「ナタリアを好き?いやちっとも、ぜんっぜん、これっぽっちも好きじゃないね。 俺はルークを好きだから、ナタリアも好きになろうとしていただけだ。 そのルークを彼女が切り捨てた今、もう抱く好意も向ける優しさも、欠片もないね」

ずっとナタリアに好意的で優しかった、ナタリアが密かに胸ときめかせ甘い悩みに悶々としていた青年は、 そう薄く冷笑を浮かべてナタリアへの好意も優しさも否定した。







Love me, love my dog







ナタリアはずっと、二人の男性への想いの狭間に苦しんでいた。
かつてはルーク一筋で他の男性になど目もくれなかったが、ルークが誘拐され赤子のようになって帰ってきて、 前のルークとは何もかも違うことや言葉を覚えても何度強請ってもナタリアとの約束を思い出さなかったことから、 前のようにルークに夢中になることはできず、段々と胸の中の愛は冷めていった。
そんな時、ナタリアの心の隙間に住みついたのがだった。

丁度ルークが誘拐から帰ってきた頃にファブレ公爵家に引きとられた、ルークの親戚の少年・フォン・
赤子のようだったルークの育ての親として、教育係として、そして幼馴染の友人として何時も側にいた。

は、とてもナタリアに優しかった。
昔のルークのように、いやそれ以上に、浮かべる微笑みも、声音も、言葉も、何時もナタリアへの好意が溢れんばかりに込められていて、 ナタリアは何時しかに胸ときめかせ、甘く切ない痛みを覚えるようになり、 昔のルークを想うよりも約束を思い出してくれることを願うよりも、を想う時間の方が多くなっていった。

“いけませんわ、私の婚約者はルークなのに他の殿方にこんな気持ちを・・・・・・ ああでももきっと私へのことを好きなのに、想い合っていて叶わないなんて・・・・・・”

が一番優しくする女性はルークの母のシュザンヌとナタリアで、 他の女性にも優しくないという訳ではないが二人への態度は明らかに格別に深い好意が感じられ、 その度にナタリアは悶々と二人の男性の狭間で甘い悩みに浸ったものだった。


それなのに、今ののナタリアへの態度は別人のように変わってしまった。

アッシュからルークがレプリカだと、すり替えられていたのだと明かされた後。
ナタリアやガイたちはアッシュと同行して地上に戻ろうとしたが、はルークの側にいると同行を拒んだ。
ナタリアが何を言っても、本物のルークはアッシュと叫んでも、目を潤ませて一緒に来てくださいませと強請っても、は首を縦に振ることはなく、ただナタリアが「本物のルークはアッシュですのよ、あなたは“ルーク”の親戚でしょう!」 とアッシュへの同行を求めた時と、ナタリアがアッシュと共に去っていく時にだけ今まで見たこともない眼差しで強くナタリアを見つめたが、 それ以外はただ眠るルークを心配そうに見つめ続けていた。

そして再会したは、ナタリアへの態度に好意も優しさも気遣いも、何もなくなっていた。

以前のように微笑みかけることも、優しい言葉をかけることも、声音に聞いているだけても感じとれるほどの好意を込めることもなく、 冷たい無表情や冷笑で、冷たい声音で、冷たく刺のある言葉ばかりを向けるようになってしまっていた。

同じ頃にルークのナタリアへの、というよりとミュウ以外の全員への態度も急変し、 怯えた子供が顔色を窺うような態度をとるようになり、ガイはそれに随分と苛立っていたようだが、 それすら気にならないほどに、ナタリアはのことで日々悶々と悩み続けていた。

“私がアッシュと仲良くしていたから嫉妬させてしまったのかしら、ああでもわたくしはのことも、 でもアッシュは、本物のルークはあの約束を覚えているかも・・・・・・ああでもも・・・・・・”

そうして悩み続けたある日のこと、ついにナタリアはアッシュよりもを選ぶ決意をつけた。

“アッシュが“本物のルーク”なら私の婚約者はアッシュで、ファブレ公爵家の縁戚とはいえ継ぐ家督もないは王女の私とは身分が違うけれど、でもお優しいお父様なら、きっとこの混乱が落ち着いた後に泣いて強請ればに爵位でも与えて私の新たな婚約者にしてくれますわ。 もしも認めてもらえなかったら、その時はと手に手をとって何処か遠くへ行きましょう。 きっとは、力強く私を抱きしめて連れ去ってくれるはず、そして・・・・・・”

の昔の様な笑顔、声音、言葉がまた自分に向けられることを、 そして自分と共に並び立つ未来や、愛の逃避行へと旅立つ未来を思い浮かべては、 ナタリアはときめく胸を押さえて熱い声音での名を呟いた。





しばらく甘い期待に浸ると、ナタリアは宿の部屋を出てが泊まっている部屋に向かった。
想いが決まったなら一刻も早くことの気持ちをに伝えたかったし、 アッシュよりもを選んだのだと話せば、アッシュへの嫉妬からナタリアを避けたり冷たくするようなこともなくなるだろうと思ったから。

そうしての部屋に付き、ドアをノックしようとしたその時、僅かに開いていた扉の向こうからガイの怒鳴る声が聞こえてきた。

「どうしてあんな態度ばかりとるんだ、お前はナタリアが好きなんだろ、好きな女に冷たくするなんておかしいぞ」

の態度の急変に傷付くナタリアを何かと気遣ってはへの不満を口にしていたガイは それをに直談判してナタリアの悩みを解決しようと思って訪れたのだろう。
いかに幼馴染とはいえガイがいる時にに告白するのは気恥ずかしく、 ガイの話が終わった後にまた来ましょうと立ち去りかけたナタリアは、続くの言葉に立ちすくんだ。

「ナタリアを好き?いやちっとも、ぜんっぜん、これっぽっちも好きじゃないね」

「何言ってるんだよ、お前はあんなにもナタリアに好意的だったじゃないか! 見ていても分かるぐらいに表情にも声にも好意が籠ってたし、何時も優しい言葉をかけて気遣ってたし、 シュザンヌ様を除けばお前が一番大事にしてた女はナタリアだったし、明らかに特別な存在として扱ってただろう?」

ナタリアがそっと開いた扉の隙間から覗くと、苛立ちにやや顔を火照らせたガイと、 反対に顔色ひとつ変えず冷たくすら見えるの姿が映る。
幼馴染の俺には良く分かる、照れて隠すなよというガイに、は照れなど欠片も見当たらない、 到底好きな女性を語るものとは思えない冷たい声音で、冷笑を浮かべて言い放った。

「俺はルークを好きだから、ナタリアも好きになろうとしていただけだ。 そのルークを彼女が切り捨てた今、もう抱く好意も向ける優しさも、欠片もないね」

「ルークを好きだから、ナタリアも好きに・・・・・・?ナタリアが捨てた?どういう、ことだ?」

遠い先祖の王族の血が発現したらしい濃い赤の髪を掻き上げ、 切れ長のアイスブルーの眼をルークの名を口にする時だけ陽に照らされた湖のように暖かな色に変えて、 けれどそれ以外は凍てついた湖のように冷やかなままに明かされた好意の理由に、 ガイは訳が分からないといった様子で問い、ナタリアも理解出来ずに困惑する。

がルークを好きなのは知っていた。
悔しいが、アッシュよりもルークのことが好きなのもあの時アッシュと共に行くのを拒んでルークの側に留まったことで分かっていた。

けれどそれでも、に一番好かれているのは自分だとナタリアは思っていた。

“だっては私を、私を愛──”

そうナタリアが脳裏にの自分への感情と、それ故に訪れるはずの甘い未来を想い浮かべて、 先程の好意の否定で受けたショックを和らげようとしている間も、ガイとの会話は進み、彼女の幻想を打ち砕く鎚が振り上げられていく。

「アッシュがルークはすり替えられたレプリカだったと明かした後、ルークの元に残った俺にナタリアが何と言ったのか覚えてるか? アッシュの中から見ていたルークから聞いたが、ルークを迎えに行こうとしたお前にも同じようなことを言ってたそうだな」


! あなたはルークの親戚ではありませんか。本物のルークはここにいますのよ”

“ガイ!あなたはルークの従者で親友ではありませんか。本物のルークはここにいますのよ”



「ああ、お前は“ルーク”の親戚で、俺は“ルーク”の幼馴染で従者、“本物のルーク”はアッシュだってあれか? 覚えてるけど、それが今何の関係が・・・・・・」

「俺は別にナタリアのことは好きじゃなかった。 でもナタリアはルークの従姉だから、婚約者で何れは妻になるんだから、 そしてルークが幼馴染のナタリアを姉みたいに好きになっていったから、ナタリアのことを好きになろうとしたんだよ。 ルークを好きだからルークの家族や好きな人を、好きになろうとした。 ルークが大事だから、ルークにとって大事な存在も大事にして、優しくして気遣ってきた。 俺にとって好きなのは、大事なのは、ずっとルークだけだよ。 大事な育て子で弟分で友人のルークが、一番大切で、ナタリアへの好意や気遣いは言わばその付属品だ」

「ふ、ぞく、ひん・・・・・・?」

ガイは驚愕のあまり怒りも忘れたように、ただ震える声で鸚鵡返しに繰り返し、はガイと、そして立ち聞いているナタリアに崩れ落ちそうなほどの衝撃を与えたその言葉を、再び平然と繰り返した。

「ああ、付属品だ。でも、ナタリアはその関係を否定した。 ルークが“偽物”でアッシュが“本物”。俺は“本物”のアッシュの親戚でお前は“本物”のアッシュの幼馴染で従者。 そう言ってアッシュに着いて行った彼女は、もう“アッシュの幼馴染で従姉で婚約者”であって、“ルークの幼馴染で従姉で婚約者”じゃない。 それにルークのナタリアへの感情も、昔とは違って恐怖や警戒が強くなってる。 なんでルークの態度が俺とミュウ、お前やナタリアたちとで違うのかって苛立ってたよな。 ルークにとってはもう、お前たちは自分を置き去りにしてアッシュと共に行った人間で、 特にナタリアは自分を、自分との関係を“偽物”とのものだと切り捨てて、“本物”とその関係を選んだ人間ってなってるんだよ。 カイツール軍港を襲撃されたことすらも責める言葉ひとつなく、幻滅することもなく、“本物”だと認めて約束を強請るぐらい、 ナタリアにとって大事なのは“本物のルーク”のアッシュと約束なんだろう、って、諦めたようにそう言ってたよ」

心に受けた巨大な鎚で打たれたような衝撃に耐えられず、とうとうナタリアはその場に崩れ落ちる。
ガイが俺はルークを迎えに、などと何度か言い訳して、その度にに冷笑混じりに責められていたが、 それもろくに耳に入らずガイを気遣う気も、起きあがる気力すら沸かなかった。

「だから、もうナタリアを好きでいる必要はなくなった。 俺にとって好きなのは大切なのは今も昔も変わらずルークで、ナタリアは“ルークの幼馴染で従姉で婚約者”でしかなかった。 ナタリアへの好意や優しさは、ルークへの好意に付随するものだったんだから、 ナタリアがルークとの関係を切り捨てるなら、ルークがナタリアに好意じゃなく怯えを抱くなら、付随するナタリアへの好意はなくなる。 そしてルークを切り捨て、ルークを苦しめれば、付随する感情は嫌悪と憎悪へと変わっていく。単純な理屈だろう?」

ナタリアへの好意を完全否定された驚愕にか自分の言い訳を否定された衝撃にか、呆然としたままのガイを置いて出て行こうと扉を開けたは、ショックで青褪めて立ちつくしたままのナタリアに気付くと、またあの笑みを浮かべた。

かつてナタリアに向けていたあの溢れんばかりの好意が籠められて優しい笑顔ではなく、 ナタリアがアッシュが“本物のルーク”だから親戚や幼馴染や従者は側にいる必要はないと言い、アッシュに着いて行ってから見せるようになった冷たい笑顔を浮かべ、 あの時初めて見せた眼差しでナタリアを見つめた。
その眼差しに込められているのが嫌悪と憎悪だと、和らげようもないほどに認識させられて、ナタリアは座り込んだまま啜り泣く。

罅割れた心の奥底に、泣けば慰めてくれるかもしれない、昔のように優しく気遣ってくれるかもしれないという甘い期待が蠢いたが、は慰めることも、優しい言葉をかけることも、好意的に微笑みかけることもなく、 ナタリアが抱いていた甘い期待や未来像までもを凍らせるように、 冷笑のまま嘲るように小さく鼻を鳴らすと踵を返し、振り向くこともなくルークの部屋の方へと去っていった。












題は英語のことわざより。
Love me, love my dog
私が好きなら私の犬も好きになってね。

偽姫事件前なのでナタリアも夢主たちも王女すり替えのことは知りません。
夢主がナタリアに向けようとしていたのは友情や親愛のつもりで、恋愛感情というのはガイとナタリアの勘違いです。




                        
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