ティアはアニスに手を引かれ、必死に走っていた。
罵声を浴びせられ、石やごみを投げつけられ、誇っていた血筋を教団を貶められ、傷付き汚れたぼろぼろの姿で必死に逃げていた。

どれだけ走ったのか、やっと声が聞こえなくなったことに気付いて振り向き、彼らが追ってきていないことを確認すると、ほっとすると同時にどっと疲労に襲われ、その場に倒れるように手と膝をつく。

「どうして・・・・・・ユリアは魔女なんかじゃないわ、滅びの預言が外れることを望んだのに、なのにどうして・・・・・・?」

出ていけ、魔女の使徒、詐欺師の仲間、狂信者の部下、そう非難する声と憎しみに染まった顔が頭に焼き付いて離れなかった。







気付けばすべては幻想に過ぎず







障気が中和され、ヴァンが討たれて数年の間、世界は、ダアトは平穏だった。
ティアに見える範囲では上手く行っているように見えただけ、かもしれない。
その平穏は、たった数年のことだった。

長年ユリアの代弁者として預言に従うことを世界に説き、時には強制してきたローレライ教団。
預言があった世界では、教団は人々からは神の代弁者のごとく崇められてきた栄光の歴史を持ってきた。
けれどユリアも、預言も、教団も、光だけでなく大きな影をも孕んでいた。


預言に詠まれていたから別れなさい。
そう詠まれ引き裂かれた恋人。

預言に詠まれていたから軍人になりなさい。
そう詠まれ戦死した軍人。

預言の通りに世界を動かすために殺された者、家族を奪われた者、人生を滅茶苦茶にされた者。

預言に詠まれているからホドに住みなさい。フェレスに住みなさい。預言に詠まれているから鉱夫になりなさい。
預言に詠まれているから結婚しなさい、離婚しなさい、転職しなさい、移住しなさい、預言に詠まれているから、預言に詠まれているから・・・・・・。


預言を信じてその通りに行動したのに不幸になった。
預言に従っていれば幸せになれると言ったのに、世界を救った聖女ユリアの名を出して信じさせたくせに。

預言が幸福に導くものではなかったこと、預言に世界の滅亡が詠まれていたこと、預言が覆すことが可能なものだったこと。
そしてユリアが滅亡預言を詠みながら崩落するホドに譜石を隠してまで世界から滅びを隠し続けた、まるで人々が世界が滅ぶと気付かずそのまま滅亡することを望んでいるかのような行為が明らかになったことで、預言への怒りはユリアと、まるでユリアの代弁者のように振舞ってその名を利用し預言に従えと唱えてきた教団へと向かった。

かつて信じた教団を、崇めた聖女を、守った預言を、人々は忌わしいものと断じ、教団の教えを記した書物を焼き、ユリアの像に傷を付け、そして教団の人間をみれば罵り、石を投げるようになっていた。




ユリアシティは教団が人々の怒りを抑えきれないと判断された時に放棄された。
教団の中でもユリアシティはユリアによって築かれユリアの預言に世界を従わせる監視者の役目を負っていたため激しい非難と過激派の襲撃の標的になり、住民の犠牲を懸念したテオロードの指示で住人は外郭大地に分散し、元の身分を隠して暮らすようになっていた。
当初ティアは教団に残るつもりだったが、ユリアの子孫が教団にいることでユリアと教団の同一視に拍車をかけると断られ、神託の盾にいたことはもちろんユリアの子孫であることも隠すようにと厳命された。


しばらくは、ティアはアニスと共にキムラスカの小さな村への移り住みひっそりと暮らしていた。

やがて教団は解体され、放棄されたユリアシティは魔女ユリアの象徴として破壊され、教団とユリアは悪とされるのが当然の風潮になっていった。
その度にティアは戻ろうとしたが、トリトハイムやカンタビレからの手紙はそれを諌めるものばかりで、そしていつも“ユリアを思い出させる人間が表に出れば余計に事態を悪化させる、だから二度と教団に関わってはくれるな”とティアを打ちのめす言葉が綴られていた。


そんなある日、村に訪れた旅の商人が、ティアの顔をみて驚きの声を挙げて叫んだ。
“この女は教団にいた神託の盾の兵士だ、大詠師モースの部下だ!”
男は過去にダアトに巡礼し大詠師モースに寄進に訪れた時に、ティアの顔を見覚えていた。
その途端今まで優しかった村人は豹変し、一斉にティアとアニスに罵声を浴びせ、石やごみを投げて追い出した。




「どうして・・・・・・どうして・・・・・・?」

ティアは倒れ込んだままただ疑問と、誹謗を否定する言葉だけを呟きながらすすり泣く。
村から命からがら逃げ延び、既に声は聞こえなくなっていても、頭の中にはユリアを罵る声、自分が誇っていた血を貶める声が蘇ってきて涙が止まらなかった。

村人たちに囲まれ罵られた時、ティアはユリアは滅びの預言が覆されることを望んでいた、子孫の自分にはユリアの気持ちがわかると必死に弁護したが、かえって怒りは油を注がれたように燃え上がり、ユリアと、ユリアの子孫であるティアへの罵りを強くするだけだった。

ユリアの子孫であることを誇り、何時も称えられてきたのに。
ずっとユリアの子孫である自分は偉いのだと思ってきた、それがこんな風に覆るなんて我慢できなかった。

「ユリアが何をしたっていうの、魔女だなんて言いがかりをつけられて、こんな風に誹謗されるようなことはしてないはずよ、教団だって、わたしたちだって、何も悪くないのにどうしてあんな風に責められるの!?」

「何も悪くない・・・・・・わけはないよ、ティア」

「アニス!?」

自分に同意して慰めてくれるものとばかり思っていた友人の否定に、ティアは裏切られたように気持ちになり、立ちあがるとアニスの肩を掴んで言い募る。

「アニスまでなにをいうのよ、あの時も言ったでしょう、ユリアはユリアは預言が外れることを望んでいたのに、どうしてこんな誹謗を受けなければならないの」
「ねえ、ティアはどうしてそう思うの?」

けれどティアが必死に言い募る言葉にもアニスは同意することも慰めることなく、ただ静かにティアを見上げて聞き返した。

「どうしてって・・・・・・ユリアがそんなことを望むはずがないじゃない!」

「ユリアは、ホドが崩落することを預言で知ってたのにホドに譜石を隠したんだよ?ホドが崩落して、譜石が人の手の届かない所に落ちて、滅亡の預言を人が知ることができなくなったら、何も知らないまま滅ぶ可能性が高くなるのに。預言が外れることを望んでいたなら、どうして預言を明らかにしなかったの。ユリアがしたことは、ただ預言を隠しただけ。預言が外れるどころかその逆の結果を齎す行為しかしてないんだよ」

「ア、アニスは、アニスまでユリアが世界を滅ぼそうとした魔女だと言うの!?」

「二千年も前に死んだユリアの気持ちなんて、もう誰にも分からない。あたしも何が真実だなんて言うつもりはないよ──でも、多くの人から見れば、災いが起こることを知っていたのに隠すというのは、その災いが防がれることなく起こってしまうことを望んでいるように見えるし、防がれることを望んでいたようには到底見えないんだよ。例えそのつもりがなかったとしても、結果的にはそうなってる」

ティアは反論しようとしたが、その方法が思いつかなかった。
世界の滅びを詠みながら失われる地に譜石を隠したユリアの真意が滅亡預言の隠蔽ではなかったと、そんなユリアが預言が覆されることを望んでいたと庇う言葉が思いつかない。
それでも、そのために教団や自分までが追われることに我慢ができなくて、再び疑問と否定を繰り返す。

「でも、でもどうして教団やユリアシティまで、私たちまでこんな風に襲われるの、教団は何もしてないじゃない、もしもユリアが悪かったとしてもそれは教団のせいじゃないわ!」

私たちは何も悪くない、そうでしょうアニス。
これには同意してくれるとばかり思っていたのに、アニスは悲しそうに、けれど僅かに非難の籠った眼差しでティアを見ると静かに首を振った。

「どうして・・・・・・!」

「何もしてなくはないよ。教団はずっと、間違った教えを人々に説いて預言を守らせてきたんだ。不幸になる預言、世界の滅亡をも呼んだ預言を守るべき、そうすれぱ幸せになれる、って。そしてユリアシティは多くの人が亡くなる預言まで隠してきたし、その通りになるように監視してきた。ティアも言ってたでしょ、預言は守られるべきって。そう信者に教えてきたんでしょ?あたしだって、そうしてきた。ここまでされるのは理不尽かもしれない、でも何もしてないわけじゃないんだよ。──あたしたちは特に、ね」

「知ってたら言わなかったわ!預言は守られるべきだっておじい様もモース様も、みんな言ってたじゃない、だからあたしたちもそれを信じただけなのに、それが悪いことなの?」

「──ねぇ、ティア。ティアはモースの部下だったんだよね。一年ぐらいかな?」

「え?ええ・・・・・・そうだけど、こんなときにどうしたの」

唐突なアニスの問いに、それまでの話との関連が見いだせずにティアは眉を顰めるが、アニスは構わずに問いを続ける。

「モースの命令でさ、何人殺したの?ティア、あの旅で戦った時どうみても初めての殺しじゃなかったよね。五人?十人?百人?もっとかな?」

「わ、わたしは・・・・・・モース様のご命令で、任務で、教団のために仕方がなく、それだけの理由があった人たちだったのよ、仕方なかったの!」

「その人たち、本当にそのティアが教えられた、それだけの理由──「表向きの理由」
のために殺されたのかって、考えたことない?」

胸の奥を貫かれたような気がした。
かつてモースの本性が暴かれた時に心の奥に芽生えた、けれど仕舞いこんで目を逸らしてきた疑いを、アニスの言葉は容赦なく突き、暴いて行く。

「ティアだってもう知ってるでしょ。ローレライ教団は、神託の盾はね、ティアが憧れてたようなローレライの騎士でも立派な軍人でもなんでもないんだよ。預言を遂行するためには汚いことだって酷いことだってやってきた。例えばナタリアのすり替え、あれもね、ナタリアのお婆さんの単独犯行じゃなかったんだよ。あらかじめ神託の盾の、モースの直属の部下、ティアと同じ情報部の人間がお城に特務官として派遣されていて、すり替えを煽動して手伝ったの」

「嘘でしょう・・・・・・!教団がそんなことするはずが」

「本当だよ・・・・・・その一人がね、ナタリアの所に懺悔しにきて全てを話したの。本物の王女様の遺体を持ちだして埋めて、ナタリアのお母さんに薬を飲ませて眠らせて、最初はできないって拒否したお婆さんを唆して──ううん、脅迫って言った方が近い形ですり替えの預言を実現させたの。その任務にあたった二人のうちの一人はね、直前に家族を全て亡くしてる。表向きは強盗に殺されたことになってたけど、それもモースの命令、預言のために別の部下がやったんだよ」

「う、嘘・・・・・・そんな、そんなことどうして」

「極秘の任務だったから、家族から秘密が漏れないように天涯孤独のものが望ましかったんだよ。でも適当な者がいなかったから、任務につく者の家族を殺して天涯孤独にしたんだ。その人の祖父母も、両親も、兄弟も、強盗の仕業に見せかけて殺して、最後にはその人も始末して」

もう嘘だという気力もなくなったのか、その場に崩れ落ち、聞きたくないと言うように首をふったが、アニスは淡々とティアの幻想を砕き続けた。

「ローレライ教団は、中でもモース直属の情報部はそういう汚れ仕事をやってきた組織なんだよ。人々が教団を、教団の人間を憎んでいるのは、そういう教団の暗部が暴かれてきたからでもあるの。もしかしたらさっきの人たちにも、家族や友人を殺された人がいたのかもしれないね。そういう教団で、そういうモースの命令で殺した人たちが、本当に表向きの理由で殺されたと思う?」

「モース様は私にそんなこと教えてくださらなかったわ!」

「秘密保持のために部下やその家族を惨殺するような男が、部下に本当のことだけ教えてくれると思う?アクゼリュスの時だって、ティアはアクゼリュスの第七譜石を確認しろって命令されたんでしょ。でもモースは崩落することを預言で知ってたんだから、その崩落を起こす親善大使ルークと一緒に向かわせるのっておかしいじゃない。第七譜石を回収するためだったなら親善大使よりも早く着くように一緒にじゃなく先に、もっと迅速な移動手段を使わせたはずだよ。回収する前に崩落が起きればアクゼリュスと共に魔界に落ちちゃうんだから。例えティアの譜歌のことを知っていたとしても、あらかじめ教えられて安全な所で待機してなかったら突然の崩落に巻き込まれて譜歌を使う間もなく共に落ちてしまうかもしれないし、もしも無事に魔界に落ちたとしても、アクゼリュスの崩落跡からはタルタロスでもないとユリアシティには行けなかったから、第七譜石はそのまま障気の中に取り残される。ティアに何も知らせず、親善大使と一緒に行かせたと言うことは、モースは第七譜石を回収する必要を感じてはいなかった、恐らくは偽物だと知っていた。なのに偽物の譜石の確認なんかをわざわざ、必要もないのに親善大使ルークに同行させて行わせたのは、ティアに本当のことを教えずに殺そうとしたんだよ」

「あ・・・・・・」

そう言われればあの任務は不審なことばかりだったと腑に落ちると同時に信じていた上司が自分を殺そうとしたと分かって今更に衝撃を受ける。
モースが悪人であったと分かっても、それでもティアはまだ心のどこかで良い上司だったのだと信じていたから。
けれどモースは他人にだけではなく部下にも、ティアにも、尊敬できる上司でなどではなく、ティアが信じていたものは全て幻想だった。

「そんなモースが、ティアに本当のことだけ教えていると思う?ティアが今まで殺してきた人たち、本当にティアが信じていた表向きの仕方ない理由だけで、ナタリアのすり替えに関わった人やその家族のような人がいなかったと思う?」

「わたし、わたしは何も知らなかったのよ!預言は守られるべきだって、任務で仕方ないって、そう教えられてたんだもの!私はその通りにしただけよ!そんなこと何も知らなかった、誰も教えてはくれなかったわ!それでも私が悪いと言うの!?」

「ティアが何も知らなかったのは分かってるよ。一年も一緒に旅したんだもの。知っていて何も知らないような顔で預言は守られるべきだと言えたり、任務だからって秘密保持のためだけに人を殺したりできる人間じゃないって分かってる。でもね、何も知らなかった──だから悪くない、自分の罪じゃない、なんて言う資格、たとえ他の人にはあったとしても・・・・・・あたしたちにないんだよ」

意味が分からない、という顔のティアに、アニスは自嘲気味に言った。

「あたしたち、ルークになんて言った?信じていた相手に騙されて、言われるままに行動して、何も教えて貰えずに、何も知らずに罪を犯したルークに、なんて言ったっけ?」

「!!」

ティアはかつてヴァンに騙されていたルークに言ったことを思い出し、それがモースに騙されていた自分にも跳ね返ってくることに気付いて呆然となる。
頭の中で過去の自分が、お人形さん、と自分を罵る錯覚を覚えて、その苦しさに思わず胸を抑えた。
けれど頭の中のティア自身は次々と、“”愚か”な自分を責める言葉をぶつけてくる。

「ティアが、預言を守っても幸せにはなれないし、先に待つのは世界の滅びだなんて知らずに預言は守られるべきだと言ってたのも、モースを信じて、モースに言われるままに行動して、モースに何も教えて貰えずに、何も知らずに罪を犯したかもしれないのも、『知らなかった、だから悪くない』なんて言う資格、ないんだよ。だって──それを言い訳にさせなかったのは、あたしたちなんだから。だから、預言は守られるべきって言ってきたのも、もしかしたら殺されるような理由のない人たちまで殺してきたかもしれないのも、あたしたちが悪くないわけがないんだよ、ティア・・・・・・認めようよ」


ティアの耳に、再び先程の村人たちの怒りの声がよみがえり、過去に自分が殺してきた、モースの命令で言われるままに殺してきた何百人もの人々の断末魔と重なった。

あの人たちは、本当は殺される理由なんかなかったのかもしれない。

自分はローレライの騎士などではなく、何の罪もない人を、言われるままに何も考えずに殺めてきたただのモースの殺人人形かもしれない。

民間人を守るのが軍人の義務だと言った自分の手は、もうとっくに罪なき民間人の血に濡れていたのかもしれない。

モースが悪人だと知っていたはずなのに、悪人の命令に従って人を殺めてきたことを省みることもなかった自分は。


自分が信じていたあるべき軍人の理想、ローレライの騎士の名、正しさ、ユリアの子孫の誇り、自分の中の大事にしていた幻想ががらがらと崩れ落ちる音が聞こえて、ティアは崩れ落ち、手で顔を覆ってしゃくりあげながら誰にとも知れない謝罪を呟く。

あたしたちも同じだったのにね、と呟き頬に一筋の涙を流したアニスが見上げた空は、戻ってこなかった彼の髪の色のような見事な夕焼けをしていた。












ナタリアすり替えの経緯は小説より。
小説では乳母のすり替えの動機は預言や王妃のためよりも、秘預言を知った以上は逆らえば自分も孫も殺される、ならせめて孫だけでも生き延びて欲しいということだったようです。
それならラルゴが憎むべきは預言より、乳母のような預言に従わされた人より、預言に従わせていたモースと教団だったんですね。
例え預言があっても、教団が強制しなければメリルを奪われることはなかったでしょうから。
でも、誰かが裏で操作しなければ起きないなら、秘預言って一体なんなんでしょう。
関わった二人はティアと同じ情報部で、一人は家族を強盗の仕業にみせかけて消され、すり替えの後には本人も消されました。
軍人は民間人を守る者だと言えるティアは、恐らく自分は民間人を殺したことはないと信じているのだと思いますが、ティアがもしもモースの命令で何人もの人を殺してきたとすれば、それは本当にティアが信じていた理由によるものだったのか。
あのモースが、ティアにティアが納得するような理由だけの殺しをさせていたとは思えないんですよね。
殺人以外の任務だって、ティアが聞かされた理由とは違う理由で行われ、結果として悪事に加担したかもしれない。
モースがティアの信じていた善人ではなかったと分かった時に、ティアは騙されて悪事に加担させられたかもしれない可能性を、騙されてやったことも罪だというなら考えて欲しかったです。

騙されることや、何も知らなくても利用されたことも悪いなら、同行者はいったいいくつ自覚していない罪があるんでしょうね。
中でもヴァンに騙されてルークを騙すのに協力したことで結果的にアクゼリュス崩落の一端を担ったガイと、過去に研究を皇帝に利用され結果的にホド崩落の一端を担ったジェイドは、とても崩落に自分の責任を感じているように見えませんでした。




                        
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