、大丈夫か?無理すんなよ」


表情にも声にも心配を込めて、ルークは幾度も少女を気遣う。
まるで弟が大切な姉にするように、体調や気持ちを察し、労り、代わろうとする。

けれど同じ気遣いがティアに向けられることは、ただの一度もなかった。







誰も知らない彼女の世間







ティアはずっと、ルークに苛々させられていた。
ルークは出会った時からわがままで、世間知らずで、それを恥じることもなく幼稚な振舞いばかりだと。
何よりティアの気に障ったのは、ルークのティアへの態度と、共に飛ばされた・フォン・ という少女への態度との差にだった。

ルークはティアには、気遣うことも言うことを聞くこともなく、自分の言動にどう思うかも気にもしない態度ばかりをとる。 それなのにには、ルークは何かと気遣いを見せる。

、大丈夫か?疲れてるみてぇだし、少し休もうぜ」

「だ、大丈夫です、少し疲れただけで・・・・・・。 流石にこんな準備もないままでの旅や、渓谷の中を歩いたことはありませんし、武器も稽古用の木刀ですから・・・・・・」

はルークの心配に薄茶色の眼を細めて答えながらも、不慣れな旅と戦闘への疲労は隠せなかった。
美しく整えられていた灰色の髪は戦いで乱れ、衣服は泥や魔物の血で汚れ、絹の布地には小さな破れができている。
自発的な旅ならば衣服は強靭で破れ難いものを纏い替えを持ち、靴は歩き易く戦い易いものを履いて、寝袋や食料なども準備してもっと楽なものになっただろうけれど、 何の準備もなく旅にも戦闘にも向かない衣服や靴に、空腹を抱えて寝袋すらなく野宿をするような旅は、旅と戦闘の経験を持つにとっても耐えがたいものだった。
は煌びやか衣装を大量に揃えてとっかえひっかえする贅沢にはさほど執着がなく、 過去の勉学旅行では僅かの簡素な衣服を着回して2年間を過ごしたものだが、 旅にも戦闘にも向かない衣服に加え、汚れても洗うこともできないこの状況はそれとは全く異なっていた。
何より過去の旅に同行したのは信頼する従兄、父が付けた教師、使用人だったが、ルークのことは家族同様に信頼しているが、もうひとりは。

「次の戦闘からはお前は下がってろよ。旅や実戦の経験があるといってもお前は軍人じゃねぇし、やっぱり俺だって戦うから無理すんなよ」

「そんな、ルーク様を戦わせる訳にはいきません! 私は平気です。こんな無茶な旅には不慣れとはいえ、私は譜術剣士であり、勉学旅行の際に魔物や盗賊と戦った経験もございます。 私が必ずルーク様を御護りしますから、どうかルーク様は」

「ちょっと!勝手に決めないで!」

ティアには甘やかしとしか思えない戦闘への不参加の上に、自分の話を聞こうとはせず、自分の考えなんて気にもしないかのように 二人だけで決めようとしていることにティアは更に苛立つ。

「世間知らずなあなたたちは知らないでしょうけど、戦える力のあるものは女でも子供でも、戦うことがあるものなのよ。 そうしないと生きていけないから。疲れたとか旅に慣れてないとか愚痴ばかり言わないで、 もルークも二人とも戦いなさい!」

ルークはムッとした顔でティアを睨み、「冷血女が偉そうなこと言いやがって!」と吐き捨て、 も「あなたなんかの指図は受けません」と冷たく言うと、ティアの話などなかったことのように、相変わらずルークを戦わせようとはしなかった。

ティアが世間知らずなルークに苛立ち、戦いの厳しさを教えてあげるつもりでお説教しても、 ルークはいつもティアの気持ちも、世間知らずがティアを苛立たせているのも察しようとはせずに反発し、 ティアと反対のの言うことを聞き入れる。

はルークと同じキムラスカの貴族令嬢で、ルークの姉のようなものらしいが、 ルークに似て、ルークのことは気遣うのにティアのことは気遣わず、態度も横柄だとティアには気に障ることばかりだった。

“貴族ってみんなこうなの?譜術剣士と言うけれど詠唱中の私の護衛もせずルークばかりを護るから、安心して背中を預けることもできないじゃない。 まったく少しは素直になればいいのに。そう親の言うことを良く聞いて、親に叱られるのに怯える子供のようにはなれないものかしら”

ティアは脳裏に、そんな風に自分の顔色を窺うルークやの姿を、そして二人に恐れられる自分の姿を浮かべてみて、その微笑ましさと心地良さに小さく笑みを浮かべた。





「イオン、おまえ人がいいな」

「あなたとは正反対ね」

そうタルタロスでイオンを誉めたルークに、すぐさまティアのルークへの罵りを込めた横やりが入り、ルークとの反発が続く。

「おまえいちいち感じわりぃぞ!」

「ルーク様に失礼な態度を取るのは御止めなさい。正反対に人が悪いのはあなたの方でしょう」

この旅の間、ルークたちとティアは、もう数え切れないほどこんなやりとりを繰り返していた。

ティアは“ルークの世間知らずさに苛立ちを抑えきれなかった”というのをお説教の理由にしていたが── それとて到底お説教にも、お説教ともいえない罵倒と非常識の押し付けの理由になどならないが── 先程ルークが口にしたのはイオンの性格を誉める言葉なのに、それにすらルークを罵ってくる。

ティアは何時も公爵家を襲った理由など必要なことは言わないくせに、必要もなく言うべきでもないことは口数多く、 そうした口にも行動にも自制心というものを持ち合わせていないかのような振舞いが、ますます二人から向けられる敵意と嫌悪を増していった。
そうされてもティアは、まるで自分が二人から少しの敵意も向けられるはずのない人間だとでも言うように、 まるで対等で何も悪くない相手か、家族や友人への態度の悪さを詰るように、二人の態度に不満を表し罵り続ける。

「そっくりそのままお返しするわ。 ルークもも、本当に人の反応に無関心で無神経で、まるで幼い子供ね。 その感じの悪い態度や性格を直さないと、今にきっと痛い目を見るわよ」

は俺に優しいし、俺の反応を気にして気持ちを分かってくれるし、母上にも使用人にも全然感じ悪くなんてねぇよ!」

読み書きも話すこともできず、それなのに難しい書物での勉強を強いられ、泣き叫んでも気遣われることもなかった幼い頃。
読めもしない書物での勉強など無理だと、強いられるのは辛いのだと分かってくれたを、シュザンヌに進言して無理な勉強を止めさせ、 一から言葉を、字を、勉学の基礎を、段階を踏んで教えてくれたことを回想しながら、ルークは言い返す。

「ルーク様は私にも、奥方様や使用人にもお優しい方です。この旅でだって、ずっと私を気遣って下さってたのを見ていたでしょう」

自分の体調を気遣ってくれたことや、書物を売ってしまった使用人を庇ってこっそり買い戻しの手配をしたことを回想しながらは言い返す。
ルークは外見の年齢よりも子供っぽく、貴族らしくない所もあるが、 気遣いや優しさを持ち合わせ、周囲の人間にそれを向けたことが何度もあったことをは良く知っている。

にそう言われたルークは顔を赤くして、ちげーよ!変なこと言うな!としどろもどろに突っぱね、はそんなルークへ弟に向けるように暖かな微笑みを向け、お優しいですよ、と繰り返す。

しかしティアの方は、二人の姉弟のような暖かな雰囲気も、互いへの気遣いや優しさを出して反論されるのも、 自分にはそうしないことを尚更苛立たせるものにしかならなかった。

「あなたたちは出会った頃から、自分の言動に私がどう思うか気にもしないような無神経な態度ばかりだったでしょう! ルークはの言うことは聞くのに私の言うことは聞かないし、のことは気遣うのに私のことは気遣わないし、 さっきだってのことは優しいって言うのに、私のことは冷血女とか悪く言ってばかりじゃない。 もルークのことは護るのに私のことは何度護ってと怒鳴っても言う通りにしなくて、とても安心して背中を預けられる相手だと思えなかったわ。 その上、私が何度ルークに戦いなさいと言っても無視するし、ルークに戦うことの厳しさを教えようとしても邪魔するじゃない! 少しは他人の気持ちを気にかけたらどうなの!?」

イオンは激しくなってきた三人の口論に戸惑いながら、なんとか取り成そうと三人とも仲良くして下さい、と言いかけるが、 その前にルークの怒鳴るような声との冷たい声音と、込められた怒りに驚いて黙ってしまう。

「なんで俺やにとってのお前と、俺にとってのや、にとっての俺が同列なんだよ!全然違うだろ!!」

「あなた自分がルーク様や私と同じ立場だとでも思っていましたの?思い上がりも甚だしいわ」

ティアはルークやとは違う。

ティアはルークにとってのや、にとってのルークとは違う。

そう明言され、タタル渓谷での二人の態度の差を思い返して苛々としてきたティアは、 自分と彼らの間に差はないと、自分が信じている常識、自分が想像している世間の見方を、世間知らずだと思い込んでいる彼らにお説教する。

「あなたたち本当にわがままね。 今までは安全な屋敷の中で大切に大切に育てられて、甘やかされていたから思い上がっているんでしょう。 私があなたたちを持て囃さないからって反発しないでちょうだい。 私はあなたたちを特別扱いはしない、あなたたちを私と同じように扱うわ。 少しは世間というものを知ってその無知を改めなさい。 世間ではね、あなたたちと私は同列で、同じ立場なの、扱いに差をつけたりはしないのよ。 あなたたちは子供のように幼稚だけれど、子供のような素直さも持ったらどうなの? 子供は親に叱られることに怯えて、顔色を窺って言うことを聞くでしょう。 あなたたちがそんな風に振舞うなら、私だって微笑ましく感じてこんなにも苛立ったりしなかったのに」

ティアの脳裏に、ダアトで他国の没落貴族出身の新兵が、 “元貴族だからって特別扱いされると思うな。ここでは俺もお前も他の兵士もみんな一人の軍人なんだ” と厳しく叱られていた時のことが浮かび、上官に感じた格好良さを自分に重ねて陶酔しながら言い放つ。

しかし二人の常識もティアへの認識も少しもティア自身のそれには近付かず、 ルークは奇妙なものでも見るような眼差しを向けてわけわかんねぇ!と吐き捨て、は冷笑に隠そうともしない嘲りを加えた。

「あなたの言う世間では、ダアトでは、加害者と被害者が、加害者と被害者の関係と親しい友人や家族のような幼馴染の関係が同じなんですの。 驚きましたわ。昨年ダアトを旅した時にはそんなことはなかったのだけれど、何時の間にそんなに加害者に甘くなっていたのかしら」

「どういうことですか?」

の言う立場や関係が誰を指しているのか分からず困惑するイオンが問うと、 はティアを指してティアの罪と愚行を並べ、家族や親しさとは正反対の現実を突きつける。

「ティア・グランツはルーク様の剣術師匠のヴァン・グランツ謡将の暗殺を企て、どういう訳か他人の家であり他国の大貴族でもあるファブレ公爵家を襲撃したのです。 譜歌をかけて警備、使用人、公爵夫人シュザンヌ様やルーク様や、私を眠らせ痺れさせて。ルーク様がグランツ謡将のすぐ側で剣術稽古をされている時を狙って。 それを止めようとして接触した際に疑似超振動が起こり、私たちはマルクトのタタル渓谷に飛ばされました。 その後もこんな風に横柄な態度で、稽古用の木刀しかないというのに自分を護れと怒鳴りつけ、実戦経験もないルーク様にまで戦わせようとする始末。 彼女は私たちにとって家族でも友人でもなく、敵意を持ちこそすれ好意を持つような所はない、全くの赤の他人で加害者ですわ」

今までは二人とティアの関係を、親戚か幼馴染か友人か、あるいは親にでもつけられた教師か、 何か余程に親しい仲だとばかり考えていたイオンは、自分の想像ともティアの態度とも解離した事実に愕然とする。
ティアの被害者にも向けるものとも王侯貴族に向けるものとも思えない、普通なら無礼や横柄を詰られる態度は、 逆にそうした態度をとれるならば余程親密な関係にあるのだろうと周囲を誤解させていた。

「あなたは本当に、出会った頃から信じられないほどにわがままで、無神経で、厚かましいわね。 あなたの気持ちを気遣うこともせず、自分の言動にあなたがどう思うか気にもしない無神経? ルーク様と私の互いへの態度と、あなたへの態度に差がある? 私がルーク様だけを御護りして、あなたのことは護らなくて、安心して背中を預けられる相手だと思えない? そんなの当たり前でしょう。 最初に私たちを気遣わず、あなたの言動に私たちがどうなるかどう思うか、気にもせずに屋敷を襲い、私たちを巻き込み危害を加えた無神経は誰かしら?」

「あなたたちに危害を加えたり巻き込むないつもりはないと言ったでしょう!私が襲いたかったのはヴァンだけよ!」

「グランツ謡将を襲うために、警備にも屋敷の人々にも譜歌をかけて、“攻撃”して無理矢理に侵入したのでしょう。 それは謡将だけではなく、謡将とファブレ公爵家の人々双方への攻撃であり危害です。 沢山の人々を攻撃したのに、殺すつもりだったのはひとりだけだからそれ以外は襲っていない、などと通ると思っていて? 暗殺の標的が何人であろうと、十人攻撃すれば十人、百人攻撃すれば百人への攻撃に変わりはありませんわ」

「私は譜歌で屋敷の人々もあなたもルークも眠らせるつもりだったのよ! だから攻撃するつもりもした覚えもないし、あなたたちは無事だったでしょう? 事故でマルクトまで飛ばされたのをバチカルまで送っていけば、それで終わるはずのことじゃない」

「“バチカルまで送っていけば終わるはず”? 本当にあなたという人は、何処までも私たちに加えた危害も、晒した危険も、そうされた私たちの気持ちも考えようともしないのね」

危害を加えるつもりはなかった、巻き込むつもりはなかった、譜歌で屋敷の人々を眠らせるつもり、バチカルまで送っていけば終わるはず。
ティアがルークとの非難と敵意から逃避しようと繰り返す言い訳は、逆に二人の非難と敵意の理由を強調し、二人とティアの違いを浮き彫りにしていくばかりだった。

「あなたは譜術士のくせに何も知らないかのような言い方をするけれど、眠りや痺れの術はそれのみの効果でも非常に危険なものなのよ。 突然眠気や痺れに襲われれば、転倒などで怪我をしたり、事故が起きたり、最悪死亡する恐れもありますし、 安全に屋敷を護っている警備が眠れば、襲撃や暗殺から護られることも抵抗することもできなくなってしまいますもの。 タタル渓谷への転移がなくとも、既にあなたはルーク様にも、私にも、屋敷の人々にも、何重にも危害を加えて巻き込んでいるのです」

眠りや痺れの術は無害で、巻き込むことにも危害を加えることにもならない。
自分はヴァン以外には譜歌しか使っていないのだから巻き込んでも危害を加えてもいない。
既にファブレ公爵家で多くの人々を譜歌にかけ、倒れるのを目の当たりにした後ですらそう思い続けていたティアは、 の言うことを受け入れられず大袈裟だと否定しようとしたが、 ティアよりも地位が高く経験も長い軍人からの同意が続いて言葉に詰まる。

「仰る通り、睡眠薬強盗などの睡眠の術や薬を使った犯罪には、被害者が倒れて怪我をするなどの事例もあります。 グランコクマでもそうした犯罪が多発していましたから、私も実際に幾つも見聞きしましたよ。 音律士クルーナー といえば神託の盾の譜術士の中でも、譜歌を使う者の総称・・・・・・ならばこういうことは常識では?」

ジェイドがの言葉に頷き、ティアを訝しそうに見ながら同じ神託の盾の軍人であるアニスに問いかけると、 アニスは眉を寄せてティアを横目で睨み、ティアと同じに見られるのが嫌なのをあからさまに表しながら肯定する。

「常識ですよぉ、ティアさんが非常識に無知なんです。 厳重な警備が必要なお屋敷から警備を奪うことが危ないのも、眠りや痺れの譜歌が人を傷付けたことになるのも、 ぜ〜んぶ譜術士や軍人なら常識なのに、ぜ〜んぜん知らないみたいなティアさんと一緒にされちゃったら大ショックですぅ〜」

自分よりも年下の少女に無知を馬鹿にされ、自分の同僚に一緒にされたくないと言われてティアは真っ赤になるが、 が更に続けた譜歌の危険性、そんな危険な術を使った自分の冷酷さにすぐに顔色を豹変させ、再び抗議の言葉を失う。

「それにあの譜歌は普通の譜歌より強力な、下級譜術にも匹敵するほどの攻撃力もあったはず。 それすら危害を加えることだと思わないなんて、危害を加えるつもりはなかったのは確かだと信じて欲しいだなんて、本当にあなたの言うことは理解ができないわ。 “誰かを傷つけるということの意味”を口にする割に、あなたは余程に誰かを傷つけるということを軽く考えているようね。 タタル渓谷への転移にしても“バチカルまで送っていけば終わる”はずがないでしょう。 あなたは旅の間に私たちが晒された危険も、心身の疲労と苦痛も、家に帰れば消えてなくなるとでも思っていましたの? “戦うことの厳しさ”を口にする割に、あなたは余程に私たちを戦わせることも、戦わされる私たちの負担も軽く考えているようね」

聖女ユリアの遺した神聖な歌、自分だけが使える特別な力に舞い上がっていたティアは、今まで譜歌について深く考えることをしていなかった。

ユリア譜歌を口ずさむ時は、まるで自分が聖女ユリアそのものになったかのような幻想に心地よくなれた。
ユリアの子孫にしか使えない歌を操れば、特別な血を受け継ぐ自分自身を特別な人間だと思い込むことができた。
そうしている間は、ティアは縁故の贔屓を疑う眼からも、無知や傲慢を叱る声からも、逃避することができた。
例え前者がティアではなく二千年前の先祖の、後者が過去と現在とティア自身の、行動とその結果から生じているとしても。

だから清らかで美しいユリアのイメージを損なうようなものからは、何時も目を背け続け、自分自身を甘やかし続けていた。
武器としての威力も危険性も、民間人や無関係な人々に向ける残酷さも、危険な倒れ方をする人々の姿すらも、 自己陶酔という厚い壁に阻まれたティアの心には届くことなく、歌声攻撃が揺らぐことすらなかった。

けれどの説明と非難を、地位が高く経験の長い軍人や自分と同じ神託の盾の軍人から肯定され、自分の認識を否定され、 やっとティアの心に、幻想ではなく現実の自分自身と、現実のティアとやルークの関係への遅すぎる自覚が芽生え始める。

「あなたの“屋敷を襲撃し、屋敷の人々に譜歌をかけ、警備を眠らせる”という言動を、あなたの攻撃を、 私たちがどう思うか、危害を加えられた私たちがどうなるか、気にもしなかった無神経で冷酷な人間は誰かしら? 被害者に戦わせ、守られようとした甘ったれは?背中を預けられる相手かなどと図る思い上がりは?それらを恥じることもなかった厚顔は? こんなにも無知やわがままでいられるなんて、あなたはよほど特別に扱われ、甘やかされ持て囃されてきたようね。 今まで誰も気付かなかったとは考え難いのだけれど、直さないと痛い目に遭うとあなたを叱る人はいなかったのかしら」

はお前と違って、襲撃犯じゃねぇし、俺に譜歌で攻撃とか冷血な真似してねぇよ! をお前なんかと一緒にすんな! は優しくて、大事な幼馴染で姉みたいなもので、お前なんかとは違う!」

先程と同じようにとティアは違う、ルークにとってのとティアは違うと差をつけられても、 ティアは先程とは違い、わがままだともを甘やかして持て囃すことだとも言えなかった。
その差が生まれ持った身分だけではなく行動によってもつけられたものだと、やっとティアは自分が彼らから敵意や嫌悪を向けられる理由が幾つもあったことに気付かされる。

「大体親に叱られるのに怯える子供みたいにとか、そうすれば微笑ましくなるとか訳わかんねぇ! お前は他人が自分に怯えるの見て喜ぶのかよ!? そもそもお前と俺とは他人だし、ついこの前会ったばっかだし、その出会いなんて襲撃と攻撃じゃねぇか! なんでそんなお前に親子のように振舞わなきゃいけないんだよ、どこの子供が自分の家を襲撃したり攻撃した犯人と親子みたいになるっつーんだよ? 出会って7年で、家族みたいに過ごしてきて、もちろん襲撃や攻撃なんて一度もしてねぇのこと姉みたいに思うのと全然違うだろ! お前が何言ってるのかこっちはさっぱりだ!!」

気持ちを察して、優しくして、気遣って。

親子のように、顔色を窺い怯えるように。

ティアがルークやの望ましい態度と考え微笑んだそれらは、彼らの出会いや時間や行動からは全く異質なものだった。

ティアとルークやとは出会ったばかりで、家族のように親しくなるような時間などない。
その出会いは襲撃と攻撃で、今までの時間も襲撃と攻撃の加害者と被害者のもので、家族のように親しくなる出会いや時間にはならない。
それどころか横柄な態度をとり、襲撃の動機も話さず、戦わせて自分を護らせようとした時間など、逆に敵意と嫌悪の元になるだけだった。

ティアには、ルークやから家族のように振舞われるような時間も出会いも行動も、何もなかった。
ましてティアは、失った信用を取り戻そうともしなかったのだから。

「被害者が加害者に怯え、顔色を窺い従順になるとすれば、恐怖から従うようになってしまったのでは? 子供を譜術で攻撃する母親、怯えて顔色を窺い言うことを聞く子供・・・・・・私たちがそんな風になったら微笑ましく感じて苛立たなくなりますの? まぁ恐ろしい!あなたが言う親子とは、児童虐待をしている親と、虐待されている児童のことですの?」

は幻想と現実の差に愕然としているイオンに向き直ると、 ティアが振りかざすのが常識か非常識かを、彼女の世間は本当に存在するのかを、彼女の属する地の指導者に問いかける。

「イオン様、彼女の世間では、ダアトではこんな加害者と被害者が扱いに差をつけたりはせず同列で、同じ立場になり、 仲の良い幼馴染や家族のような友人が互いをそうするように、加害者にも接するものですの? むしろ彼女の言い方では、加害者の方が被害者に優しくされ気遣われるべきで、けれど加害者は被害者に冷酷で無神経でも構わない、と感じるのですけれど。 被害者は加害者に気を遣って優しくし、背中を預けられる相手にならなくてはなくてはいけませんの? 犯行だけではなくその後も、加害者が被害者に横柄な態度だったとしても? つい先ほどもルーク様への態度の感じ悪さを非難されて、“そっくりそのままお返しするわ”と、 冷血で横柄な犯罪で危害を加えられた被害者の加害者への態度と、加害者の被害者への態度を同列にしていたようですし」

「いいえ!彼女の言うものはダアトでも非常識なものばかりです。 あなたがたと彼女が同じだなんてありえませんし、あなたがたが彼女を気遣わないのも優しくないのも当たり前です。 まして背中を預けられる相手や、姉弟や親子のようになど、到底なれるはずもないのに・・・・・・ 彼女が何を言っているのか、彼女の言う世間など何処にあるというのか、私にもさっぱり分かりません!」

イオンは部下ではなく敵を見るような眼差しでティアを見据え、今までのティアへの暖かさや優しさを幻だったかのように削ぎ落した声で“ティアの言う世間”の存在を否定した。
そして上司にそんな目で見られ否定されたティアのショックに構うことなく、ジェイドに言う。

「ジェイド。ティアを捕縛し、キムラスカに到着したら即刻引き渡して下さい。僕も、そしてダアトも、今後彼女を庇うことは一切ありません!」

イオンは言い終わると見限るように踵を返し、ジェイドに指示されたマルクト兵が縄を持ってティアの方に行くのにも、 背後でティアの悲鳴と引き摺るような音が遠ざかっていくのにも、ただの一度も振り向かなかった。




敷物もない冷たい床の上に座り込み、縄の痛みが残る自分の身体を抱きしめて、ティアは揺り籠から放り出された幼児のようただ泣きじゃくっていた。

自分が知っていると思い込み、ルークやが知らないことを侮蔑していた“世間”。

ティアとルークやが同列に扱われ、ルークとが互いに優しく気を遣うのと同じように、ティアに優しく気を遣う“世間”。

がルークを護って戦うのと同じように、ルークとがティアを護り戦い、ティアの背中を預かる“世間”。

ルークとが親に怯える子供のようにティアの顔色を窺い、従順に言うことを聞く“世間”。

ティアが何をしても特別に扱われ持て囃され、被害者からも優しくされ敬われる“世間”。

そんなものは、この世の何処にも存在しなかった。
そんな風に思いあがり、音律士なのに譜歌の危険性も知ろうとしなかった自分の現実の姿と、気付かなかった今までの自分はどれだけ甘やかされていたのかを、 犯した愚行に相応しい場所で、相応しい扱いを受けて、ようやく遅すぎる自覚をした時には、もう取り返しはつかなくなっていた。

甘やかされた過去を嘆き、甘えていたツケを払う未来を恐れ、ティアはただ親に叱られることに怯える子供のように、怯えて泣き続けることしかできなかった。












  




                        
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