「駄目です、ルーク!」

「あー!あー!」

(──やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、嫌だ、こんなものは見たくない聞きたくない!)

アッシュは目を塞ぎ、耳を塞ぎ、真実から心を塞ごうと叫ぶ。
だがオリジナルとレプリカの大爆発によって流れ込んでくる記憶はそんなことで防げるはずもなく、レプリカルークの記憶はオリジナルルークたるアッシュの中へと流れ込み、暖かな幻想を打ち砕く醜悪な真実を否応なく突きつけて行く。







凍てついた陽だまり







幼い“ルーク”は泣きそうに顔を歪め、小さな手で分厚い本を叩き落とし、首を振り意味を成さない声で必死に叫ぶ。
言葉を知らない身の精一杯で出来ないと、嫌なのだと拒絶の意思を伝えようとしているのに、ナタリアは構わず本を拾い上げると無理矢理に押し付て勉強を強いる。
分厚く難解なその本は誘拐前のアッシュが学んでいたものだったが、知識のない今の“ルーク”には学ぶどころか読むことも出来ない、そもそも何に使うものなのかも分らず、押し付けられることにも怒られることにもただ困惑し怯えるだけだ。

「ああー!あうああ!」

「ルーク!あなたは公爵家の跡取り、わたくしの婚約者なのですよ?しっかり勉強して、一日も早く記憶を取り戻して頂かないと」

(──字を読めない、言葉も話せない“ルーク”が勉強などできるはずがないだろう!)

“ルーク”の苦しみに全く頓着しないナタリアの姿が信じられなかった。
嫌がっているのに無視され出来ないことを強いられ悲痛に泣き叫ぶ、赤の他人が見ても心痛めるであろう“ルーク”の様子にナタリアは躊躇いもせず更に苦しめようとする。


「うぜえ、ナタリア」

「うぜえではありません!」

(何故気付かない?“嫌だ”という言葉すら知らない“ルーク”が、“うぜぇ”などとどうして覚えたのか。“ルーク”の近くにいる人間が、“ルーク”に聞こえるように、“ルーク”が覚えるほど口にしていたからだと何故気付かないんだ!)

“ルーク”の不自然さに全く頓着しないナタリアの姿が信じられなかった。
最初に発した意味のある言葉が人を罵る言葉だなどと、赤の他人であっても不審を抱くであろう“ルーク”の様子にナタリアは何も気付かずにただ叱りつける。
分別のある者が口にしたなら窘められる言葉であっても、言葉を知らない“ルーク”では意味を理解しているのかも定かではないのに。


「せめて読み書きだけでも・・・・・・」

(ならば何故一から言葉を教えようとしない、何故言葉を教えようとはせず無理に難解な学問をさせようとする?)

記憶障害だと思っていたとしても、知らないのではなく忘れていたと思っていたとしても、今の“ルーク”には字を読むことすらできないのは明白なのに、しようのないことをしろと“ルーク”を苛み続けるナタリアが信じられなかった。


「今、何と仰いまして? ルーク!」

「ナタリア、うぜぇ! うぜぇ、ナタリア!」

「名前を・・・・・・わたくしの名前を呼んでくれた・・・・・・」

ナタリアは自分の名前を呼ばれたことに、自分のことだけ夢中で、“ルーク”の発したもうひとつの言葉にも苦しそうな表情にも頓着しない。
その夢見る様な歓喜の顔がかつて約束を語る自分に向けた顔と全く同じだったことにアッシュは胸を抉られるような痛みと絶望を覚えた。


「大丈夫、大丈夫です。あなたはわたくしが絶対に立ち直らせてみせます!わたくしのこの愛にかけて!」

(“ルーク”に出来る筈のないことを強制して、できなければ呆れて蔑む、それがお前の愛なのか。誘拐され、記憶を失くし、赤子のようになっている“ルーク”を更に苦しめるのがお前の愛なのか。基本的な語彙より早く“うぜぇ”などという言葉を覚えた“ルーク”の環境の異常さにも気付かないのがお前の愛なのか。それが、お前が俺に向けていた愛情、レプリカに奪われたと思っていた居場所、俺が信じていたものか!)

信じられなかった。信じたくなかった。
自分が心の底で縋っていた温かく綺麗な物が醜く塗りつぶされて崩れ落ちて行く。

(やめろやめろ!これ以上俺に見せるな!レプリカの記憶など、ナタリアの真実など見たくない!)


“ルーク”であった頃に自分が居た場所は陽だまりのような暖かい場所だとずっと思っていた。
それを奪ったレプリカルークは、苦しみや悲しみなど知らずただ安穏と温かさだけを享受していたのだと思っていたかった。

ナタリアの愛が相手を傷付けるのも構わず身勝手に押し付けて陶酔するだけのものだったことも、それを生まれたばかりの時から七年間受け続けていたレプリカルークの苦しみや悲しみも、知りたくはなかった。

けれどレプリカルークの記憶はオリジナル足るアッシュの中へと流れ込み、幻想を打ち砕く醜悪な真実を否応なく突きつけた。

信じていたものが欺瞞だったなど、奪われたことを惜しむ価値もないものだったなどと、知りたくはなかったのに。


(もう止めてくれルーク、ローレライ!これは俺への報いなのか、罰なのか!)

流れ込んでくるルークの記憶に映るナタリアにも、ナタリアが自分に向ける愛にも幻滅した自分は、きっともう二度と何も知らず幸せだった“ルーク”には戻れない。












ナタリアのルークへの強制勉強はアニメ六話より。




                        
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