一度失った信用は簡単には取り戻せない







気がつくと、ルークは“生まれた時”の姿に戻り、ファブレ家の庭にいた。
何も解らず、まともに歩くこともできず、転んだ痛みに泣き喚いていると、上から冷たい声が降ってきて小さな身体を竦ませる。

「これではまるで赤子ではないか。情けない・・・・・・」

言葉の意味は分からなくとも声にも態度にもあからさまに滲んだ呆れは胸に深く刺さって、“父”の冷たい態度に怯えて更に泣きわめき縋るものを求めて手を伸ばすと、金色の髪の少女が優しげに微笑み白い綺麗な手を差し伸べてくれた。

「大丈夫。大丈夫です。あなたはわたくしが絶対に立ち直らせてみせます!わたくしのこの愛にかけて!」

「ナタリア…」

伸ばそうとしたルークの手は、けれど“従妹”が笑みをそのままに強請った無理に凍りつく。

「早くあの約束思い出して下さいませ!」

何時の間にかルークもナタリアも現在の姿に成長していたが、ナタリアは幼い頃と変わらず記憶を取り戻せと繰り返す。
覚えてない、思い出せない、自分ではどうしようもできないことを執拗に強請る美しい優しげな顔は酷く醜く冷たく見えた。

「記憶障害のことはわかってます。でも最初に思い出す言葉があの約束だと運命的でしょう・・・・・・」

記憶“障害”だと、ただ忘れているのではないと分かっているのに、どうして運命的などという自分の陶酔のために婚約者に無理を強いるのだろう。

「必ずもとのルークに戻らせてみせますわ!」

彼女は自分を見ていない。“前のルーク”しか見ていない。
記憶を取り戻し別人のような前の自分に戻ることを──今の自分が消えることを、望んでいる。
青ざめて後退るルークの様子など意に介さず、うっとりと頬を染めて微笑んだままま、ナタリアはその視線を何時の間にか隣に現れていたアッシュに移した。

「“本物”のルークは此処にいますのよ!」

そう叫んで“偽物”の自分を捨ててアッシュに縋りつく。

「七年間存在を忘れられていた“本物”のルークは誰が支えてあげますの・・・・・・」

「この者は王家の血を引かぬ“偽姫”ですからな!」

「わ、わたしの娘はとうに亡くなった・・・・・・」

背後に現れたモースとインゴベルトが口々に“偽物”と責め始めると、ナタリアはアッシュに縋りついていた腕を解きインゴベルトへ走り寄ると涙ながらに縋りついた。

「お父様、私は・・・・・・王女でなかったことよりもお父様の娘でないことの方が・・・・・・辛かった」

“偽物”を否定して“本物”を認めたその口で、否定された“偽物”の悲しみを訴えるナタリアを見るのに耐えられず逃げだしたルークの前に、ガイの姿が浮かび上がる。

「ガイ!」

「大丈夫だルーク、俺の親友はお前だろう?」

ほっとして頷こうとした瞬間、ガイが笑顔のままでルークを突き飛ばした──ヴァンの腕の中へ。

「愚かなレプリカルーク」

「ヴァンデスデルカ、俺の同志」

ガイは笑っていた。
ヴァン師匠を同志と呼びながら、ルークをヴァン師匠に渡しながら──笑ってた。笑ってた。笑ってた。笑ってた。

いやだガイ助けてヴァン師匠は俺を騙してるんだ知ってるはずじゃないか見捨てないで“親友”だっていったのにどうしてどうしてガイは俺を──





「ルーク・・・・・・ルーク・・・・・・大丈夫か?」

目を開けた瞬間に飛び込んできたガイの顔にゾッとして、ルークは思わず小さく悲鳴を上げて飛びのいた。

「いやだ、いやだ!どうして・・・・・・」

「ほら、しっかりしろよ、魘されてたぞ」

ガイはルークの肩を引き寄せ落ち着かせようとするように背中を軽く叩くと、顔を覗き込んで優しく微笑いかける。
けれどその笑みはルークに夢の中の恐怖を思い起こさせるものにしかならなかった。

「またアクゼリュスの夢か…それともヴァンの夢か?」

辛かったな。そう気遣う声も顔も夢の中の──過去のガイと全く同じだった。
ヴァンに騙されているルークをただ見ていただけのあの頃と。
その優しげな笑顔が、労わるような声音が、背中を撫でてくれる手が、溜まらなく苦痛だった。

「ルーク?」

笑いかけても気遣う声をかけても黙ったままのルークを不審げに見るガイに、詰問の言葉が喉元まで沸き上がる。

──なんで謝ってくれないんだ?

──なんで謝りもしないのに、そんな風に笑えるんだ。

けれど吐き出される前に、恐怖と猜疑と諦念がルークの口を塞いでしまう。
アクゼリュスで責められた記憶が、ガイが共に負うべき罪ですらルークだけに押し付けて責めた記憶が蘇える。

言えば謝ってくれるのかもしれない。やりなおせるかもしれない。やりなおしたい。
でもあの時と同じように、自分の否を認めずに俺だけを責めるのかもしれないと思うと怖かった。

だってガイは、今だって自分が共に背負うべき罪ですら俺一人に押し付けたくせに、何の罪悪感もないかのように笑ってるじゃないか──





風にあたってくる、そう言い置いてガイの返事も待たず逃げるように部屋を飛び出した後、宿を出て冷たい夜風の中をとぼとぼと歩きながら、ふと見上げた空に昔を思い出した。
“外”に憧れ、軟禁された生活の中で見える数少ない“外”そらを良く見上げていた頃のことを。

今見上げてる夜空はあの頃と何も変わらないのに、自分は何もかもが変わってしまった。
あの頃はガイに言いたいことをなんでもいえたのに、今では理不尽に責められることに怯えてい言いたいこともいえなくなった。
屋敷にいた頃の、何も知らなかった頃の幸せな記憶も、共犯者と傍観者の欺瞞に塗り替えられて苦痛の記憶でしかなくなった。


ベルケンドでガイがヴァンの同志だったと分かった時、ガイだけはルークを見捨てなかったとナタリアは言った。

けれどガイは七年間ずっと、ヴァンに騙されているルークを見捨て続けていた。
優しい声で、優しい笑顔で、俺は親友だといいながらヴァンがルークを騙すのに協力していた。

そうして騙されたルークが犯させられたアクゼリュス崩落の罪を、ルーク一人に押し付けて見捨てて行った。
ガイはヴァンがルークを騙すのに協力していたのだから、騙したルークを操ってやらせたアクゼリュス崩落はガイの罪でもあったはずなのに。


ガイを許したかった。だから謝って欲しかった。悔いて欲しかった。

昔のようにガイを友と呼びたかった。
謝っても謝られた方は困るとガイは言ったけれど、謝ってくれなければ、悔いていると態度で示されなければどうして許すことができるだろう。
友人の顔をして見捨てたことに何も感じていないかのようなガイをどうして信じることができるだろう。

謝りも悔いもしないままに笑いかけられる度に、俺はお前を傷付けたことに罪悪感など感じていないのだと言われている気がした。
ガイにとって自分は、騙しても傷付けても見捨てても何も感じないほどにどうでもいい存在なのだと思い知らされた。

もしアクゼリュスで謝ってくれたなら。
全てを話しルークに悔いを露わしてくれたなら、ルークはきっとガイを許していたのに。
ベルケンドで真実を知った時から、ずっとずっとガイが謝ってくれるのを待っていたのに。



ガイは何も変わらずルークに笑いかける。



悔いもせず謝りもせず笑い続ける。



ガイが何の後ろめたさも躊躇いもなく親友だと笑っているのを見て幻滅するのは、もう疲れた。
きっともう、自分はガイを許せないとルークは思った。
もう手遅れだ。

一度失った信用を取り戻すには、もう全てが遅すぎる。















                        
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