Reflection







「準備の様子をガイラルディア様に話さないでね、内緒にしていて驚かせてさしあげるのだから」

「祝いの料理はこの大きなテーブルにも載りきらないほどになるのよ、ふふ、ガイラルディア様がご覧になったらどんな顔をなさるかしら?」

「ケーキにはクリームと色とりどりのシロップ漬けフルーツをたっぷり使いましょう、どちらもガイラルディア様の大好物だもの、きっと喜んで下さるわ」

ガルディオス家の子息、ガイラルディア・ガランの誕生日を祝う宴が間近に迫ったガルディオス邸では、華やかに飾りつけられた部屋の中、贅沢な料理が並べられたテーブルの周りで、使用人たちが明るい声で笑いあいながら忙しく立ち働いていた。

ガルディオス伯爵家の待望の嫡子の誕生日の祝いともなれば、相当に豪勢のものとなる。
各地からガルディオス家の親戚たちが集められ、ホド島近海でとれる豊かな海の幸に、特別船で運ばれる新鮮な肉や各地の特産品など贅沢な料理が振舞われる予定になっていた。
誰もが楽しそうにガイラルディアへの祝いの気持ちを込めて準備をしているのを、ヴァンデスデルカひとりだけが対象的に暗い顔をして無言で睨むように見つめていた。

母には手伝うように言われてきたが、とてもそんな気にはなれかった。
去年まではヴァンも参加して、主人であり同時に弟のように親しい幼馴染でもあるガイラルディアの成長を祝っていたが、今のヴァンにはその準備を見ることすらも不快だった。

胸を圧迫されるような息苦しさと、何かが込み上げて嘔吐してしまいそうな気持ち悪さを感じて目眩がしてくる。
喚き叫びながら料理も飾り付けもめちゃくちゃにしてしまいたい。
ケーキやクリームと色とりどりのシロップ漬けフルーツなんて海にでも投げ捨ててしまいたい。

去年は自分の楽しみでもあったガイラルディアの楽しみは今年はヴァンの苦しみになり、心の何処を捜しても去年の様な気持は湧いてこなかった。





これ以上誕生会の準備を見たくない、見ていたら自分は何を仕出かすか分からない──そう思って部屋を後にして廊下を歩いていたヴァンは、庭に向いた窓から聞こえた笑い声に足を止めた。

見たくない、そう思っているのに何故だか顔はそちらに向けてしまい、目には無邪気に笑うガイラルディアを映してしまう。
誕生日会のことでも話しているのか、ガイラルディアの前に立つガルディオス伯爵が優しく息子に笑いかけているのも。

その瞬間、ヴァンの胸の中のどす黒い気持ちは燃え上がった炎のように大きくなり、焼き尽くされる錯覚を覚えるほど熱い様な痛い様な感覚に満たされた。

自分はあの実験が始まってからというもの、笑ったことなど一度もないのに。
顔の筋肉が固まってしまったかのように、笑おうとしても歪になるだけで、もう笑い方も思い出せないのに。
自分をあの実験に差し出した男の子供が、無邪気に楽しそうに、何の苦しみもないような顔で笑っている。

──ぼくはこんなに苦しいのにどうしてお前が笑うんだ

──どうしてぼくが失ったものを、もう得られないものをお前が手に入れるんだ

──どうしてぼくにはこんな苦しみを与えたあなたがそいつには楽しみを与えるんだ!

──父のように思っていたのにぼくたちは二重に主従なのに信じていたのにどうして裏切るんだ助けてくれないんだぼくだけがおまえは幸せなのにうるさい笑うなぼくの前で笑うな笑えなくなったぼくの前で笑うなどうしてどうしてぼくがどうしておまえは。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!


「あら、ヴァンデスデルカ、どうしたの剣なんか抜いて。こんなに早くから稽古?」

マリィベルの声に、ヴァンは悪夢から目を覚ましたようにはっとすると、自分の手には腰の鞘に入っていたはずの剣が抜き身に握られているのに気が付く。
燃え上がったものに冷水をかけられたかのように急激に熱が冷めて、今度は凍りつくような感覚に体を震わせる。

──ぼくは今、何をしようとした?

「でも真剣を使うのは危ないわよ?稽古なら木刀で、廊下じゃなく中庭か訓練場でしましょうね」

ヴァンの様子に気付くことなく暖かく話しかけてくるマリィベルの声音に一層胸が軋み、居た堪れなくなってくる。
生返事を早口で返し、不審げに呼びとめる声を聞かなかったふりをしてヴァンは走った。

自分の考えたことが信じられなかった。
ガイラルディア様には何の罪もない、たった五歳の、父親のしたことと何の関係もない子供だというのに、ぼくはなんてことを!






心の中で自分を叱咤しながらやみくもに走るうち、何時の間にか屋敷を出て公園まで辿りついていた。
子供用の遊具も設置され、子供が好む甘い菓子なども売られているその公園はヴァンも良く遊んだことがあり、その懐かしさは苛立っていた気持ちを僅かに落ち着かせてくれた。
例の実験に連れて行かれてからは遊ぶような気分にもなれず来ていなかったが、時間潰しと気分転換にとしばらく中を歩いていたヴァンは、何時もの子供用の遊具のあたりまで来たところで耳に入ったかすかな声に足を止める。

「・・・・・・あの研究・・・・・・体調が・・・亡く・・・・・・ガルディオス伯爵も・・・・・・」

主家の名が気になったヴァン声のした方をみると、数人の男女が集まり何やら話し合っていた。
どれもこの公園で食べ物や飲み物を売っている者たちで、何時も明るく元気に商品を宣伝する声を張り上げていたのに、今は一様に暗い顔をしていて、その中のひとりの顔を見たヴァンは驚愕し、思わず叫ぶ。

「ポールさん!?」

ヴァンが呼んだポールと言う男はここで卵菓子を売っている商人で、卵が好物のヴァンは何時も買い求めていたから顔は良く覚えていた。
しかし記憶にある血色の良かった顔は青褪め、小太りだった体は痩せ細っており、あまりの変わりようにヴァンは愕然とする。
ポールたちは強張った表情で睨むようにヴァンの方を見たが、ヴァンをガルディオス家に仕える騎士の子と知らない彼らは常連客の子供に安心したようで、すぐに相好を崩す。

「ああ、いつもの坊主か・・・・・・悪いな、今日は菓子は売ってないんだよ。おじさん痩せちまって驚いただろう?腹を酷く壊しててな、しばらく食事もろくに喉を通ってねえんだ」

「どうして・・以前に会った時はあんなに元気だったじゃない」

自分の頭を撫でるポールの手の細さと浮いた骨にまた驚かされ、心配になったヴァンが訳を尋ねると、ポールは他の者と顔を見合わせて溜息をひとつ吐き、話してくれた。

「ほら、ここ数カ月軍がなんか実験してるだろう?俺らまで研究所に連れていかれて、変な機械に入れられて」

「──知ってる。僕もされたから」

「そうか、坊主も・・・・・・まだ小さいのにな・・・・・・。実はな、あの機械に入れられてから、体調がおかしくなる奴が出てるんだよ」

その言葉に、ヴァンはあの研究所で、精神が侵されるような苦痛の中で聞いたことを思い出す。

「うちのせがれもまだ十になったばかりだってのに連れていかれて、数日のうちに足が・・・・・・動かなくなっちまった」

「うちの女房も、風邪ひとつひいたことのない奴だったのに胸が苦しいって寝込んじまって、ろくに起き上がれもしなくなっちまったよ・・・・・・」

「あたしの友達がね、連れていかれて七日後に、亡くなってるんだよ。病気も怪我もしてなかったし、治癒術士ヒーラーさまもお医者さまも、なんで亡くなったのか分からないって言うんだ・・・・・・」


“レプリカ情報・・・・・・採取・・・・・・被験体に悪影響が・・・・・・”

“無機物で十日・・・・・・生物の場合はもっと早く・・・・・・”

“本土から・・・・・・カーティス博士の指示で・・・・・・”

“一週間後に障害・・・・・・最悪、死亡も・・・・・・”


「本土の御偉い博士さまの指示だそうだけど、一体何をやってるんだろうな。伯爵さまも研究所の奴らも実験とは関係ないっていうけど、ポールもうちの女房もモーリスの息子もデボラの友達も、みんなあの実験に付き合わされる前は元気だったんだ、それが急にこんなに体調を崩したり死んじまったり、あの実験が関係あるとしか思えねぇよ!」

彼らの顔に浮かぶ不安と、そして研究者とガルディオス家に対する疑いをみて、ヴァンの脳裏に暗い想像が浮かぶ。

──ポールさんたちが体調を崩したり亡くなったりしているのがあの実験のせいだと知られたら、それを許可して、領民を実験に差し出したガルディオス伯爵も彼らの仇になるんだ。

そして、あの無邪気に笑うガイラルディアは彼らにとっての仇の子になる。
領主の嫡子という輝かしい身分にありながら、領民にとってはもっとも憎まれるべき仇の息子。

そう思った時、ヴァンは抑えきれない、何カ月かぶりの笑いが口元に浮かぶのを感じた。
口を歪めた暗い笑いは、ヴァンが一度も浮かべたことがないものだったけれど。

「坊主?」

「・・ぼく、知ってるよ。あの研究所で何が行われたのか、みんながやられた実験がなんなのか、どんな危険性があったのか、みんな知ってるんだ」

研究者たちはヴァンを子供と侮ったのか、精神が侵される様な苛酷な実験の最中では聞こえていないだろうと思ったのか、ヴァンの前でも研究について口にすることが良くあった。
中には領民に行ったレプリカ情報の抜き取りが、障害を残したり死亡する可能性のある危険な実験だったことも含まれてはいたけれど、それは許可したガルディオス家の醜聞でもあるからヴァンは誰にも言うまいと思っていた、そのはずだった、けれどもう。

「・・・・・・教えてあげる。ぼくの知ってること、全部」

「本当か!やっぱりあの実験、なんか関係が・・・・・・おい坊主?泣いてるのか?」

「どうしたんだい、お前さんも体が痛いのか?」

体は痛くないよ、とヴァンは涙を拭いながら首を振り、彼らが知りたがっていることを話し始める。

ヴァンの話が進むにつれて、彼らの顔は幻滅から怒り、軽蔑、そして憎悪へと変わって行く。
それが皇帝や“カーティス博士”たち研究者から、誕生日だと豪勢な祝宴に浮かれている伯爵家に、祝われる嫡子にまで及ぶのを聞きながら、再び胸の中で暗い炎が勢いを増すのを感じてヴァンは一層口元を歪める。

──直接危害を加える訳じゃない、ただ手を貸して見捨てるだけだ。
彼らが知りたがっている情報を教えるだけ、害されるガルディオス伯爵やガイラルディアを見捨てるだけ。
ガルディオス伯爵が、ガイラルディアの父親がそうしたように、僕もそうするだけだ。
その結果どうなったとしても僕には関係ない、悪くない。
実験に差し出された僕がどうなったって伯爵が関係ないつもりなら、僕にも関係ないんだから。
伯爵が悪くないつもりなら、僕だって悪くないはずだから。

何の罪もない、たった五歳の、父親のしたことと何の関係もない子供への陽だまりの様な感情が暗い炎に飲まれて幻のように消えていったことを感じても、もうヴァンの心には痛みもなく、涙が流れることもなく、胸を満たすのはもっとも憎むべき仇の子への復讐心だけだった。













ガイの誕生日会の豪勢な料理は小説「黄金の祈り」上巻より。




                        
戻る