変わらないスパイと失った信用







「何故そうまで拒むんですの?ガイは本当に音機関やこの街が大好きですのよ。機密なのは分かりますけれどガイなら何の心配もいりませんわ。ただ純粋な大好きな音機関を見たがっているだけですもの。どうかガイにこの部屋の中を見せてあげて下さいな」

「・・・・・・何度も申し上げましたように、如何にナタリア殿下のご友人とはいえ、門外不出の機密をその方にお見せすることはできません」

音機関の街・シェリダンのある研究所の奥の、関係者以外の立ち入りを禁ずる注意書きが大きく貼られた扉の前で、キムラスカ王女ナタリアとその友人のマルクト貴族の青年ガイラルディア・ガラン・ガルディオスと、この研究所の所長を務めるマクシムとが押し問答を繰り返していた。
音機関を非常に好むその青年はこれまでにも何度もシェリダン訪れていたのだが、公開されている技術だけでは飽き足らなくなったのか、非公開のものにまで見たいと無理を言いだし、王女は友人の願いだからと無邪気に後押しし、研究者の拒絶もガイなら大丈夫と一笑に付してばかりだった。
マクシムは胡乱な眼で金髪の青年を見ながら、疲労が籠ってきた声で頑なに何度目かの拒絶を繰り返す。

「開発中に情報が漏れて他の研究者に流れれば盗用される危険もありますし、中には悪用すれば破壊や人を殺傷することも可能な技術もございます。ですから信用のおける仲間以外には門外不出になっているのです。これは国王陛下からもシェリダンの技術を守るためにも安全のためにも徹底せよと命じられていることですので・・・・・・」

「まあ、ガイが信用できないとでも言うんですの?ガイはマルクト帝国の伯爵であり私の大切な友人ですのよ。決して見たものを口外したり悪用するようなことはありませんわ」

ナタリアは父王の命令という言葉にも動じた様子はなく、再びガイなら大丈夫と自分の信用を繰り返す。
マクシムがそういえばこの王女には王命に逆らった過去があったと思い出しながらもう一度拒絶を繰り返そうとした時、マクシムの後ろから若い女の声が冷たく響いた。

「・・・・・・その方だからこそ尚更に信用できないし、機密を見せられもしないのです」

「なんですって!・・・・・・あら、あなたは・・・・・・」

「ノエル!久しぶ・・・り・・・・・・?」

ガイはノエルを見て旧交を温めようと、そしてノエルなら機密を見せてくれるだろうと思って喜色を浮かべたが、すぐに無表情と冷たい視線に戸惑って言葉が途切れる。
ナタリアもノエルと気付いて怒ろうとした声は止めたものの、彼女らしくない冷たさに不審そうに眉を寄せる。

共に旅をしていた頃より大人びたノエルの顔も、視線も、凍るように冷え切って二人への情など微塵も感じさせないほどだった。
更にその視線に軽蔑を込めてガイを睨むと、顔や視線と同じように冷え切った声を向ける。

「元スパイを信用できないのは当然ではありませんか。それも悪かったとも思っていないのでは一度失った信用を取り戻せるはずもありません」

「ノエル?何を言っているのです?ガイはわたくしたちの仲間でしょう、二年前のことを忘れてしまったのですか?」

「忘れてはおりませんナタリア殿下」

「そうでしょう?だったらあなたもこの人たちにガイなら大丈夫だと言って下さいませ」

ナタリアは嬉しそうに微笑んでノエルにも協力を求めたが、ノエルは冷たくナタリアが言っているのとは違う忘れがたい記憶を、ガイへの信用を失わせ、取り戻すこともできなかった原因を口にした。

「ガルディオス伯爵が、ずっとルークさんの親友を称し、仲間を称し、本当はスパイだったことを忘れられるはずもありません」

罪悪感ではなく訝しさと不満を混ぜた顔でノエルを睨むガイの反応に、ノエルの声は一層冷たくなる。

「ガルディオス伯爵は、ずっとヴァン・グランツがルークさんを騙すのに協力していたのでしょう?親友や仲間のふりをして、裏切って敵に協力していたのが、スパイではないと?」

「お、俺はヴァンとはとっくに決別してる、ベルケンドで決別した後に君にも話したじゃないか!」

「そうですわ、スパイだったとしてもそれは過去のことです。今は違いますのにどうしてそこまで疑うんですの」

「悪かったとも思っていないのでは一度失った信用を取り戻せるはずもありません、と申し上げたはずです。──だってガルディオス伯爵は、ルークさんをずっと助けてやっていたと思い続け、アクゼリュス崩落をルークさんだけに背負わせ続けているんですもの」

そう言ってもまだ訝しさと不満を混ぜた顔をしているだけのガイを見ると、ノエルは胸を焦がすような怒りと共に、最後まで友への信頼を裏切られ、そして消えてしまった後ですら裏切られ続けている彼のことを思って引き裂かれそうな痛みを感じる。
左手で胸を抑えるようにしてひとつ深呼吸した後、ノエルは僅かに震える唇から抑えきれない怒りが滲んだ声を発した。

「ガルディオス伯爵は、今でも何も変わっていませんね。アクゼリュス崩落はルークさんだけが悪くて、ルークさんだけを責めて、置いていって、罪を背負わせたのは正しかったと思い続けたままで。結果的であってもルークさんが悪いんだから、責任から逃げさせないために叱ったんだって肯定し続けて。そして崩落の直後にすら、自分はルークさんの親友だって自称したそうですね」

「それを怒ってるのか?君はルークのことが好きだったみたいだからルークに厳しくしたのは不満に感じるのかもしれないが、あの時は仕方なかったんだよ。アクゼリュス崩落は結果的であってもルークが悪かったし、それを認めなかったんだから厳しくしてでも認めさせないとルークのためにもならないだろう。俺はルークの親友だから、それまで助けてやってたのも良くなかったって思い直したから、ルークのために厳しくしてやったんだ。君ももう大人だし、ルークとは違ってちゃんと世間を知ってる君なら分かるだろう?」

ガイはルークへの見下しと、間違いを正してやる親友という陶酔の入った台詞にノエルの同意を求めるが、的外れなそれはノエルの心には何の感銘も与えなかった。
中年のマクシムも、嫌悪を浮かべて眉を顰め、やはりガルディオス伯爵は到底信用はできない人間だと不信感を強める。

ノエルが怒っているのは、厳しさではなく冷酷さと卑怯さと、“厳しい”というそれをガイ自身にはしなかった甘さなのに。
ルークの親友のつもりでいることも、ルークのためだったと思い続けていることも、逆に内面の解離とスパイ行為への無責任さを浮き彫りにしている。

「それはこう言っているのと同じなんですよ。スパイとしてヴァン・グランツがルークさんを騙すのに協力していたあなたは悪くない、責任はない。結果的にアクゼリュス崩落に協力したあなたは悪くない、責任はない。結果的にルークさんに罪を背負わせるのに協力したあなたは悪くない、責任はない。スパイは、スパイ行為の結果に何が起ころうと仲間や親友と呼ぶ相手がどうなろうと──スパイは悪くない、責任はない。親友という立場が揺らぐ様なことではない、ってね。だってあなたがしたスパイ行為は結果的にルークさんを」

「!!や、止めろ!」

「アクゼリュス崩落に兵器として利用する協力になったんですから」

ガイはノエルの言葉が進むにつれて段々と顔色を青褪めさせ、ついには怒鳴って言葉を遮ろうとしたが、ノエルは無視して言い切ると更にガイの冷たさ卑怯さ、そしてガイが思い込んでいる“親友”との解離を暴く言葉を続ける。

「そして、あなたはスパイだったと打ち明けて責められることもなく、隠して素知らぬ顔でナタリア殿下やカーティス大佐についていって、罪を背負わずに、悪いと認めずに、責任から逃げたんですから。──全てをルークさんだけに背負わせて」

ガイはずっとヴァンのスパイとして仲間や友人を裏切り、ルークを騙すことに協力し、騙されているルークを見捨てていた。
それらが結果的にはアクゼリュス崩落の一端を担い、またルークを兵器として崩落に利用し罪を背負わせるのに協力にもなった。
なのにガイはルークだけに背負わせて認めさせて置いて行き、自分はヴァンのスパイとしての行動の結果を背負うことはしなかった。

ガイは過去のスパイ行為を、間違っていたとも責任を感じてもいない。
ヴァンに協力した結果がアクゼリュス崩落や仲間や親友が兵器として利用される一端を担ったとしても、自分は悪くない、責任はないと思っている。
ルークが間違ったから“厳しく”したと言うガイは、自分自身へはそうする必要を感じなかった、自分が間違いを犯したとは思っていなかった。

それにガイはアクゼリュス崩落の後ですら、ルークを助けてやっていたと思い、親友だと称している。
ガイにとっては、スパイ行為に加担することは親友として問題がなく助けなかったことにもなっていない。
結果的に利用されるのに協力したとしても、その責任をとらずにルークだけ罪を背負わせても、助けてやっていた親友のままなのだと思っている。

この態度では「スパイだったのは過去、今は変わった。スパイ行為が間違っていたと分かっているし過去の行為に責任を感じている。もう二度としないだろう」とも思えない。

人は変われる。
けれどガイは変わらなかった、変わろうともしなかった。
一度失った信頼を、ガイは取り戻すことはなく取り戻そうともしなかった。

「ナタリア殿下。私たちは、ガルディオス伯爵を信用することも、機密をお見せすることもできません。スパイ行為を悪いことだとも結果に責任があるとも、仲間や友人を助けずに見捨てる行為だとも思わず、スパイはスパイ行為の結果に何が起ころうと悪くない、責任はないと思っている人間を信用はできません。そんな風に思っているのでは、また同じことを繰り返すのではないかと不安なのです。また確かにその方は一見この街にも私たちやノエルにも好意的に見えますが、“親友”と呼ぶほど親密だったルーク様にすらスパイとして長年騙される協力をして見捨て続け、その結果に何が起ころうと悪くない、責任はないかのように自分が背負わせる一端を担った罪を“親友”だけ背負わせて逃避していたのですから。好意的に振舞う相手に冷酷な仕打ちをして恥じない人間の好意的な態度など、不安になりこそすれ到底安心にはなりません」

アクゼリュス崩落をルークだけに背負わせたことは、ガイが悪くないと言うことは、スパイはスパイ行為の結果を背負わなくていい、スパイは悪くないと言っているのと同じなのだから。
たとえその結果どんな惨事が起ころうと、親友や仲間が利用されようと、スパイには責任はないのだと。

自己弁護の言葉を失ったガイは、ノエルの怒りの籠った冷たい目や、マクシムの警戒の籠った胡乱なものを見る目から逃げるように目を逸らし、助けを求めようとナタリアの方に振り向く。
しかしナタリアの目にも何時の間にか、ノエルやマクシムの目に宿るのと同じ感情が宿っているのを見て言葉を失う。

そしてようやく、自分はナタリアにも裏切られていた怒りや同じことをするのではと警戒を抱かれる行動をとっていたと気付き、自分が立っていた暖かな場所が、親友も仲間も友人も幼馴染も何もかもが崩れ落ちて行く様な絶望を覚え、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。















                        
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