「・・・・・・暇はないわって言ったくせに」
ノエルは暗い目をしてティアを睨みながら、かつて彼女が自分の前で言った言葉を小さく呟いた。
落ち込む暇の違い
ティアが仲間達に黙って一人ヴァンの元に会いに行き、ヴァンへの説得に失敗して逃げられた後。
一人で兄さんを説得してみようと思った、と話すティアを、ノエルは暗い目で睨みながらかつて彼女が自分の前で言った言葉を小さく呟いた。
「ノエル?何か言ったかしら?」
兄と戦う葛藤の告白を邪魔された不快さに、眉を寄せて険のある口調でティアが聞き返すと、ノエルは今度は聞こえるように大声で、激しい口調でティアを非難する。
「兄と戦うからなんですか!?辛いからって落ち込んでいる暇なんてないでしょう、
ヴァンを止めないとこの外郭大地と全ての人類がどうなるか分からないという時に、悠長にひとりヴァンに会いに行って説得なんてしている暇はないでしょう!!」
「なっ・・・・・・」
兄と戦うことに落ち込む可哀相な自分、迷いながらも戦う決意を固める厳しい自分に酔い、気遣いを心地よく感じていたティアは、
予想外の、自分が期待していた反応を返さないどころか非難してくるノエルに怒りしか感じられず顔を赤くする。
「そんなに責めなくてもいいじゃないか!
ティアはたった一人の肉親と戦ってずっと辛かったんだぞ。落ち込むのも仕方ないし、気遣ってもやってもいいだろう!?
それに人の、肉親の生死に落ち込むことを“暇”だなんて・・・・・あまりにも酷い言い方だ」
ガイはノエルの常にない態度に戸惑いつつも、ティアを庇うように前に立って反論した。
なあみんな、と同意を求めて周囲を見回し、ティアも気遣いを期待してルークの方を見るが、返ってきたのは冷えた非難の視線ばかりだった。
「ど、どうしたんだよみんな。ルークまで」
「・・・・・・なら、どうしてノエルには、落ち込む時間が許されなかったんだよ。
どうしてティアには、肉親の生死に落ち込むことを“暇”と言うことが許されたんだよ」
ルークはティアではなくノエルに寄り添うように立ち、気遣うように震える肩に手をかけながら問う。
ガイもティアもルークが何を言いたいのかも、またどうしてティアではなくノエルを気遣っているのかも分からなかった。
健気にも一人で兄を説得しようと会いに行き、失敗に終わって意気消沈している可哀相なティアを気遣わないなんて、
ノエルに気を遣うよりもティアを気遣えば良いのに、と成長しないルークを促してやろうとガイが口を開きかけた時、堪りかねたノエルが叫ぶ。
「シェリダンでは落ち込んでいる暇はないって言ったくせに!?」
その瞬間、ガイとティアは凍りついたように固まり、誰が、何時、誰の前で同じ言葉を発したのかをやっと思い出した。
“落ち込んでいる暇はないわ”
それは虐殺されたシェリダンの人々の死に“落ち込んだ”時、ティアが口にした言葉だった。
ヴァンに祖父イエモンや親しいタマラたちを無惨に殺されて“落ち込んで”泣いているノエルの前で、先程“落ち込んで”ヴァンに会いに行ったティアが、口にした言葉だった。
「シェリダンのみんなが殺された時には落ち込んでいる暇はないって言ったくせに、私だっておじいちゃんたちを殺されて辛かったのに、
ティアさんは私の気持ちなんか気遣いもせずに泣いていた私の前で“落ち込んでいる暇はない”って言ったのに、
そのティアさんには落ち込んでいる暇が与えられるんですか?気遣ってあげないといけないんですか?」
ノエルの目からは止めどなく涙が溢れ、しゃくりあげながら、どうして、どうしてと繰り返して震える手でティアを指す。
「どうして、私は、おじいちゃんたちは駄目なのにティアさんとヴァンは良いんですか?
どうして、私がおじいちゃんたちの死に落ち込む暇はなくて、ティアさんが兄を心配して落ち込む暇はあるんですか?
ヴァンは討たれるだけの罪を犯したけどおじいちゃんたちは何も悪くないのに殺されたのに!
どうして、何も悪くないおじいちゃんたちが殺されたことに落ち込む暇はなくて、悪いヴァンが討たれることに落ち込む暇はあるんですか!?」
「それは・・・・・・あの時は、作戦のために時間がなかったんだ、だからきっと、ティアも本当は泣きたい気持ちを抑えて厳しいことを」
「──それは今も同じですよ、ガイ。いいえ、今の方がずっと事態は切迫しています」
しどろもどろにガイはティアを庇おうとしながら、救いを求めるようにジェイドを見たが、
ジェイドが返したのはティアを庇う言葉ではなく、ティアを庇うガイの言葉の否定だった。
「先程ノエルが言ったように、ヴァンを止めなければこの外郭大地と人類は滅亡します。
辛いからって落ち込んで、悠長にひとりヴァンに会いに行って説得なんてしている暇はありません。
ティアがヴァンがワイヨン鏡窟にいると教えてくれていたら、キムラスカ軍を差し向けるか、せめて私たちだけでも同行してヴァンを討つか、
戦力を殺いて幾らか計画を遅らせる、鏡窟の辺りに網を張って一味の逃走を防ぐなどの手立てを講じることもできたでしょう。
千載一遇の機会を、ティアは今更の説得などという甘ったれのために無駄にしたのです。
まして泣きながらイエモンさんたちのために作戦を成功させようとしていたノエルが落ち込むことは駄目で、
そのノエルに“落ち込んでいる暇はない”と言ったティアは良いなどと、言えないでしょう?
ティアが本当に厳しい人間なら、祖父や親しいタマラさんたちを殺されたノエルに落ち込んでいる暇はないと言った以上、
自分も兄が討たれることに落ち込んで、時間やチャンスを潰すような行動を身勝手にとることはなかったでしょう。
人類の滅亡を計画するヴァンを討つ、または計画を遅らせるチャンスは、ティアの落ち込む暇と引き換えに出来るようなものではないのですよ」
ティアが“落ち込んでいる暇”も、ティアの厳しさも否定されてガイは言葉に詰まる。
親しいティアを庇いたくてもジェイドの言ったことを否定する言葉は思い付かず、
流石にこれほど怒っているノエルに、怒りの理由とティアの要求の矛盾を明かされて尚反論するのも気が引けた。
何よりジェイドもルークも、そしてやはりティアには非難するような、ノエルには気遣うような視線を向けているナタリアもアニスも、
誰も味方にならないこの状況でこれ以上ティアに味方すれば自分も同じように非難されると思うと自己保身が先に立ち、ガイは俯いて口を閉ざした。
「せめて、ティアには相談して欲しかったですね。
ヴァンを説得したかったとしても、どうして私たちにヴァンの居場所を隠蔽し、何ら相談せず黙って会いに
・・・・・・今となっては、言っても仕方のないことかもしれませんが。
戦う覚悟がないなら最初からそう言って引っこんで、せめて一人で勝手に行動したり情報の隠蔽をするのは止めてください。
何カ月もの間ヴァンの計画などの重要な情報も、外郭大地は存続させるとかいうヴァンの嘘も、
相談せずに機会と時間を浪費したことといい、これでもう何度目ですか?」
少しは過ちを自覚して、成長して下さい。
ジェイドの駄目な子供に言うような言葉にティアは顔を赤くして唇を噛む。
反省ではなくただ悔しがっているだけにしかみえないティアの態度に、ジェイドは今まで甘やかしすぎたようですね、と自嘲気味に溜息をつく。
「ティアさん」
「っ!! な、なに・・・・・・ノエル・・・・・・」
ジェイドを不満そうに睨んでいたティアも、ノエルに名を呼ばれるとビクっと体を震わせ、気まずげに返しながらも後ずさった。
声にも、視線にも、込められている怒りはノエルを軽んじていたティアをも怯えさせるほどに激しく、肌に焼けるような痛みすら錯覚させた。
「私、あの時も本当は掴みかかりたいぐらい辛かったけど、怒ってたけど、
ガイさんの言うとおりティアさんだって本当は泣きたいはずで、それを耐えていると思って我慢したんです。
なのにどうしてそのティアさんが、落ち込んでいる暇なんてない時に、辛いからってそれに甘えて勝手な行動をとるんですか?
私たちが落ち込むことは許さないのに、自分が落ち込むことは許すんですか、
祖父たちを殺されて落ち込んでいる暇はないと言ったのに、兄が討たれることに落ち込む暇はあるんですか、
何も悪くない祖父たちが殺されて落ち込んでいる暇はないと言ったのに、悪い兄が討たれることに落ち込む暇はあるんですか、
どうしてそんなに私や祖父たちの死には冷酷になれたのに、自分自身とヴァンにはそんなにも甘くなれるんですか!」
逃げようとするように後ずさり壁に背中をぶつけたティアに、
ノエルは逃げるのを許そうとしないかのように歩み寄って前に立ち、泣きながら叫ぶように言う。
「祖父たちの死に落ち込むことを許さないなら、ヴァンの死にも落ち込まないで下さい!
何も悪くない祖父たちを殺されたのにそこまで要求するなら、悪いヴァンが討たれるのにもそうして下さい!
自分ができもしないなら、どうしてあの時祖父たちの死に落ち込む時間は否定したんですか!?」
言い終えると抑えきれずに崩れ落ちて泣き伏したノエルにも、非難の滲んだ視線を向ける仲間たちにもティアは何も言えず、
ただ少しでも彼らから、彼らが責める自分の甘さと矛盾から、
そして自分ではなくノエルを優しく気遣うルークの姿から逃れようと壁に背中を押しつけるようにして目を閉じた。
ティアが泣くノエルの前で「落ち込んでいる暇はない」と言ったのはアニメ16話より。
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