曖昧なお説教と罪悪感







「この間から、お前がすごく傷付けている人がいることが分からないのか?」

父はあからさまに呆れた様子を態度に出して、けれど言葉は曖昧に僕を責めてくる。
僕には誰を傷付けた覚えもない、けれどはっきりと理由を指摘されていない説教は、はっきりと否定することもできなかった。
こんな風に言われるたびに、僕は自分自身への疑惑に駆られ、自分がまるでちっぽけな劣った存在のように思えてしまう。

「僕の何が、誰を傷付けているって言うんだよ」

涙声で質問しても、父は相変わらずはっきりとしたことは何も言わない。
それどころかわからないことを更に見下すように溜息をついて、また曖昧に非難する。

「まったく、そういう所は成長しないな」

僕には父の思わせぶりな言葉の意味も、僕の落ち度も、父が何を考えているのかも何も分からない。
でも、はっきりと何処がと言われないから、はっきりと否定することもやはりできなくて、再び僕の中には自分自身への疑惑の芽が生える。

「はっきり言ってよ!何が誰を傷付ける行動だったの、何処が成長してないの!?考えたって分かんないよ、ちゃんと教えてよ!説明してくれないと、僕は僕が悪いのか悪くないのかもわからないじゃないか!!」

「そのうちな」

父は僕の質問を相手にせず、そのまま部屋を出て行ってしまった。
一方的にお説教して、一方的に話を打ち切って、最初から最後まで僕を傷付けるような言い方しかせずに。





父は良く、こんな風に僕にお説教をする。
何が悪いのかはっきりと指摘せずに、曖昧な言い方で僕を非難して、僕がはっきりした説明を求めても答えてはくれず、一方的に責めた後は会話を拒否するように打ち切ってしまう。
そして父が何を考えているのか、何を責められているのか、僕には何も分からないままに終わってしまう。
残されるのは混乱と、罪悪感と、劣等感と、じくじく刺されるような胸の痛みだけ。

最初は、僕だって考えたんだ。
僕に何か悪い所があったんだろうか、誰かを傷付けるような心ない振舞いを無意識にしてしまったんだろうか。
でも、幾ら考えても何も思い当たらない。
近所の人や、使用人や親戚や、色んな人に幾ら聞いても、僕の言動に誰かを傷付けるような所は思い当らないと言う。

なのに父は僕を責める。
僕が誰か傷付けている、成長していない、そう僕を見下して、僕を否定して、僕を「駄目な子」にしてしまう。

はっきりした理由が分からないから、僕は僕が悪いのか、それとも僕は悪くなくて父が間違っているのか、それが分からない。
分からないから僕の中には、心当たりがなくても罪悪感が残ってしまう。
後者だとしても、罪悪感がなくなる代わりに父親に理不尽に傷付けられたという痛みが残るだろう。

父は僕に手を挙げたことも、声を荒げたことも一度もない。
けれど父からお説教をされ、呆れた様な眼で見下され、会話を拒否されるそのたびに、何時も見えない手で心を殴られ押さえつけられているような気がした。

何度も繰り返される内、僕は自分自身に父の言うとおりの、人の気持ちが分からず無意識に傷付けてしまう駄目な子というイメージを持つようになってしまった。
最近は父の眼を直視することもできない、声を聞くだけでも委縮してしまう。
僕はどんどん卑屈に変わってしまう、父に卑屈に変えられてしまう。



僕が誰かを傷付けていると、気付かないことを成長していないと責める、それが僕を傷付けて歪ませていることに父は何時になったら気付くのだろう。












説教の理由は(父親の中の)気遣いの優先順位を間違えたとかそんなの。
子供は前作の子供とは別人です。




                        
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