんてなれないし、ティアが俺のことを好きだとも思えないんだ。 例え恋だとしても、ティアのそれは俺にとっては受け入れられないし、付き合いきれもしないよ。 何より、もうティアには恋人とかでも仲間や友人としてでも、立ち入りたくない。──もう、嫌なんだ。疲れたんだ」

「す、好きだとも思えないってなんなのよ!? 私が私の口から好きだと言ってるのに、どうしてそれを疑うの! 変わったと思っていたのに、どうしてそんな人の気持ちが分からない、無神経な態度をとるのよ!!」

当然受け入れられると二年半も、旅の間も入れれば三年以上もの間抱いていた確信に、 夢見ていた幸せな未来に沿わない反応を返されたことにティアは一瞬呆然としたが、 すぐに呆れと蔑みを加えた声音で、酷く愚かなことを叱るような口調で責め立てた。
まるで出会った頃のあなたに戻ったみたいじゃない、そう見下す様に睨むと、ルークは怯えたように身体を震わせて青褪める。
その親に怯える子供のような表情が、見限られるのを恐れるようなルークの反応が、ティアは特に好きだった。
“変わった”後のルークを思い出させる反応にティアはますます前言の撤回を、謝罪を、そして自分の想いを従順に受け入れるのを期待して胸躍らせた。

しかしルークは怯えながらも何かに支えられているように崩れることなく、目を逸らさずティアをちゃんと見続けたまま、 耐えがたい悪臭の中で吐き気を堪えているかのように顔を顰め、もう嫌なんだと繰り返した。

「俺はもう、疲れたんだよ。もうティアの何もかもに、疲れたんだ。 いや、本当はずっと前からそうだったけど、もう気付いたから、辛い理由も分かったから、 今の俺はティアのことをちゃんと見てるから──だから、もう嫌なんだ」







幻想の幸福、毒沼の恋







誰からもまともに叱られない、それがティアの不幸の発端だった。
祖父も兄も、ティアを一人前の軍人に教育しようとはしなかった。
テオロードは元々ティアが軍に入ることを反対していたし、 ヴァンは一見ティアを可愛がっているようでティアの行動にも人格にも無頓着な所があった。
今思えば、どうせレプリカ計画が成れば若くして殺してしまうのだからと成長など無意味なものと思っていたのかもしれない。

軍でもティアの無知や傲慢、非常識な行動等は幾度となく教官にも同僚にも眉を顰められたが、 総長のヴァンがすぐに抑えてしまうから厳しい叱責も罰も受けず、 あっさりと音律士クルーナーになれ、響長に上がれ、 実力も実績も、そのための努力もろくに伴わない昇格は、半人前以下のティアに一人前の戦士としての間違った自信を与えてしまった。

やがて何をしても何が足りずとも、叱られも罰も受けず縁故昇格する問題児の無能響長として噂になったティアには、上官もおざなりな対応しかしなくなり、 同僚の中にひとりの友達もできず、私的な手紙のやり取りすら一度もしたことがないほどに、周囲から疎外されていった。
ルークは軟禁によって他人との接触を限られていたが、ティアは精神的に人との接触が限られていったようなものだった。
物理的には接触をしても、仕事に必要な会話はしても、心を触れ合わせたことなどなかったのだから。

他人との心的接触に欠けた中で敏感な思春期を過ごしたことは元々のわがままで夢見がちな性格に悪い意味で拍車をかけ、 忌避や白眼視は自分を認めない周囲への反発と、周囲に認めて貰えない自分自身への劣等感になり、 それを払拭するためにますます自分の中の自分像を理想化しては陶酔し、その結果また疎外と非難は増していく、悪循環だった。

そんな時に最悪な形で出会ったのが、ルークだった。

ティアはルークと出会った時から、異様なまでにルークを嫌悪し、敵視し、貶めようとした。
厳しいというには冷酷で横暴に過ぎ、優しさやお説教というには非常識に過ぎる、ティアとルークの関係にも互いの立場にも遭わない、 矛盾した奇妙な態度を、執拗なまでに取り続けた。
それは、ルークがティアの中に“立ち入ってしまった人間”だったからだ。

当時のルークは、ティアに屋敷を襲撃され、下級譜術にも匹敵する威力を持つ危険な眠りの譜歌での攻撃など何重にも危害を加えられる出会い方をした。
それによってルークはティアの“被害者”という、非常に重要で(友好や親密の意味ではなく)近しい立場になった。
幻想的な理想のティアではなく、現実にティアがとった行動に、その意図的な行動から推察される素の人格に深く関わった、初めての他人だった。

ティアはルークを恐れた。
ルークの身分でも知識でも人格でもなく“ティアの被害者”という立場が、ティアの心中に歪んだ自己愛と陶酔の壁を破って侵入し、 理想の自己像と相反する“加害者”としての現実の姿を、自身に突きつけて幻滅させてしまうから。
だからルークに対して時に敵にするように攻撃的な態度を取り、時に姉か教師か、軍の教官だとでも勘違いしているような馴れ馴れしい態度をとった。

ティアにとって、自分の心的領域に侵入し、自己幻滅と自己嫌悪の痛みを感じさせるルークは、まさしく“敵”だった。
だから厳しいというにはあまりにも冷酷で横暴な態度で攻撃し、“立ち入られる”ことを防ごうとした。
不慣れな戦闘に心身を疲弊させるルークを更に詠唱中は護れと要求し、やっと戦闘を終えれば調子に乗るなと怒鳴りつけ、 盗賊と一緒にするなと言えば盗賊が怒るかもしれないと、イオンは人がいいと言えばルークとは正反対だと、 何かとルークの言動に、それもなんでもないようなものに侮辱を向け続けた。

ティアにとって、認められない被害者という立場を持ち反発を表すルークは、まさしく“敵”だった。
だから優しさやお説教というにはあまりにも非常識や不似合なものを常識のように思い込ませ、ティアとルークの関係やルークの立場を捻じ曲げ、思考や行動を支配しようとした。
被害者という立場を弟や生徒や、訓練を受ける新兵のように、被害者の反発的な態度を姉や師への無神経さや横柄さのように捻じ曲げて、 仲間や友人に向けるような失礼ではない態度や気遣いを求め、できないことを愚かや未熟さと蔑んで、 何かとティアにとって都合のよい非常識や、二人の関係や状況に相反する態度を教え込み続けた。

近寄られないように攻撃したかと思えば、異常なまでの馴れ馴れしさで支配しようとし、また攻撃、また支配と繰り返す激しくぶれた振舞いは、 自分の領域に立ち入ってくる“敵”への対応という点では、一貫していた。

現実に見合わない過剰なまでの自己愛と自信は、裏を返せば現実の自分への愛や自信の欠如と飢餓だ。
どれだけ幻想に耽溺しても、幻想への称賛を受けても、心の奥底の自分自身は飢えたままで、決して満たされることがない。
また現実の問題が解決することも現実の自分が成長することもないから更なる問題を起し、心的領域に立ち入る被害者や危害が増え続ける。
その飢餓を埋めるために更に幻想に耽溺し、心的領域に立ち入る立場の他人に攻撃的で支配的になり、壁を作って引き籠る。悪循環は止まらない。
思えばこそ叱るという厳しさの中の優しさを、ティアの他人から向けられないだけではなく、自分で自分に向けることもできなかった。

“私に立ち入らないで!私の理想を壊さないで!加害者の姿なんて自覚させないで幻滅や自己嫌悪なんて不快な思いをさせないで!! 私は悪くない、悪くないのよ、このままずっと甘い幻想の中に引き籠っていたいのよ!立ち入らないで!!”

親友に殺されかかり、元々殺意があったからだと明かされて落ち込んでいるルークに、 “自分がほんの少しの悪意も受けることのない人間だと思っているの?”と責め、 “ガイだって人間だもの。きっと今まであなたに仕えていてかっとなることもあったと思うわ”と罪悪感を煽ったのも、それ故だった。

あの時、ガイはカースロットの解呪が終われば正気に戻り話を聞けるし、 ルークもひとりで考えて決めつけることなく、ガイからちゃんと話を聞くことを望んでいた。
“ほんの少しの悪意”や“かっとなる”ようなものではなく、勝手なことでもなく、 “元々ガイにあなたへの強い殺意がなければ攻撃するような真似はできない”とイオンから聞き、 “強い殺意”とそうなるほどの憎悪を向けられていたことに苦悩していた。
それなのにティアは、ガイが解呪を終え、その口から本当の理由を聞くまでの僅かの間を待つこともなく、 状況にもルークの苦悩にもイオンの話にも合わない勝手なことを、惨い言葉で投げつけた。
まるでルークにガイに殺意を抱かれた責任があったとでも言うように、ルークの自業自得のように思わせて罪悪感を煽った。

悪意を向けられたり傷付けられることを被害者の責任のように捉えるのは、とても危うい考え方だ。
無差別的なものや加害者の身勝手で起こるもの、被害者自身の所為ではなく被害者に近い誰かが関係するもの、 被害者が傷付くことで得られる何かを求めてのもの、勘違い、嫉妬、利用、欲望・・・・・・。
誰かに悪意を向けられたり傷付けられるという事態は、被害者自身には原因や責任がないものなど、幾らでも起こり得る。

確かに中には向けられている方が先に危害を加えていたり今まさに危害を加えている最中で、 その反発や警戒、恐慌や身を護るためなどで起こった悪意や危害もあるだろう。
しかしあくまで“中には”であって全てではなく、個別に原因がある。

被害者自身に原因や責任がない場合にあるように捉えてしまえば、最初に向けられた加害者からの悪意や危害に、 他人からの非難や被害者自身の自責が加わってしまい、更に苦痛や不安を増すことになる。
加害者への怒りや反発も、被害からの脱出への気力も、被害者にも責任があったという捉えれば抑圧され、罪悪感や無力感に苛まれ、逃避や抵抗もし難くなってしまう。
悪いことを悪いと捉えるのと、悪くないことまで悪いと捉えるのとは違うのだ。

けれどティアのように、他人を精神的に攻撃や、支配しようとするタイプの人間にとっては、対象が悪意や危害への自責感を抱くのは非常に都合が良い。
ルークがそうなればティアの攻撃的な態度に“俺がティアがかっとなるようなことをしたからだ”と捉えてしまい、ティアの方の原因や責任を考えなくなるし、 劣等感からティアがお説教する非常識や不似合なものを常識と思い込ませやすくもなる。
また被害者意識が抑圧されれば、出会った時にティアから受けた被害への反発や怒りも抑圧されるから、ティアへの加害者という認識も混乱する。
ティアが自分の心的領域を護るのに、自分の否を捻じ曲げて逃避するのに、自分の幻想にルークを巻き込んで利用するのに、 悪くないことまで悪いと捉えて自責するような思考は、非常に好都合な、望ましい変化だった。
そしてその対象が恋愛感情を抱く相手なら、自分から離れ難く、言うことに従順になることは、 好きな相手を縛りつけて想いを受け入れさせようとするのにも好都合なものになる。

無論、そんなものはティアの身勝手な理由だ。

ルークがティアの心的領域に立ち入った被害者になったのは、 ルークの屋敷を襲撃し、下級譜術にも匹敵する威力を持つ危険な眠りの譜歌での攻撃など何重にも危害を加えた、ティアの意思と行動の結果であり、 その所為でルークの方も、屋敷に立ち入られたのみならず心的領域に、“加害者”や“危険人物”という恐怖や警戒を沸き起こさせる存在として立ち入られている。
更には初対面の、それも襲撃という出会い方をした人間から、姉か教師か、教官の様な馴れ馴れしさで立ち入られ続け、 冷酷で横暴な態度で攻撃されることで“加害者”や“危険人物”としての立ち入りは増し続けた。
それこそ“立ち入るな!”と何重もの意味で怒りたいのはルークの方だろう。

しかも不満の根本はティア自身の内奥にあるから、他人が幾ら気遣っても、優しくしても、従順になっても、称賛しても、 ティアは決して満たされることがなく、悪循環によって増長し、止まることなく新たに問題を引き起し他人への要求を肥大化させていくのだから堪ったものではない。

それでも平時にひとつやふたつなら、信頼や相談できる相手がいれば、まだ耐えられたかもしれない。
しかしあの時のルークは、屋敷から襲撃という犯罪によって、譜歌という直接的な危害をも受けて飛ばされるという異様な状況下にあった。
犯罪や他国の旅で不安定な精神に、常に昼夜問わず旅に同行している人間から、それも最初に危害を加え、未だ警戒している加害者から、 執拗に、幾度も、何カ月も繰り返されれば大人でも耐えられなくなる。
挙句には、友人で幼馴染であったはずのガイは最初からティアに対して友好的で、ティアがルークに向ける異様な言動をろくに諌めもしない。
ひとつひとつは耐えられるようなことでも何度も繰り返されれば、平時なら耐えられることでも非常時では限界になるのに、 ルークはその双方に、何重にも何カ月にも渡って晒され続けた。

人は傷付けられ続ければ、やがて感覚が鈍磨になって傷付けられている自覚や、つけられた傷に対する思考すら薄れて行く。
それは慣れでも、強くなったのでも、まして相手を許したり受け入れたためでもなく、耐えられない痛みを鈍くさせることで耐えきろうとする防衛反応だが、 あくまで一時的に感覚が鈍磨するだけで、傷付けられればその分傷付き続け、感覚が戻れば一気に吹き上がり痛みを湧きあがらせ、蘇った思考が不安や不信を抱かせる。
最初はティアに対して反発していたルークの態度が和らぎ、ティアの侮蔑にも過大な要求にも、昔のように怒りや嫌悪を示さなくなったのは、そのためだった。
恐らく出会った頃のルークであれば、“あなたは安心して背中を預けられる相手だとは思えないわ”などとティアに言われれば、 悪かったなどと認めることなく、怒りや反発を表していただろう。

ティアは平然と出会った頃のルークはとても安心して背中を預けられる相手ではないと思ったと言い放ち、 ルークの悪かったという自責を当然のように見ていたが、それはティアの足元に開いた奈落を浮き彫りにしていた。

加害者から背中を預けられる相手ではなかったと言われ、被害者なのに怒りも反発もなく、それどころか自責を表した。
加害者の居直りや横柄さへの怒りや反発が、ティアと出会った頃のルークにはあったのに、後のルークにはなくなっていた。
まるでティアが悪くないか、危害もその意図もなかったことだとでも思っているように、 出会った頃のルーク被害者ティア加害者から 背中を預けられる相手と思われないことは悪いことだと、互いの関係を元からの仲間か、教官と新兵のように勘違いしているように、 ティアの横柄で無責任な言葉に怒りも反発もしなくなり、それどころか謝るほどに、 ルークはティアの向けた危害も意図も、そういうティアの人格も、互いの関係も認識できなくなっていた。
それはルークはティアの事情を酌量して寛容になったのでも、真摯に責任をとったから赦したのでも、 好意や友情を抱いて優しくなったのでも姉や師のように尊敬して従順になったのでもなく、 ただティアの否をなかったことにして、互いの関係を幻想のように捻じ曲げて、 自分の否ではないことを否だと背負って自責に陥るようになってしまったに過ぎないという、欺瞞と歪みの表れだった。
だからルークは、ティアを許すことも、ティアと和解することも、本当にはなかったのだ。

ルークは当時から和解も許しも、知っていたしできる人間だった。
ヴァンから預かった剣術の奥義書という高価で大切な、ヴァンに懐いていたルークにとっても思い入れが深かったものを失くしてしまったメイドのマキのことも、 泥棒の濡れ衣をかけた挙句に、乱暴に引っ立てて倒れるほど強く蹴りすらしたエンゲーブの村人たちのことも、許し、和解できるほどに、他人への容赦を知っていた。

しかし悪いことを悪いと認めない所には、容赦も和解も起こりはしない。
危害を加えたことも、その意図も、悪くないと思ったりなかったことになってしまったら、容赦や和解など考えようともしなくなる。
容赦というのは否がある行為に対して向けられるもので、否を認めるからこそ容赦される可能性も生じるのだから。
否を“なかったこと”にするというのは、容赦を永久にされなくなることと同義なのだ。
そして和解とは対立という前提があるから行われるもので、その原因を捻じ曲げた先には真の和解はない。
ルークが横柄で無神経だったからだと原因を捻じ曲げた対立の先に和解した所で、捻じ曲げられる前のティアの否に起因する対立はそのままだ。
覆い隠しただけでは否も愚かさも減ることはなく、覆い隠そうとすることによってまた過ちを増し、積もり積もって重荷になって押し潰す。
ティアの幻想も、可能性も、そして幻想に付き合わされるルークの心も。

思考停止と容赦は全く違うし、むしろ相反するものなのに、ティアはあれほど浮き彫りな反応にすら、無頓着なままに自省も自覚もしなかった。
ティアは自分が加えた危害や意図をなかったことにし、自分の否を認めなかったことで、許しや和解の可能性を閉ざしてしまった。

けれどティアが想定し護り振りかざそうとするのは常に自分の立場だけで、それに不都合な他人の立場など、無視や捻じ曲げて否定するものでしかなかった。
だからルークを一緒にすれば盗賊が怒るかも知れない、出会った頃のルークはとても安心して背中を預けられる相手ではないと思った、 などとティアの立場からもルークの立場からも不似合いな、むしろティアの方がこそルークや他人から向けられるような言葉を 幾度も、何時までも、際限もなく向け続けることができた。

そうやって真実の自分自身を認めることができず、ルークを攻撃し捻じ曲げ支配しようとすることで、 ティアはますます幻想の壁の向こうへと他人を遠ざけて引き籠っていった。
安全な箱庭の中で自分を、自分だけを大切に大切に護り増長させ、人を傷付けていることもその意味も分からないままに。

ルークは、最初から最後まで、決してティアの仲間や友人だったことなどなかった。
ティアはルークと、昔は──彼女の認識ではルークの横柄や世間知らずや無神経の所為で──仲が悪くとも、今は仲が良くなったと、仲間や友人になれたと思っていた。
ルークがティアを気遣い、過去の態度を謝罪し、従順になり、それをティアが満足そうに受け入れては頬を染める様子は、 上辺だけを見れば仲が良くなったようにも見えたかもしれない。
けれどそれは加害者と被害者という二人の真実の関係を捻じ曲げ、ティアの加害者としての立場と行動を、そこから推し量れる意図や人格を覆い隠し、 そしてルークの被害者としての立場や反発を、ルークが向けられた悪意や危害を否定した上の、 ルークを捻じ曲げ虐げ貶めての犠牲によって成り立つ欺瞞の関係に過ぎなかった。

ティアはそんな歪んだ浅薄な関係しかルークとの間に築けず、自ら幻想の壁の中に引き籠ることで築く努力も放棄していた。
それがティアの、ルークへの情の浅さ、あるいは歪さの証明だった。
そして一年近く共に過ごしても変わらず、それどころか増長していった過去は、これからもティアと共に過ごせば繰り返されるという、暗い未来の預言でもあった。

“私はいつでもあなたを見限ることができるわ”

人は人に見限られることがあるのだと、本当に分かっていなかったのは、誰だったのだろう?

「だから俺はティアを好きになんてなれないし、ティアが俺のことを好きだとも思えないし、 例え恋だとしても、ティアのそれは俺にとっては受け入れられないし、付き合いきれもしないんだよ。 何より、もうティアには恋人とかでも仲間や友人としてでも、立ち入りたくない」

甘やかされた環境に発端があったとしても、壁を作って引き籠り、幻想に溺れ、否を認めず、無知で愚かな自分のままに甘んじたのはティア自身だ。
彼女の精神の引き籠りはアッシュのように誘拐された訳でもルークのように軟禁されていた訳でもなく、王命などの強制力があった訳でもなく、 幻想を幻想と気付く機会も自分の行動と結果を自覚する機会も、壁を壊して精神的引き籠りから脱却する機会も、欺瞞的な関係を止める機会も、何度もあった。

けれど結局ティアは、最後までそうすることはなかった。
ティアはティア自身の意思で、ルークの犠牲の上の欺瞞的な関係を、決して真実の仲間にも友人にも、まして恋人にもなれない歪な関係を選び、 自分自身の精神的引き籠りと逃避、幻想への耽溺をこそ選択した。
仮に初恋だったとしても、憧れていたような暖かなものでも優しいものでもなく、人を害する淀んだ毒沼のような恋だった。

どれだけ美化しても抑えつけても、臭いものの上に蓋をして一時的に香料で誤魔化すようなもので悪臭もその元もなくならないし、 蓋が外れれば香料で誤魔化せなくなれば元の黙阿弥になるように、 ルークがティアを、ティアとの行動と気持ちと、互いの立場をちゃんと見れば終わる、薄っぺらく浅はかなものに過ぎない。

だから帰還してからティアの攻撃と支配から解放され、鈍磨していた感覚を傷付けられた記憶と痛みと共に蘇らせ、 家族や信頼できるラムダスやメイドたちや、中立的な立場のグレンやネフリーなどに相談して色々な意見を聞き、 幻想と罪悪感から脱却したルークがティアの告白に返したのは。

「俺はもう、疲れたんだよ。 ティアに攻撃されるのも支配されるにも監視されるのも、俺の立場や気持ちを無視されるのも、 非常識を押し付けられるのも欺瞞や幻想の犠牲になるのも、もう何もかもに、疲れたんだ。 いや、本当はずっと前からそうだった。気付いていなかったから自分がどうして辛いのかも分かってなかっただけで。 でももう気付いたから、今の俺はティアのことをちゃんと見てるから、口だけじゃなく現実のティアの行動をちゃんと見て推察するから、 そして俺自身の立場を気持ちをちゃんと見て、どうして辛いのかも分かったから──だから、もう嫌なんだ。 ・・・・・・さよなら、ティア」

拒絶と、疑惑と、そして永遠の別離。
立ち入らないでと怒鳴り、ちゃんと見ようとはせず、壁の向こうに遠ざけてきたティアの今までの行いの、 際限のない増長の、向けてきた悪意と非情の、──ティア自身の数多の愚かさの、結果であり報いだった。
















                        
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