「これは何の嫌がらせなんだ、ジェイド!?」

執務室に所狭しと飾られた茶髪の女性の写真を指さしたまま、ピオニーは私を睨みつけた。







失われた恋、失われぬ想い







「いやはや、心安らかに執務について頂けるようにと臣下が思いを籠めたインテリアに文句をつけてくるなんて酷い主君ですねぇ」

「確かに籠ってるなぁなんか違う感情が!」

「そんなことより早く仕事にかかって下さい。皇子殿下がサボっていては臣下に示しがつきませんよ」

「昨日別れた女の写真をこうも並べられて力がでると思うか?サボりたいってか泣いて引き籠りたくなってくるぞ!」


ピオニーから長年遠距離恋愛をしていた恋人との破局を告げられて、まずしたことはこの“嫌がらせ”だった。
彼が仕舞いこんでいたアルバムから彼女の写真を持ちだして、執務室に、机に座った時に目に入る場所に並べまくった。

「お前には失恋した親友を慰めてやろうという思いやりはないのか!?」

「おや、あなたが私に思いやりなどというものを期待してしていらっしゃったとは思いませんでしたよ」

「そうだな、お前にそんなもの期待しても無駄だった・・・・・・だが、何も傷を抉ることもないだろう、せめてそっとしておいてくれ、これでも結構応えているんだからな・・・・・・」


そういってピオニーは机に突っ伏し溜息を吐いた。
いつも豪胆で快活なピオニーにしては珍しく、本気で落ち込んでいるらしい。

この『親友』は女好きだが決して浮薄な恋を楽しめる様な性質ではなく、むしろ本気の恋を長く深く引き摺る性質であることは良く知っていた。
けして軽い気持ちで結婚を前提の交際などするはずもないことも。
だから相手が他の女であれば、私もそっとしておいてやる程度のことはしてやっただろう・・・・・・他の女、ならば。

「それともお前は、怒っているのか」

「何をですか」

怒っている。
確かにこの気持ちは、それに近いのかもしれない
けれど私が怒る理由などないのにそう結論づけることもできなくて聞き返すと、ピオニーは机から顔を上げ、じっと私の目を見つめてゆっくりと口を開いた。

「ネフリーを」

私が何をされたというわけではないのに。
ピオニーが失恋しようと私には何の関わりもないはずなのに。

「幸せにできなかったことをだ」

そう言うピオニーの顔も、何処か怒っているような顔だった。
私にではなく、恐らくは自分自身に。

「お前は、俺がネフリーを幸せに出来なかったことに怒っているのか」

ピオニーはもう一度繰り返したけれど、それでも私には分からなかった。
こんなにも心がざわついているのに、その理由が私には分からない。
ただ、酷く不快だった。

「どうして私が怒るんです」

「大事な妹だからだろう」

私は笑おうとして失敗し、下がってもいない眼鏡を直して無様な顔を隠した。
“大事な妹”だなんて、私たち兄妹には到底似合わない言葉だ。
その原因の殆ど全ては、おそらく私にあるのだろう。

「私はネフリーにとって良い兄ではありませんでしたよ。あなただって知ってるじゃないですか」

「ああそうだな。子供の頃からネフリーを怯えさせてばかりいたもんなお前」

私を『悪魔』と呼んだ妹、そう呼ばれるようなことを繰り返した兄。
記憶にある幼いあの子が私に向けた顔は、ほとんどが泣くか怒るか怯えている。
ピオニーやサフィールやネビリム先生に向けた顔とは正反対に。


「でも、大事だったんだろ」

ピオニーがまた繰り返したけれど、今度も私には分からなかった。
昔から、自分があの子をどう思っているのか分かったことなんてなかった。

「人に関心のないお前なのに、昔からネフリーのことだけは少しは気遣ってただろう。結果としては怯えさせることになっちまったけど、泣いてるネフリーのために人形のレプリカを作ってやったり、結果としては怒らせることになっちまったけど、魔物の死体を怖がるネフリーのためにサフィールの家の庭に埋めたり、結果としては」「もういいです」

レプリカの人形を差し出された時のネフリーは凍りつき、怯えるばかりでそれを手に取ろうともしなかった。
魔物の死体を埋める場所を自宅からサフィールの家の庭に移した時には、サフィールをいじめるのは止めてと泣きながら怒られた。

私がすることは何時も空回りで、ネフリーを怖がらせて、他の誰かを傷付けることでネフリーも傷付けて、何ひとつネフリーのためになったことはなかった。
だからずっとあの子を避けていた。
私があの子に何かすれば、あの子のためを思っているつもりでしたことでもあの子を傷付けてしまうから。

「結果は伴わなかったけど、でも動機はネフリーのためだった。お前はネフリーが泣いたり、怯えたりするのが嫌だったんだろ。ネフリーのこと、大事だからそう思ったんだろう──だから、俺がネフリーを幸せにできなかったことにも怒ってるんだろう」

二人の破局を知った時、最初に浮かんだのはあの子の泣き顔だった。
子供の頃と違ってもうあの子は私の前で泣くことなどなかったのに、今度のことでも私の前で泣いたりなどしないだろうに、それでもあの子はきっと泣いているだろうと思った。

そうして、あの子を泣かせたピオニーにこの気持ちが沸きあがってきた。

「でもな、俺は後悔してないよ」

ああ、また胸がざわついてきた。
何を臆面もなく言うのかこの愚皇子は。
破局するなら最初から付き合わなければ良いじゃないか。

妾腹とはいえ皇子と、平民の娘。
身分が違うことなど──皇位を継ぐことは予想してなかったとしても──分かっていた。
何れ失われるかもしれない恋なんか、何の意味があったんだ。
失くして泣いて辛い思い出になるだけなら、最初からしなければ良かった。
そうすればあの子は泣かなかった。

「結局は別れることになったとしても、でもあの頃の俺たちが真剣に好きあって幸せだった思い出は変わらないんだ。今はまだ辛いけど、きっともう少し傷が癒えたら、この写真も幸せな気持ちを沸かせてくれるものになる。そうしたら見える場所に飾り直すさ。お前や先生やサフィールの写真と一緒にな。この気持ちはずっと俺の中で変わらずにあり続けるんだ。きっとネフリーにとってもそうだ、この先一緒にいられなくても、俺たちは同じ思い出を同じ気持ちをずっと共有できる。無意味なんかじゃない。だから付き合わなければ良かった、なんて俺は思わない」

「私には──分かりません。失われた恋なら意味なんてないでしょう」

恋人でなくなったなら、変わってしまったなら、思い出だって変わってしまうじゃないか。
恋人との思い出ではなく、実らなかった辛い恋の思い出になってしまう。

変わって欲しくなかった。
ネフリーの中の幸せな思い出が、辛い思い出に変わって欲しくなかった。


「だろうな──だからお前は、死が理解わかりたくないんだな」

「どういう意味ですか」

「いや」

首を振るピオニーは頑是ない子供の我がままに苦笑する大人のような顔をしていて、一瞬その顔がネビリム先生と重なり、あわてて頭を振ってその錯覚を追い払った。
よりにもよってこの愚皇子がネビリム先生と重なるなんてなんの冗談だ。

「でもお前は、誰かを大事に思えないわけじゃないから、きっと何時かは分かるさ」

「あなたのいうことは何時も私には分からないことばかりです──が、癪ですがひとつは分かりました」

「おっ、分かったのか?」

「少なくとも、私がネフリーのことであなたに怒っているというのは確かなようです。だから嫌がらせはやめません☆理由がわかったらもっとムカついてきましたから」

「ちょっ待てってお前、え、そのデッキブラシはなんだ、なんでそんなの俺に向けるんだ、あ、え、やめろおおお!」

でも、あの子が泣いているだけじゃないというのも、分かりましたよ。

だから今日はブウサギを焼くのは勘弁してあげますよ、ピオニー。












※この話の中ではピオネフはゲームのジェイドの説明にあった身分違いで別れた設定になってます。なんかよくわからない話ですいません。




                        
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