幻想への称賛、真実の孤独







自分の周りには厚い壁があるようだと、ティアは何時頃からか奇妙な違和感を感じるようになっていた。

出会った頃から、ティアはルークに対して不満を持っていた。
当時のルークはティアに何かと反発し、文句を言い、安心して背中を預けられる相手だとも思えず、ティアの眼には態度の悪いわがままお坊ちゃんにしか映らなかった。
ガイがルークとは違い最初から友達にするように友好的で紳士的だったのも、ルークとの差を感じさせて侮蔑に拍車をかけてたのかもしれない。

何時頃からか、ルークのティアへの態度は変わった。
ティアに、そして何かとティアを誉めてくれるガイにも仲間たちにも従順になり、 ガイと同じようにティアは優しいと誉め、ティアは辛いのだと気遣ってくれるようになり、 ティアは最初はそれを良い変化だと受け止めて、褒められたり気遣われる度に胸を弾ませてうっとりとしていた。

「うん。ガイの言うとおりティアは優しいよな。 軍人らしく民間人を護るし、出会った頃から俺のこと姉みたいにお説教してくれたし、俺に戦いの厳しさを教えてもくれたもんな」

ガイがティアを優しいと、ティアの優しさをちゃんとみろと言い、ルークが肯定とティアへの称賛を返す。
それはこの一行では幾度となく繰り返されてきた光景で、ガイが満足そうに笑ってルークの肩を軽く叩きお前も成長したなと返すのも、 仲間たちがそんな二人とティアを微笑ましそうに眺めるのもまた何時もの反応だった。

かつてはティアもその中で微笑んでいた。
仲間からの、そして好きな男からの称賛と、傲慢で態度の悪かったルークの変化が嬉しかった。
けれど、今は。

「ルークもティアの優しさをちゃんと見てやれよ、お前はあからさまなものしか分からない所があるからな・・・・・・」

「うん。ガイの言うとおりティアは優しいよな」

──あなたたちの言う“私”は何処にいるの?
ガイ、ルーク、みんな、本当に私のことがちゃんと見えているの?

「軍人らしく民間人を護るし」

──違う。
私は民間人を、護るどころか危害を加えた。
ナイトメアで、攻撃力のある、危険な眠りと痺れの譜歌であなたたちを襲った。
実戦経験もなかったあなたのことも、護るどころか詠唱中の盾にしていた。
あなたの屋敷でなければならない理由などなかったのに、音律士として軍人として想定できる危険だったはずなのに。
軍属である限り民間人を護るのは軍人の義務だなんて口で言いながら行動は、あなたにしてきたことは。

「出会った頃から俺のこと姉みたいにお説教してくれたし」

──違う。
出会った頃の私は加害者で、あなたは被害者だった。
何重にもあなたに危害を加え、巻き込み、自分が無知で愚かだということを晒していた私は、 あなたにお説教ができる立場でもあなたの姉のように振舞える立場でもなかった。

「俺に戦いの厳しさを教えてもくれたもんな」

──違う!
私は軍人で加害者だったのに、実戦経験もない被害者のあなたを当たり前のように戦わせていた。
詠唱中は護れと盾にして、それでも戦っていたあなたに調子に乗らないでと罵り、安心して背中を預けられる相手ではないと見下していた。
戦いの厳しさを教えたなんて美化しようもなく、冷酷さ以外の何物でもなかったのに。

「本当にルークってば変わったよねぇ。 昔はティアのことどう思ってるのか聞いてもうざいとか答えちゃったのに」

「昔のルークは考えなしのわがままお坊ちゃんだったからな。 あからさまなものしか見えないのはお前の悪い所だったけど、今は成長したよなぁ」

「うん、昔の俺は本当に、わがままで駄目な奴だったよな・・・・・・。 ティアもあの頃の俺のことを一緒にされたら盗賊が怒るとか言ってたし、安心して背中を預けられないって思ってたんだろ? ごめんな・・・・・・ティアのこと苛々させてて、信頼もされなくて、うざいとか言ったりして、本当にあの頃の俺は・・・・・・」

ガイが、仲間たちが昔のルークを貶め、ルークが自己否定と謝罪を返す。
それもこのパーティでは幾度となく繰り返されてきた光景で、ガイがまた満足そうに笑ってルークの頭を撫でるのも、 仲間たちがそんな二人とティアを微笑ましそうに眺めるのもまた何時もの反応だった。

「昔はティアのことどう思ってるのか聞いてもうざいとか答えちゃったのに」

──違う。
それは当たり前、ううん私を甘やかしていたほどだった。
屋敷を襲って、危害を加えて巻き込んだ加害者で、その上に戦わせて盾にしてお説教して罵っていた私は、もっと厳しい仕打ちを受けても仕方なかった。
鬱陶しいぐらいで済むのは、普通ならありえないぐらいに容赦をされていた。
最初から友達にするように友好的で紳士的だったガイの方が異様で、恐らくは主従のフェンデ家の娘だと同志の兄さんから知っていたからのもので、 友達でも仲間でもない他人で被害者のあなたの態度がガイとは違うのは、劣ることでもなんでもなかった。

「あからさまなものしか見えないのはお前の悪い所だったけど」

──違う。
私がルークに加えた危害、態度、それが表す傲慢さや冷酷さや非常識さ。
あからさまなそれを見れば、あの頃のルークが私に態度を悪くするのは当たり前だった。
反発や文句程度の態度で済んだのは、普通ならありえないぐらいに容赦をされていた。

「ティアもあの頃、俺のことを一緒にされたら盗賊が怒るとか言ってたし、安心して背中を預けられないって思ってたんだろ?」

──違う!!
それはあの頃の私が、自分のしたことに考えなしだったから。
自分が加害者なのも自覚せず、危害を加えたことも認識せず、ルークにとって安心して背中を預けられない相手なのも分かっていなかった。
だからルークに普通の仲間や友人に対するような態度や背中を預けられる信頼を求め、 ルークができないことや仲間や友人にとれば失礼になるような態度をとることに苛立っていた。
そんな態度は私の、無知や傲慢や、無自覚や無責任さをこそ表していたのに、そんなふうに言わないで!!

「ティアは優しい」

「ティアは姉みたいだ」

「ティアはお説教してくれて、戦いの厳しさを教えてくれて、」

「あの頃のルークは・・・・・・」

「ごめんな・・・・・・あの頃の俺は・・・・・・」

まるでティアの周りは厚い壁に囲まれているようだった。
ルークも、ガイも、アニスたちも、ティアのことをちゃんと見てはいない。
真実のティアではなく、“民間人を護る立派な軍人”、“ルークの姉のようだった”、 “ルークにお説教や戦いの厳しさを教える、教師や教官のような立場だった”ティアを、何処にもいない幻想のティアを見ている。
ルークの友人でも身内でもなく、ティアがルークと出会った時にルークの屋敷を、多くの民間人や無関係な人々のいる屋敷を襲った加害者だったことも、 譜歌を悪用したことも、ルークにも危害を加えて巻き込んだことも、その上でルークを戦わせて傲慢な態度をとっていたことも。
まるでなかったことのように、何も悪くないかのように、現実と解離したティアへの称賛を、ルークがティアにとった態度への責めを繰り返す。

そんな時のルークの緑眼は何時も何処か虚ろで、浮かべる笑みは怯えたような歪なものだった。

今のルークはティアに優しい。
ティアを誉め、ティアに感謝し、ティアを気遣い、ティアに謝る。
お似合いだとガイや仲間たちに微笑ましく眺められながら、ティアはルークとの距離がどんどん広がっていくような気がしていた。

ガイたちは、ルークはきっとティアが好きなのだと言う。
けれど今のルークがティアを好きだと言ったとしても、それは本当にティアに対しての好意なのだろうか。
ティアの悪い所から眼を逸らし、あるいは眼を逸らすことを強いられて、反発も嫌悪も抑え込まれて、 真実のティアからかけ離れた幻想の綺麗なティアを見ている今のルークの想いは、一体誰に向けられているのだろう。

そしてかつて真実ティアから受けた危害や迷惑を考えれば自然だったルークの敵意や反発は、一体何処に行ったのだろう。
ティア自身が失った信頼を取り戻したのではなく、責任を持って護り送り返そうとしたから許されたり認められたのではなく、 更に不信感や嫌悪や反発を持たれるような行動を何重にも繰り返し、何度もルークを危険に晒し命も心も蔑ろにしていたのに、 その上でのルークの態度の変化は果たしてティア自身への想いの変化故と言えるのか。
ティアへの反発をわがままさのように責められたために抑え込まれただけなら臭いものに蓋をしただけで、 ティアがルークの姉のようだったという虚偽、優しく責任感のある幻想のティア像への好意で真実のティアへの嫌悪が和らいだならば醜いものを綺麗な嘘で覆い隠しただけで、 何れ蓋が外れ覆い暴かれればまた元に、自然な態度をとっていた出会った頃に、 あるいは反省のないティアの態度と幻滅から何倍にもなって戻っても不思議がないのに。

澱んだ水の上に張った薄い氷の上を歩くように、ティアを取り巻く綺麗なものは何もかもが薄っぺらく、 何時壊れて中の醜悪さを曝け出すか分からない危うさを孕んでいた。


「ティアは優しいよな。俺は、今の俺はちゃんと見えてるから・・・・・・」

──あなたのいう“私”って誰のことなの?
ルーク、あなたは、今のあなたは本当に私のことがちゃんと見えているの?

──あなたは、本当は私のことをどう思っているの?

けれどティアをちゃんと見ての反発や態度の悪さを責め、被害者という真実の立場ならばありえない態度や信頼を求め、 そして加害者という真実の立場ならばありえない傲慢な態度をとってきたのはティアも同じで。

“本当の私を見て欲しい”なんて月並みな言葉もまた、ルークに求められる立場でもルークを責められる立場でもなかった。


好きな男から幾度となく数多の称賛を向けられ、仲間たちから微笑ましく眺められ、好きな男の好意をその友人に保証される一見暖かな光景の中心には、 誰にも見られず誰からも理解されず、そして本当には誰にも好かれることのない少女が独り。
幾度となく突きつけられる数多の愚かさに、報いの様な周りの無理解に、ただ虚ろな眼に涙を浮かべながら、嘲笑ように歪に微笑んでいた。












叱ることを厳しさの中の優しさとするなら、誰からも叱られないことこそが、誰にも気遣われていないというティアの孤独という気がします。





                        
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