お父さんが恐い。恐くてたまらない。

子供はそう告白し、“父親”がかつて“子供”にした行いを思って小さな身体を震わせた。







重なる位置と罪







あの戦いから数年後、なんとか女性恐怖症を克服したガイはあるマルクト人の女性と結婚し、息子にも恵まれた。
子供はとても明るく好奇心旺盛な性格で、両親だけではなくかつて旅を共にした仲間たちからも可愛がられて育てられた。

だからガイから、最近息子の態度がおかしいんだ、と相談されたナタリアはとても心配し、ガイの屋敷を訪れた際にその原因を突き止めようとした。
ガイは過保護だから鬱陶しがられたのかしら、それとも早い反抗期かしら、ナタリアが想像する原因はそんなところで、さほど深刻には考えずに。
ガイは“子育て”の経験があるから、きっと息子のこともルークにしたように育てて良い“父親”になれるだろうと信じていたから。
最初はなかなか話そうとしなかった子供も、何度も根気よく相談を促し続けると躊躇いつつも悩みを告白してくれたけれど、あまりにも予想外なそれにナタリアは戸惑うばかりだった。

ナタリアが訪れた時に何時も通されるその部屋は日当たりも良く、暖炉が赤々と燃えて部屋は春の日のように暖かかった。
けれど子供はその暖かさが感じられないかのように、お父さんが恐い、恐くてたまらない、そう言って小さな身体を震わせる。
こんな話も子供の様子も、暖かい部屋にもナタリアの中のガイの陽だまりのような暖かさにも相応しくなかった、そのはずだった。

「ガイが恐いって・・・・・・どうしたんですの、あなたはあんなに父親っ子だったではありませんか。喧嘩でもしたんですの?それとも悪戯がすぎて怒られたんですの?」
「違うよ。喧嘩もしてないし、叱られてもないけど、でも怖くてたまらないんだ」

爽やかで優しく頼りがいもあるガイは何時も誰にでも好かれ、大人とも子供とも上手くやってきた。
そんなガイには恐ろしい、なんて言葉は似合わない。
まして自分の子供に怖がられるなんてありえない、きっと何か誤解があったのだわ、そう思ってナタリアはガイを庇おうとする。

「ガイはあんなにあなたのことを可愛がっているではありませんか。育児にだって積極的に参加してあなたを育ててきましたのよ?たまに過保護すぎることはありますけど、でも本当にあなたのことを」

「・・・・・・これ、読んだんだ」

子供はガイを庇うナタリアの話を暗い声で遮り、本棚の中から古びた一冊の本を取り出して見せる。

「みんな、お父さんのこと英雄だって、立派だって誉めてくれるから、ぼくお父さんのこといっぱい知りたかったんだ。それで、お父さんとずっと一緒にいて、お父さんが弟や子供みたいに育てたっていうルークさんの日記の中のお父さんを知りたくて」

ルークがあの旅の間、事細かにつけていた日記。
最初は記憶障害が再発した時のためのものだったが、習慣になっていたのかレプリカだと判明してからも書き続けていた。
エルドランドでローレライを解放して消える、その直前まで。
アッシュの帰還でルークの消失が確定した後、持ち主を失ったそれはもっともルークに近しかった、父や兄のようだったガイに形見として渡されていた。

だからガイの子供がそれを持っているのも、父親の称えられる過去に興味を持って読んだことも不思議はない。
けれどどうしてそれで父親が恐くなるのかまったく分からず、ナタリアはますます困惑する。
もう一度理由を問うと、子供は震えた声で父の裏切りを、あの頃は誰もが気付かず、父親自身も目を逸らしてきた裏切りを答える。


「だってお父さんは、自分が育てた、子供や弟のように思っていた子を──ルークさんを見捨てたんでしょ」


それでも、ナタリアには子供が何を言っているのか分からなかった。
ガイはルークを、過保護だと感じるほど助けてきた。
ベルケンドで庇ったようにナタリアたちが誰もが見捨てた時にすらも、ガイだけはルークを迎えに行った。
だから、子供が言うガイとナタリアたちが信じるガイとはまるで正反対だった。

「お父さんもナタリア様たちも何時も言ってるでしょ。お父さんがルークさんを育てた、助けてやっていた、付き添って護ってた。息子や弟みたいに思ってた、大切だった、今でもそう思い返してる」

「ええ、その通りですわ。ガイは本当に、ルークの理解ある幼馴染で、父親のような保護者でしたわ」

そういうと更に怯えたように小さな身体を震わせ縮こませ、泣きかけているのか鼻をすすり始めた子供をナタリアは慌ててなだめる。
父親を誉めたのに泣くなんて、この子は一体どうしてしまったのだろう?
とにかく落ち着かせようと子供の背中を摩ってやっていたナタリアの手が、次の瞬間凍りついたように止まった。

「でもお父さんは、ヴァンって奴の同志だったんでしょ」

それはナタリアも既知のことだったけれど、“子供”の口から指摘された時、何かがナタリアの中にひっかかった。
ガイはルークの“父親”のような保護者で、息子や弟みたいに思って育てて──そして、ヴァンの同志だった。
“父親”で、ヴァンの同志、だった。

「ルークさんを育ててた間、側にいた間ずっとずっと騙すのを手伝って、騙されているルークさんを見捨てたんでしょ」

そんなことはありませんわ、とっさにそう否定しようとしたけれど、できなかった。
ナタリアの脳裏に次々に蘇った過去の記憶が舌を凍りつかせていた。

ガイはヴァンの同志だった、それはあの旅の時にベルケンドでヴァンから聞かされていた。
けれどナタリアは、その事実と過去のガイの行動を結びつけて疑問を持つことはなく、過去のガイとルークを思い返す時も、それまでのようにガイをルークの保護者で親友だと位置付けたままだった。

「でもお父さん、自分はルークさんの父親みたいなものだったって思い続けてる。子供を助けなかった悪い父親だったって後悔するんじゃなく、子供を助けていた良い父親だったと思ってる。この日記に書かれているお父さんも、ずっとそうしてる。ルークさんにもそうしてる。消える前にだって、助けてやるっていってる。ずっと助けなかったこと忘れたみたいに謝ったり後悔したりしてないのに、助けてやるって」

子供の声は涙声になり、身体の震えも大きくなる。
ナタリアも、何時の間にか身体が震えているのに気付いて両手で自分の体を抱きしめるが、それでも震えは止まらない。

部屋は暖炉の火で暖かいはずなのに、ケテルブルクの外よりも寒かった。
窓から入る陽の光で明るいはずなのに、急激に暗くなったようだった。

何度もこの部屋でガイと談笑し、屋敷にいた頃のルークとの思い出を語り合った。
けれど今脳裏に蘇る思い出には、あの時感じた陽だまりのような温もりなど幻だったように少しも感じられなかった。

「恐いよ・・・・・・だって、この日記の中のお父さん、ぼくといる時のお父さんとそっくりなんだもの。お父さんは何時も、僕が辛い時には助けてやるっていうけど、“助けてやってた”と言ってるルークさんにしたみたいに嘘じゃないかって怖い。何時も僕に優しくて、頼りがいがあって、笑ってるけど、ルークさんにそうしながら本当は裏切ってたみたいに、僕のことも裏切るんじゃないかってすごく恐い。ぼくもルークさんと同じことをされるんじゃないかって恐い、恐くてたまらない!だってお父さんは、一度自分の“子供”を見捨てたんだもの!!」

お父さんが恐い、子供はもう一度呟いて泣きだした。
ナタリアはもうガイを庇うような暖かい気持ちも、子供を慰める余裕もなく、呆然と自分の体を抱きしめたまま心を苛む恐怖に震えていた。

人は変われる、けれどガイの心は変わらない。
共犯者なのに、裏切ったのに、子供を騙していたのに変わらなかった、そして今でも変わっていない。 犯した罪を打ち明けることも、謝罪することも、償うこともなく、結果的に自分が“子供”に犯させる一端を担った罪を共に背負うこともなく、けれど“子供”には結果的に犯した罪を背負わせて、自分の否を認めず全て子供だけのせいにしたままだった。
それなのにガイは、ずっと自分をルークの親友で、理解ある幼馴染で、父のような兄のような保護者のままのように思い込み、助けてやっていたと思い返す。

そんなガイの性格が、変化のなさが、表面と裏面の乖離が、そして“父親”としてのガイが、何もかもが恐ろしくて寒くて堪らなかった。





ナタリアはガイから届いた手紙を読みながら、そんな数日前の出来事を思い返していた。
あの部屋と同じように暖炉が赤々と燃えた暖かい部屋の中で、記憶が齎す寒気に小さく身体を震わせる。

手紙には妻が子供を連れて家を出て行ったことと、説得への助力の懇願が綴られていたけれど、ナタリアはもうガイが良い“父親”になれるとは思えなかった。
ガイがルークにしたのと同じことを、あの子にしないとも信じられなかった。
そしてあれほどの裏切りを重ねてなお変わらなかったガイが、これから変われるという望みも持てなかった。

「理解ある幼馴染、親友、父のような保護者、陽だまり・・・・・・全て、幻でしたのね・・・・・・」

ナタリアは冷えた声音で呟くと、くしゃりと手紙を握り潰し暖炉へと放りこんだ。















                        
戻る