「家にはお医者様にお支払いするお金がないから、診てもらうなんて無理なんだよ」

借金取りに殴られてぼろぼろになった時、他人にお金や食物を与えてろくに食べない生活で身体を壊した時、パパとママは何時もそういって医者を呼ぶのを拒む。
あたしが自分で稼いだお金を使おうとしても、あたしのために使いなさいって拒んで、怪我をそのままにしてしまう。

自分の身も省みずに他人にお金を分け与えるパパとママは慈悲深い立派な人間だってみんなは言う。
でもパパとママが自分の身を省みなかったら、子供のあたしはどうなるの?
それは本当にあたしのためなの?

“あたしのため”って、なに?







他人のため?子供のため?誰のため?







「それは無理だよアニス。家にはお医者様にお支払いするお金がないんだ」

そういうパパの身体は傷だらけで、隣で頷くママも同じように傷だらけになっている。
親が借金取りに脅かされて殴られてぼろぼろになる、そんな異常が物心ついた頃からのあたしの“日常”。

「それなら大丈夫だよ!今日の日当もらってきたから」

借金取りに見つかって取り上げられないように隠し持っていた、近所の酒場で働いて稼いだお金の入った革袋を差し出してもパパとママは受け取ってはくれない。

「駄目だよアニス。それはアニスが一生懸命働いて貰ったお金じゃないか」

「そうよ。アニスちゃんが自分のために使いなさい。ママたちがそれを使う訳にはいかないわ」

“自分のため”ってなに?


パパとママの怪我を治すために使うのはあたしのためだとは思わないの?
パパとママが健康でいてくれることが、あたしのためになるとは思ってはくれないの?

大好きなパパとママが酷い目に遭わされてあたしがどんなに辛いか、医者に行かないと怪我が悪化して死んでしまうんじゃないかってどんなに心配か、あたしの気持ちを考えたことが一度だってある?
親が傷付けられる異常な光景が日常になってしまっている子供の生活を。

怪我が治るまで、あたしはパパとママがこのまま死んでしまうんじゃないかと心配でろくに眠ることも出来ない。
夜中に何度も眠っているパパとママの顔を覗き込んで、息をしているのを確かめて安心して泣きそうになる。
酒場で働いている間も、またパパとママが殴られているんじゃないかって不安に押し潰されそうになる。
何時も何時も怖くて心配で、何をしたって心から楽しめたことなんてなかった。

あたしには一生懸命働いて貰ったお金がなくなるより、パパとママが医者に診てもらわずに怪我したままでいる方がずっとずっと辛いのに。

もしパパとママが殴られた怪我で死んでしまったら、病気になっても医者を呼べずに死んでしまったら。
残されるあたしがどんなに悲しむか、想像したことはある?

借金を返せなくなって殴られたり、借金のカタに酷い仕事をさせられたり、食事もろくにとれなくて病気になって、死んでしまった人たちと縋りついて泣く家族を、パパとママだって沢山見てきたじゃない。
自分が同じようになりたくない、あたしを泣かせたくないとは思ってはくれないの?

親がいなくなってしまったら子供は、まだ十歳そこそこのあたしはひとり放り出されて孤児になるんだよ?
それもパパとママが残した借金を背負わされて。
親のいない子供や親が借金を残して死んだ子供の行く末を、パパやママだって沢山見てきたじゃない。
あたしを同じ目に遭わせたくないとは、思ってはくれないの?

働いてる酒場のおかみさんにもあたしと同じ年頃の子供がいるけど、おかみさんは良く言うよ。

「この子たちのためにもあたいが元気でいないと。この子たちを路頭に迷わせるわけにはいかないからね」

パパとママは、あたしのために怪我を治して元気でいようとは思ってはくれないの?


パパとママの怪我を治すためにお金を使うのは、あたしのためになる使い道だとは思わないパパとママ。
なのに怪我をしないように医者に診てもらえるように借金を重ねまいともせずに、パパとママが傷付くことであたしが傷付く借金を、見ず知らずの他人のためにし続けるパパとママ。
あたしのために健康でいようとは思ってくれないパパとママ。

パパとママのあたしへの愛は無償だけれど、同時にあたしに対して無慈悲だった。


それは本当は、誰のためなの?















                        
戻る