「うるさいうるさいうるさい!もう俺への愛など語るな、そんな歪んだ“愛”を俺に向けるな!もううんざりだ!!」

「どうしてですのアッシュ!私はただ、私がどれほどあなたのことを愛しているのか、分かって欲しかっただけなのに!!」







無自覚の狂愛証明







「ほら、この本・・・・・・それにこれも、これもこれも、七年前“ルーク”が来たばかりの頃に勉強に使っていたものですのよ。私が教師役になって」

俺が帰還してから、ナタリアは離れていた間を埋めようとするように、時間を作って会いに来ては過去の思い出を熱っぽく語るようになった。
その相手はすり替えられたレプリカの“ルーク”だったが、俺だと思っていたレプリカにしたことは俺にしてくれたもののように思えて、 離れていた間もナタリアが自分を愛し続けていたのだと確認したくて、最初は喜んで聞いていた。

その日も思い出を語るためにファブレ家を訪れたナタリアは、持ってきた厚い数冊の本を俺に見せながら、 七年前のルークの勉強に使っていたものだとまるで良い思い出のように語り始めたが、 俺は“七年前のルーク”と“勉強”とを結びつけるのに、それを語るナタリアの態度に、酷く違和感を感じて問い返す。

「勉強?教師?・・・・・・此処に来たばかりの頃のあいつは、勉強なぞできなかっただろう。 重度の記憶障害だと思われるほど、赤子のように何も知らずに何もできなかったと聞いているが」

俺はフォミクリーについてさして詳しい訳ではなかったが、レプリカは刷り込みをしなければ知識を備えることはできないと聞いていたし、 一度だけ屋敷に戻った時の幼児のように泣いていた様子や、父や母から聞いた字や言葉を解することすらできなかったという当時のルークの様子を思えば、 勉強も、本を読むこともできないのは自明の理だった。

ナタリアが差し出した本はどれも分厚く、普通なら10歳に読ませるのも早いぐらいなのに、会話もろくにできぬレプリカがこれで勉強をできるとは到底思えなかった。

「ええ、ルークったら癇癪を起してあー、あー、と唸りながら本を落したりして抵抗するんですもの。 私が幾ら叱っても怒鳴っても言うことを聞かなくて・・・・・・何度呆れたか数え切れませんわ」

「・・・・・・何?」

ナタリアで平然と言い放ったそれは、まるで刃を投げつけられたかのように俺の胸中の暖かな幻想に罅を容れた。

「アッシュ?どうなさいましたの?」

「・・・・・・お前、それをおかしいとは思わないのか」

字を読むことも言葉を話すこともできないほどの“記憶障害”の婚約者に、 できるはずもない何冊もの分厚い本で勉強を強要し、嫌がれば叱り、怒鳴り、できないことに呆れていたことをおかしいとは思わないのか。

「え?何がですの?」

俺はナタリアの顔を穴が空きそうなほど凝視し、必死にそこから後悔や罪悪感といったものを見出そうとした。 けれど、どんなに目を凝らしても欠片も見つけることができず、或るのはただ過去の自分自身と愛への陶酔ばかりだった。

「・・・・・・お前は、その過去を思い出しても、何も感じないのか」

10年が経ち、21歳になる現在思い返しても、何も感じないのか。
誘拐されて重い記憶障害を負ったと思われていた従弟に、生まれたばかりのレプリカだと知らずとも字も言葉も分からぬのは明白だったのに、 できるはずのないことを強要して、拒めば叱り、怒鳴り、できないことに呆れていた過去の己に、冷酷さも罪悪感も後悔も、何も感じないと言うのか。

まるで良い思い出のように回想し、過去の己を美化し、酔うことができるのか。

「私はルークをあなただと思っていたから、あなたのために頑張って勉強させていたんですのよ?」

ナタリアは褒めてくれと言わんばかりに、俺を上目づかいに熱っぽく見つめながら言った。


──“オレノタメ”?


ナタリアがレプリカにしていたことが、俺のため、俺への愛ゆえだと認識した瞬間、吐きそうなほどの黒々とした不快感が込み上げる。
まるで自分がレプリカの立場に置かれ、ナタリアから俺のためだという行為を向けられたかのような感覚に陥り、虐められた子供のように目が潤み、声が掠れる。

「──お前は、もし帰ってきたのがレプリカではなく俺で、俺が、同じような状態、だった・・・ら・・・・・・」

「もちろん、ルークしたのと同じように勉強を教えてさしあげましたわ!私はあなたの従姉で、婚約者で、こんなにもあなたを愛しているのですから、当たり前でしょう」

そう言ったナタリアの赤く染まった顔は可憐な姫君そのものだというのに、童話に出てくる人食い魔女のように歪み淀んだ醜悪な顔に錯覚する。
鈴が鳴るように心良い声音のはずなのに、毒の息を吐き掛けられた様な気がして息が詰まる。

手で口を覆いながら後ずさる俺に、不思議そうにナタリアが眉を寄せ、労るように優しい声をかけて近寄ってくる。
さっきまでの俺ならば従姉の婚約者の心配は胸を暖かいもので満たされて感謝する所だが、今の、真実を知った今の俺にはできなかった。

ナタリアの心配も、俺を気遣ってする行為も、俺に向けられる愛情も、何もかも気持ち悪くて恐ろしくて寒々しくて。

そのまま俺はナタリアから、ナタリアの愛から、そして自分自身の幻想から逃げ出した。





それからも、ナタリアは何度も何度も、俺だと思っていたルークとの思い出を、ルークへの言動を、間接的に俺に向けられた愛情を強引に語り続けた。
不可能を可能にしろと要求し、できないことに呆れていた過去を語り、陶酔し、後悔も罪悪感も表さなかった。

自己の愛だけに陶酔し、他人の気持ちを察しようとはしない彼女は、 俺に拒まれることにも自分に非があるなどと欠片も考えず、ただ悲劇のヒロインのように嘆き、俺を責め、自分自身を哀れみ続けるだけだった。
そうすることで俺の幻想を切り裂き、陽だまりを凍らせていることにも、自分の愛が俺に、他人にどう見えているのかも気付かないままで。


親しい者を傷付けていた過去を悔いることも、罪悪感を覚えることもなく、陶酔のまま思い返せる幸せなナタリア。
彼女の認識と現実とが解離していることも、愛する男を失う理由も何も気付かず、子どものまま成長することもできない哀れなナタリア。
そうすることでどれほど俺を軽んじているのかを、無自覚に晒し突きつけている愚かなナタリア。

彼女の幻想は、何時になったら滅ぶのだろう。












ナタリアはかなり自己陶酔が強く、アッシュにしろルークにしろ他人の感情に鈍感な印象なので、 強制勉強とか記憶回復の強請りとか愛する相手への態度にしては冷酷な言動をしていた過去を平気でアッシュに言いそうです。




                        
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