「俺はあいつがいたから戻れなかった!あいつに居場所を奪われたから!」

何故ルークを憎むのかと尋ねた母に、アッシュはそうレプリカへの憎悪を吐き出した。







奪ったものは、奪われたものは







外郭大地が降下して半月ほど経った頃、アッシュはノワールに重大な用事があると呼び出されたが、行ってみればノワールだけではなくアッシュの母・シュザンヌが待っていた。
どうやらシュザンヌが手の者を使って漆黒の翼と接触しアッシュとの対面を依頼したらしく、 ノワールはアッシュの抗議を一度ちゃんとおっかさんと話してみなよ、と流して部屋から出て行き、アッシュはシュザンヌと二人取り残された。

「俺はあいつがいたから戻れなかった!あいつに居場所を奪われたから!」

何故ルークを憎むのかと尋ねた母に、と尋ねた母にアッシュはそうレプリカへの憎悪を吐き出した。

「そう。では、あなたはルークにどうして欲しいの?」

「え・・・・・・」

何処かで自分への慰めと偽物への非難に同調してくれることを期待していたアッシュは、思わぬ返答に不満げに母を睨むが、 シュザンヌは尚も強い視線でアッシュを見返したままに問いかけた。

「奪われたと言う居場所を、あなたは取り戻したいのかしら?それともルークにその七年間を償わせたいの? でもその場合、あなたは何をルークに返し、償うのかしら?」

「・・・・・・母上?」

アッシュには母の言葉の意図が掴めなかった。
自分は奪われた側なのに、どうして奪った側のレプリカに償うものがあるのか。
レプリカは、自分のいるべき陽だまりを、受けるべき家族や婚約者の愛情を、全てを奪った偽物でしかないはずなのに。

「どうしたの? 他人に入れ替えられたせいで起きたことであっても、それでも奪われたことを責めるなら、返し償わねばならないなら、 あなたもルークから奪ったことを自責し、返し償うのが筋でしょう?」

「俺があいつに何を償うと言うんですか!俺はあいつに何もかも奪われたのに、その間あいつは何不自由なく俺がいた陽だまりに居座りやがったのに!!」

「アッシュ。あなたはあの子の何を知っているの?」

知っているも何も、あいつは俺のレプリカで──そう返そうとして、何かが違うと気付いた。
ルークはアッシュのレプリカ、それは事実だ。
そしてそれがそれがアッシュにとってのレプリカルークの認識の、全てだった。

けれど今シュザンヌに問われているのは違う。
漠然とそう察した瞬間、言葉に表しようのない不安感と焦りのような気持ちに苛まれ、 今すぐシュザンヌに背を向けてこの部屋から逃げだしたような気に駆られる。

「ヴァンがあなたにあの子の様子をどのように聞かせていたのか私は知りません。 けれどあなたを誘拐し、利用しようとしていたヴァンの言うことをあなたはそのまま信じたのですか? 確かにルークはあなただと思われて、“ルーク・フォン・ファブレ”だと思われてあの屋敷でわたくしたちと七年間を過ごしました。 けれどその間のルークの様子を、あなたは信用できる相手から聞いてルークを恨んでいるのですか?」

言われてみれば、アッシュがルークについて知っていることは殆どがヴァンから得た知識だ。
脱走して屋敷に戻った時に自分の目で見てはいるが、生まれたばかりだったルークは赤子のように泣いているだけだった。
その後のルークの様子はヴァンの口から聞かされ、己の居るべき場所で安穏と暮らしている複製品に憎悪を燃やしていただけで、 タルタロスで出会うまでルークについて信用できる相手から聞いたことも直接見聞きしたことも一度もなかった。
そもそも自分のレプリカという以上のルークのことなど、知ろうともしなかった。

「ルークはこの屋敷に来た時には赤子のようで、話すことや歩くことはおろか、食事や排せつの始末も自分ではできなかったわ」

シュザンヌはその頃を思い出しているのか遠い眼を窓の外に向け、苦く自嘲を浮かべた。

「今思えば、本当に生まれたばかりだったのだから当たり前のことだったのだけれど、あなただと思われていたルークはそうと扱われなかった。 あの子が赤子のように振舞う度に、周りの人間はいつも落胆して蔑んでいたわ。 10歳にもなって赤子のように泣くなんて、歩けもしないなんて、お漏らしをするなんて、話すことも読み書きも出来ないなんて・・・・・・ 勿論使用人は口には出さなかったけど、それを隠そうともしない態度をとっていた。 本来嗜めるべきクリムゾン、ナタリアがあからさまに呆れを口に出していたのだから、当然よね」

アッシュは驚愕し、嘘だ、と呟く。
嘘であって欲しかった、嘘でなければならなかった、アッシュにとっては。
ナタリアはあの頃のルークのすり替えに気付いていなかったのだから、ナタリアがルークを蔑んでいたと言うなら、 それはアッシュがそういう状態で戻った時に向けられたであろうものだということになってしまう。

「ナタリアは、」

ナタリアが彼女の中では“本物のルーク”だったはずのルークにそんな態度をとっていたと認めたくなくて、反論しようと言いかけたけれど言葉は続かなかった。
シュザンヌはそれをナタリアがしていたことの詳細を求めたと思ったのか、更にアッシュの陽だまりへの幻想を打ち砕く冷酷な現実を突きつけていった。

「ナタリアは変わってしまったとルークを責めて、読み書きはおろか話すことすらできないルークに 難解で分厚い書物を何冊も使った勉強を強要し、泣き叫んで拒めば叱りつけ、できなければあからさまに落胆していたわ。 できるはずがないことを強要され、泣き叫んで止めてはもらえず、できないことに呆れられる。 虐めと変わらないようなことなのに、ナタリアは立ち直らせるためだと言い張って繰り返していた。 ルークが泣いても、叫んでも、必死に抵抗しても構わずにね。それがこの屋敷にいた頃あの子が受けてきたものよ」

誘拐された頃のアッシュはストレスのために度々嘔吐や失禁があり、幼児に返ったかのように泣き出したり、発作的に叫んだりといった行動を繰り返していた。
その度に記憶の中の陽だまりに必死で縋りついて耐えていたアッシュにとって、屋敷は、ナタリアは聖域のような存在になっていた。
けれどもしもアッシュの方が帰されていたら、屋敷で誘拐のストレスからすぐに立ち直れず嘔吐や失禁をしたり、幼児の様に泣きだしたり、発作的に叫んだりしていたら。
アッシュだと思われていたルークを蔑み、すぐに立ち直って以前と同じようにできることを要求し、記憶障害だと分かっていたのに困難な勉強を強い、 泣き叫んでも拒否は許さず、できなければ呆れて落胆していた父や使用人は、ナタリアは。

肥大した幻想が急速に凋み、聖域が黒々としたものに汚され、陽だまりが陰り冷えていく。

「あなたは赤ん坊の頃、どれだけ泣いても、お乳を吐いても、襁褓を濡らしても落胆などされなかったでしょう? 勉強も言葉を覚えてから、字を教えてから順を追って学んでいたでしょう? あの子のように、当たり前のことを蔑まれ、できないことを強要されたりしなかったでしょう」

幼いころのおぼろげな記憶がよみがえる。
お漏らしをして泣いているのをメイドに抱き上げられ慰められた記憶、転んで泣きながら乳母にしがみついた記憶、 ひとつひとつ字を教師に教えられ、まだ拙い読み書きを母に暖かく褒められた記憶、そこに蔑みの視線や落胆などはなかった。
自分に冷たい所のあった父だって、幼い自分の稚い振舞いに呆れることなどはなかった。

そんなことは赤子や幼児には当たり前の粗相で、知識を持たない子供がまず基礎から学ぶのは当然のことだから、誰もアッシュを責めなかった。
公爵子息として高い教育を受けてはいたが、言葉も字も読めないのに難解な勉強を強要するような、不可能を要求されたことなどなかった。
自分にとって“当たり前”だったそれらはルークには与えられず、当たり前の粗相や未熟に帰されたのは理不尽な侮蔑だったなんて、何も知らなかった。
何の知識も記憶もない生まれたばかりの身で10歳だと思われて暮らす生活に、不自由や苦痛がないはずがなかったのに、そんなことは考えようともしなかった。

「あの子は普通の子供が与えられる肯定を与えられず、何時も謂れのない否定を受けてきた。 これは全てあなたと入れ替わったせいで受けたものよ。それを、あなたはあの子にどう償うの?」

「俺はそんなこと知らなかったんだ!ヴァンはそんなこと俺に教えてくれなかったし、俺がレプリカを屋敷に連れて行った訳じゃない!」

「ええ、そうね。でもそれはルークも同じなのよ。 ヴァンはそんなことあの子に教えなかったし、そんなこと知らなかったし、あの子が自分でファブレ家に来て“ルーク”になろうとしたわけではないわ。 あなたもあの子も、無理矢理に他人の手で場所を取りかえられた。 そしてあの子とあなたが別人だと分からず、あの子を“ルーク・フォン・ファブレ”にしたのは私たち周りの人間。 でもあなたがそれをルークに奪われたと責めるなら、あなたもルークから多くを奪っていたことになるわ」

今までルークに向けていた理不尽な非難が、自分に跳ね返って言葉に詰まる。
どちらも入れ替えられた本人の意思などなく、憎むべきは入れ替えた人間の方だったのに。

けれど自分を見てはくれない父の代わりのようにヴァンからの親愛を求めていたアッシュには、それが偽りだったと分かっても憎みきることは難しかった。
監禁の間に恐怖と憎悪と依存と愛情欲求と、必要とされている喜びと誘拐され道具のように使われる虚しさとが入り混じり、 ただ憎むにはアッシュのヴァンへの感情は複雑すぎて、ヴァンを憎めばアッシュの心は父親に憎しみをぶつけているように痛んだ。
何の親愛の情もない、ヒトですらない“複製品”を憎む方が、それよりずっと楽だった。

「ルークは7年間、何不自由なく安穏と暮らしてなどいなかったのよ。 理不尽に10歳も上の行動を求められては呆れられ、記憶を取り戻すよう努力してもできないことを強請られて、屋敷からは一歩も出られない生活をさせられていた。 そしてあの子はあなただと思われていたから、あなたの代わりにアクゼリュスへと送られた。 もしあなたが“居場所を奪われる”ことがなかったら、アクゼリュスへはあなたが送られていた。 あの子はあなたが受けるはずだった暖かいものだけを受けてはいない。 あなたが受けるはずだった災厄もあなたの代わりに負ったのよ」

それは俺が意図したことじゃない、俺はアクゼリュスであいつを殺すなんて、崩落に使うなんて知らなかった、 知って止めようとした時にはもう間に合わなかったんだ──そう言い訳すれば自分に跳ね返ってくるとたった今諭されたアッシュは、 ただ叱られた子供のように眼に涙を浮かべ、唇を噛み締めて聞いていた。

それらは全て、アッシュではなく他人に引き起こされたことだった。
けれど今までアッシュがルークに責めてきたこともまた、ルークではなく他人に引き起こされたことだった。

「居場所を返せと言うなら、あなたはアクゼリュスへと送られたルークの痛みを、負わされた罪をどうやって引き受けるの? 償えと言うなら、あなたはルークに負わせたことをどうやって償うの? あなたのせいでルークは理不尽に10歳上の行動を求められる居場所を押し付けられ、アクゼリュスへ送られた、ルークはあなたに罪を苦しみを背負わされた。 他人に引き起こされたことにまで責任を問うなら、そういうことになるのよ。 ──憎むならヴァンと、誘拐されたあなたを救えなかった私たちを憎みなさい」

自分の意思と無関係に他者に利用された結果を責められる理不尽と痛みに、アッシュはやっと思い至る。
そして初めて、アッシュは今まで考えたこともなかったルークの心情を考え、 自分が思っていたのとは違う環境にいたことを、自分が気付かなかった痛みを受けていたことを認識していく。

レプリカは、何もかも自分の想像とは違っていた。
自分が想像し憎しみをぶつけていた、“何不自由なく育ち、ナタリアから愛され、 自分が受けるはずだった暖かいものだけを奪い取った偽物”なんて、現実には何処にもいなかった。

レプリカは被験者とは違う存在なのだと、今更になって分かってきた。
自分ができたことができなかった、自分の気持ちが分からなかった、自分の想像通りにならなかった、自分が・・・・・・、自分の・・・・・・、自分と・・・・・・。

なんて滑稽なのだろう。
“他人”が“自分”と違うのも、心が読めないのも想像通りではないのも当たり前のことだったのに。
責めるのも見下すのも、お門違いだ。

レプリカは自分ではない他人、自分の道具でも一部でもない、ひとりの人間だった。
そんな根本的なことすら分からないほど、アッシュはルークのことを知らず、知ろうともしなかった。

「それでも、あなたはまだルークを憎み、居場所を奪われたと責めるの?」

先程とは違い、後悔と自嘲に身体を振るわせながらゆっくりと首を振ったアッシュを、シュザンヌは優しく抱きしめた。

















                        
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