※作中のルークは全てアッシュ、オリジナルルークのことです。
誘拐されていたルーク・フォン・ファブレがコーラル城で無事発見された。
その知らせに歓喜の涙を流したナタリアは、すぐに別の涙に暮れることとなった。
「ルークは変わってしまいましたわ、昔はあんな風ではありませんでしたのに」
そう婚約者の変化に嘆く王女に、けれど周囲の眼は冷たかった。
忘失の陽だまり
「いい加減にしてくれ!」
ルークはそう叫んで、ナタリアが押し付けた書物を突き返すが、ナタリアは再びルークに押し付け先程と同じように勉強を強いようとする。
「駄目ですルーク!さあ、逃げずにしっかり勉強なさって下さいまし!」
「今は集中できないと言っているだろう、頼むからそっとしておいてくれ!」
「誘拐される前のあなたがしていたものと同じですのよ?できない訳ありませんわ」
「誘拐される前とは違うんだ、頼むから今はそっとしておいてくれ!」
悲鳴のような声でルークが繰り返すと、ナタリアはあからさまに呆れた顔をして溜息を吐いた。
「変わってしまいましたのねルーク・・・・・・昔のあなたはあんなに優秀で呑み込みが早かったと言うのに」
その言葉に、侮蔑の込められた態度に、傷だらけのルークの心には更に新たな傷がつけられる。
思わず涙が頬を伝い、もう止めてくれという声も掠れた涙声になっていった。
けれどナタリアはルークの気持ちなど構うことなく、再び本をとってルークへと向ける。
ルークはファブレ家に戻ってはきたが、誘拐される前とは大きな変化を残してしまった。
集中力と記憶力が極端に落ち、感情を抑えられず、攫われた時のことを思い出して泣いたり叫んだりと言った精神の混乱を幾度も繰り返す。
喚きたい様な走り出したい様などうしようもない気持ちにかられて物にあたったり、何もできずにぼうっとしたまままま数時間過ごすようなこともあった。
眠りは何時も浅く悪夢に飛び起きることもしばしばで、睡眠不足から余計に集中力を損なって何時も眠気に苛まれている。
そんな状態なので勉強にも支障をきたし、以前と同じペースでの勉強はできなくなってしまった。
シュザンヌは優しくルークを労わって勉強量を減らすように教師に指示したり、ルークが混乱する度に優しく抱きしめてくれたが、婚約者のナタリアは誘拐される以前と同じペースでの勉強を当然のように強い続け、ルークが混乱する度に叱咤するか呆れるだけだった。
そうして、何時もあからさまに変わってしまったことを嘆いた。
ルークも以前の自分との違いは痛いほどに自覚していた。
以前はできたことができない、以前はしなかった混乱を起こす、まるで自分が別人になってしまったような感覚を覚えるほどの変化。
ルークだって、戻れるものなら戻りたい。
誘拐の忌わしい記憶を拭い去り、恐怖に苛まれる日々から解放されたい。
けれどそう思って出来るものではなかったのに、ルークの努力ではどうすることもできないのに、ナタリアはルークの苦悩に構うことなく、ルークの気持ちなど気遣いもせず、ひたすら誘拐される前のルークだけを求めた。
私の愛に欠けてあなたを元に戻して差し上げます、そういって前のルークだけを見て、今のルークにとっての無理を強いるばかりだった。
そうされたルークがますます精神の混乱を酷くしても、医者やシュザンヌから何度止められても、インゴベルトから諌められても、婚約者のわたくしがルークを直してあげなくてどうしますのと、婚約者への愛ゆえなのだと信じて揺らぐことはない。
耐えられずに部屋を飛び出したルークは中庭の花壇の陰に隠れ、自分を探すナタリアを遣り過ごそうと必死で小さな体を縮めていた。
シュザンヌが体調を崩し寝付いてしまっている今の屋敷ではナタリアに逆らえるものはおらず、病の母の元にかけこんで心配をかけることもできず、ナタリアが諦めて城に帰るまでこうして隠れているしかなかった。
目の前の、かつてナタリアと遊んだ頃と変わらない中庭の風景と、変わってしまった今の自分たちの落差に、ルークは声を抑えて涙を零す。
ナタリアは陽だまりみたいに暖かい少女だったはずなのに、いつからこんな風になってしまったのだろう。
そけとも自分が気付かなかっただけで、ナタリアに幻想を抱いていただけなのだろうか。
大きくなったら一緒に国を変えよう、死ぬまで一緒にいよう、そう約束したのはほんの数カ月前なのに今のルークには酷く遠い記憶になっていた。
もうあの頃の自分がどんな気持ちでその約束を口にしたのか思い出せない。
あの頃の自分が、どんな気持ちをナタリアに抱いていたのか思い出せない。
思い出したとしても、見知らぬ他人の記憶のようにしか感じられないような気がした。
例え昔通りの“優秀で呑み込みが早いルーク”に戻ったとしても、この冷たい記憶が消えない限り、きっと自分の中のナタリアへの気持ちは昔の暖かさを取り戻せない。
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